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コロナウイルス患者の支援は [医療]

 



 



 5月12日のEテレの「ハートネット」でのケアラー(家族などが介護するなどの無報酬の人たち)の悩みがとりあげられていました。認知症などの高齢者家族、統合失調症などの障害者家族などがその大変さを語っていました。たった30分の時間では語りつくせない内容でした。13日に後編がありましたが、相談機関に行ったときに話を聞いたてもらうだけでもいいのに、具体的な制度なり、支援施設の紹介になるのはどうしてかという話がありました。それと、気なったのはコロナウイルスに感染したケアラーの支援ができているのだろうか。医療的ケアが必要な子どもを介護している母親が感染した場合はどうなるのでしょうか。父親はどうするか。



 



「デスク日記 2020/5/11西日本新聞  



 兄の影響もあり中学時代から聴いている「ザ・ローリング・ストーンズ」。1962年結成の世界的ロックバンドだ。95年春、先輩と2人で、福岡市のドームで開催されたコンサートに行き、豆粒ほどのメンバーに目を凝らした。



 そんなストーンズの新曲が「Living In A Ghost Town(廃虚の町に生きる)」。新型コロナウイルスの感染拡大によって封鎖され、人けのうせた都市像と重なり、コロナ禍を予見していたのでは、と話題を集めている。実際は1年以上前に手掛けていた曲らしい。(以下略)」



 



障害者団体もコロナウイルス対策の充実の要請をしていていくつかの方針を示しているようですが、ケアラーへの支援状況はどうなっているのでしょうか。


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社会の「底荷」 [寛容な社会]

 


 


2020510日西日本新聞「随筆喫茶 これからを見張るカナリア 川野里子」では社会の「底荷」について触れています。随筆によれば「底荷」とは「船の重心を低くして安定させるための荷物を言う」という。庶民の暮らしが底荷だといってよいのかもしれません。社会には「見張る」役割が必要だともいう。それが弱っていると思う。記者クラブは政府の宣伝装置となり、検察庁幹部の定年を延長させるなど法に則らない「無法」が罷り通っています。見張り役の先導役のカナリアは生死を賭けています。


 


川野氏は次のように記しています。


「詩歌のみならず、芸術には五感を使って「見張る」という役目がある。 データや政治の言説に上る前に未来に浅瀬や岩礁のあることを感じ、人間がいかに生きようとしているかを感受する役目である。この見張り役が今、軽んじられていないか。


このコロナ禍の後の世界は激変するだろう。しかしこの後の世界がどうなろうとも人間の世界であり続けることだけは確かだ。短歌大会の日、私はカメラだけがある暗闇に向かいながら一つ一つの作品が見張りであり底荷であることを思っていた。 (一部引用)


 


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堀川バスの思い出 [自分史]

 



 



「コラム デスク日記 2020/5/4西日本新聞 社会面 」 で私より若い世代の堀川バスの思い出が書かれていました。



 



「先日、職場の後輩に「この曲、分かりますか?」とスマホを差し出された。「白い手袋~」の歌詞で始まる歌声が流れ、すぐに思い出した。「福岡県筑後地方出身で40代の人なら高い確率で知っている」とテレビ番組で取り上げられたらしい。同県八女市が本社の堀川バス。その社歌だった「私はガイド」だ。(以下略)」



 



社歌については知りませんでした。私が利用した路線は羽犬塚と西鉄柳川までの路線です。中学は水田、高校は羽犬塚にありましたので雨の日などに利用。基本は自転車でした。1960年代ですので料金などは忘れました。車が少ない時代でしたが離合が大変でした。まだ、車掌さんが載っている時代でしたので離合時には誘導が大変だったと思います。しばらくして路線廃止になり、実家に帰る時にはタクシーを使うしかありませんでした。


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嘘か実か [政治]

 


 


つて国会答弁で「ごはん論争」というのがありました。上西充子氏著『国会を見よう』での説明を借りると


「朝ごはんは食べなかったか」


「ご飯は食べませんでした。(パンは食べましたがそのことは黙っときます)」


論点のすり替えをして質問時間を空費させ、国民をあざむくことを定着させたというものです。


下記のウイルスによる休業補償は日本が世界一というのはどういうことなのか。世界2位でもいいのに。どれだけの有効な支援策がとられているか。国民を軽く見てどうせ分からないのだからという思いがどこかにあるのではないか。


 


「日本の支援世界で最も手厚い」安倍首相発言根拠なし


新型コロナウイルスの感染拡大で休業を余儀なくされる事業者などへの支援策に関して安倍晋三首相は 「世界で最も手厚い」と胸を張った。これに対してインターネット上では「デマ」「露骨なうそ」と批判が続出。検証してみたが、日本が「世界一」との明確な根拠は見当たらなかった。(以下略)」(2020510日西日本新聞)。だが、「真水」が少ないという。いろんな数字を積み上げているのだろうが、直接効果のある投資が少ないのだという。


 


