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仔羊の恐れ [認知症]

藩とは何か-「江戸の泰平」はいかに誕生したか (中公新書)

藩とは何か-「江戸の泰平」はいかに誕生したか (中公新書)

  • 作者: 藤田 達生
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/07/19
  • メディア: 新書

 

藤田達生氏によれば、藩は、家康が国替えによって西進することにより広まったという。

 

「小著では、藩の誕生のメインストリームとして、家康によって築かれた東国政権が、国替

によって段階的に西進することで藩が広く浸透したことを重視する。繰り返すが、藩誕生の

前提として国替ありきなのだ。

あわせて、諸藩における参勤制度や海防体制の整備も重要である。前者では街道・宿駅の

整備、伝馬・飛脚制度の誕生、後者では遠見番所(とおみばんしょ)の設置や浦触(うらぶれ)制度の成立といった、藩領を越えた全国的ネットワークの創出を経て、幕府主導のもと藩が全国に拡大したものと想定する」(『藩とは何か』藤田達生著)

 

藤田氏の説は大方の説になりうるのかどうか分かりません。「藩」とは江戸時代の初め頃から存在していたと思っていました。公用語としての「藩」と呼ぶことのひとつの見解です。

 

こじつけですが、認知症が公用語になったのには意味があったのでしょうか

ある人によれば、認知症は医学的な用語から離れて「望ましくない老い」として広まっているという。それを「隠喩としての『認知症』」(竹中星郎著『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』参照)となっているのではないかと指摘しています。ある会話で「ニン」になった人の話題になりました。最初何のことだか分かりませんでしたが、繰り返される話でそういうふうに呼ぶのだと分かりました。そこには、もう終わりになった人という感じがしました。認知症の当事者が意見を述べる時代になっています。認知症の人の問題として当事者の声をすくいあげることが大切ではないか。役に立たない老人の上に認知症の恐れ。人生の最期には荷が重い。

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「認知症施策推進大綱」が示したもの [認知症]

 

 

新聞の投稿欄に、友が亡くなったことの衝撃が綴られていて、最期に「流れるときを生きていく」と結ばれていました。「そうだ」と言ってました。

 

政府が6月に策定した「認知症施策推進大綱」(以下「大綱」)について次のようなレポートで課題提起がされています。「認知症大綱で何が変わるのか /予防重視の弊害、共生社会の実現に向けた課題を