こうした手法を使う首相を国民がどう見ているか。検査体制の不備などがずっと隠されてきました。社会保障費の削減で保健衛生の人員削減などが続いているせいなのではないかと言われています。検査件数が低い事実は隠しようもありません。国民もそれらのことに気付いているのでしょうか。次のようなニュースがあります。


 


「時事ドットコムニュース


日本の指導者、国民評価で最下位 コロナ対策の国際比較  20200508


 【ロンドン時事】23カ国・地域の人々を対象にそれぞれの指導者の新型コロナウイルス対応の評価を尋ねた国際比較調査で、日本が最下位となった。日本の感染者数、死者数は世界との比較では決して多いわけではないが、安倍晋三首相らの指導力に対する日本国民の厳しい評価が浮き彫りになった。(以下略)」


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過去に学ばない国という

 


 


コロナウイルスの検査について「風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く場合」の基準を見直すことの是非について国会の論議をたまたま聞いた。厚生労働大臣は、37.5度が4日以上続く場合については、あくまでも目安であることを繰り返し通達してきたので理解していないはずはないという答弁を繰り返していました。このやりとりは記憶で書いているのですが、「ごはん論争」というのがあったのと似ていると思いました。上西充子氏著『国会を見よう』での説明を借りると


「朝ごはんは食べなかったか」


「ご飯は食べませんでした。(パンは食べましたがそのことは黙っときます)」


論点のすり替えをして質問時間を空費させ、国民をあざむくことを定着させたというものです。大臣としては野党の追及をかわすことで才能を示そうとしたのかもしれません。野党は、37.5度が4日以上ということで亡くなった人がいるのではないかと追及していました。大臣は通達を出しているのだから責任を問われる筋合いはないと言いたいのでしょう。ですが、テレビでも繰り返し体温37.5度・4日以上と伝えていました。それを訂正させなかったのはなぜか。全部を見ていないので、そのことを知りたいが説明されたのだろうか。ところが、17日の西日本新聞がこの大臣発言を「国民の誤解」だというものだったというと伝えています。テレビがこの発言を取り上げたのでしょうか。


 


2020510日西日本新聞の「新型コロナと文明 最悪想定しない国民性 思想家 内田樹」はタイトル通り「最悪を想定しない国民性」の結末を述べています。


 


「『東京五輪は予定通り開催される』も同じである。『開催されないかもしれない(その場合にはどう対応するか早めに対応策を講じた方がいい)』ということを考えた人は組織委内にもいたはずである。でも、黙っていた。口にしたとたんに『不吉なことを言うな』と一喝されることがわかっていたからである。『予定通り開催される』という祈りを、『開催しない』という 決定が下るまで唱え続けるのが『日本流』なのである。 同じように、感染拡大に備えて人工呼吸器や検査セットや病床の確保をしないできたのは、別に首相や知事の「不作為」や「怠慢」ではない(少なくとも主観的には)()


そうやって見直すと、今回パンデミックにおける日本の失敗が同一のパターンを飽きずに繰り返していることがわかる。そろそろそのことに気づいてもいいのではないか。気づかなければ、同じことがこれからも繰り返されるし、いずれはそれがわが国の命とりになる」


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公園から消えた子どもたち [街で]

 


 


桜が満開を告げた頃、午前中の公園には、小学生、中学生ぐらい子どもたちが遊んでいましたが今は見かけません。どうしているのでしょうか。


 


「コラム 春秋 2020/5/6 西日本新聞 オピニオン面 」からです 。


 


「公園に だれも いないとき/ぶらんこは/ひとり しょんぼりと/たたずんでいるように 見える。まどみちおさんの詩「ぶらんこ」


▼いつもなら子どもたちの笑い声が初夏の日差しに輝く大型連休。新型コロナ禍のことしは、公園のぶらんこもロープで縛られ、しょんぼりとたたずんでいた


▼緊急事態が延長され、連休明けも重苦しい日々が続く。待ちかねていた学校の再開も先延ばしになった。4月にピカピカの1年生になったけど、一度も登校できず、級友の顔も知らない子もいよう(一部引用)


 


 


 学校は閉校のはずです。少し気になっているのは、学校を開くのかどうかは知事に権限があるのでしょうか。教育委員会は独立機関だと教わったような気がします。コロナウイルスでの閉校するのかどうかなどのことを知事が指示しているように聞こえてきますので疑問に感じたわけです。おまけに9月を新学期にするという話まででてきましたが、賛否は別にしても、今年からというのは無茶だと想えますが、どうでしょうか。9月が留学に良いのでと言うが、留学生がそんなにふえているのでしょうか。日本人の2017年の約7万人というデータと学生支援機構の10万人越えしたという数字があります。10万人前後なのでしょうか。それを多いと見るのかどうかもあるのかと思います。


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『「待つ」ということ』を読む [読書]


「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

  • 作者: 鷲田 清一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2006/08/31
  • メディア: 単行本



 


鷲田清一氏の本です。新聞の書評にあったのだと思うが初版は2006年だというから新刊ではない。裏表紙には「現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった」という。ラインのやり取りの話を聞くと、待つことができない社会でもあり、待たなくてよい社会なのかも知れない。待つことができない社会とは、短時間でシロクロをつけなければ決着することができないという意味なのか。それは社会的な影響になっているのでしょうか。


鷲田氏は次のように述べています。


「すると〈待つ〉というのは、時間を駆ることはしないが、しかしただたんに流れるままにまかせるというのでもないような身がまえだということになる。そう、ひとは向こうからやってくるのを期して〈待つ〉。〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。


 〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづけることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄することなしに〈待つ〉ことはできない」


 


 「応え」がなかったという記憶を消去しなければ待てないのだ。待つという一見消極的な選択肢に見えますが、間違えばひどい場面に変わりうるかもしれません。期待や祈りという願望が強く込められているが、実現しないのかもしれないという不安があります。自己本位的な願望だということか。


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自治体の苦闘 [行政]

 



 



「コラム 風向計 対コロナ支援の前線で 吉田賢治2020/5/1 西日本新聞」では、自治体の支援策の実情が取り上げられています。「スピード感」をもって配布されているはずのアベノマスクはこれを書いている5月7日現在届いていません。10万円の話では私が住む街では5月月末に「申込書」の配布が始まるという。マイナンバーカードを使う人は早いですが、暗証番号を忘れたりして窓口が密集地帯になっているという。「スピード感」をもって行われるスピードというのはこの程度なのです。自営業者の 家賃支援などはスピード感をもってやってほしい。



 



さて、先のコラムでは自治体の対策づくりに触れて



「知恵比べという生半可な様相ではない。新型コロナウイルスの影響が医療、福祉、経済、教育と社会全般に及ぶ中、全国の自治体職員は今、アイデア、スピード、発信といった総合力を競っている。()



 経済対策に忙殺されている自治体のある幹部職員から聞いた話を紹介したい。




 感染者の増加はないものの、経営難に陥る事業者の悲痛な声を直接耳にすることが、4月は急激に増えた。通常なら政府の対策が固まってから具体的な対応策を練るが、それでは間に合わない。担当の職員が総出で支援策のアイデアを出し合った。しかしネックになるのはやはり、お金をどう捻出するかだ(一部引用)



 



財政に余裕のある東京の小池知事の余裕は多くの自治体には不平等に映る。だが、今回の地方の独自案から見える首長の実行力から総理でやってもらいたいと思う人もいます。ですが、自治体幹部の違いによるものが多いのかもしれません。忖度しない職員が活躍して欲しい。


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鏡に映る姿は [高齢者]

 


 


私の場合、鏡をみるというのも髭剃りぐらいの時ぐらいですから数日おきです。老いを映していると思ったのは、ある日突然、どこかの人かと感じた時でした。だが、実際は50歳代のある日、電車の中で高校生に席を譲られた時でした。その時は、笑い話にしてすませましたが。実感したのはやはり突然でした。


 


1.鏡に映る自分に愕然とする――老性自覚と老いの否認と


老いは突然始まるわけではなく、しかし前日とさして変わらないというささやかな変化の集積として確実に進行していく。そのため自分が年をとったと自覚するのもひとさまざまである(「老性自覚」)50代でそれを感じるひともいれば、80代でもそれを認めないひともいる。多くはあるきっかけで変化に気づく。あるひとは体力の衰えを感じた時に、あるひとは鏡に映った顔のしわで、というように。だがどれも突然生じたのではない。」(『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』)


 


80代になっても認めない人はいます。周りもまた老いを感じない人がいらっしゃいます。85歳で今も現役の医師として活躍される方を知っていますが、風貌からして老いが感じられません。この違いはどこから出てくるのでしょうか。老いを認めないからなのでしょうか。それとも、感じる間もなく活動しているからなのでしょうか。


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コロナと障害者 [障がい者問題]

 


 


「『障害ある社会』皆で克服を 寝たきり芸人・あそどっぐさん2020/5/4 西日本新聞 三宅 大介  」では「あそどっぐさん」の名前で活動する人からみたコロナと障害者のことを取り上げています。


 


 障害者であり、一人暮しを支えるのはヘルパーさんです。どちらかが感染すれば2週間は隔離となり介助が受けられなくなります。


 かつて移動が困難な障害者としてはテレワークで働きたい人もいたが、社会のベーシックな考え方としてはなかなか受け入れられませんでした。


それについて「従来、障害者が望んでもなかなか普及しなかったテレワークが急速に拡大していますし、こうした試みが広がれば、障害者がもっと社会参加しやすくなるのでは。障害があり、なおかつ地方在住の芸人には、とてもありがたいことです」と述べてあります。社会がテレワークを標準的な働き方と受け入れれば障害者の参加も変わるのではないかと思われます。


他にも「障害があるのは「人」ではなく「社会」だという考え方」についても述べられています。こういう形でしか変わらない社会でいいかということはありますが。


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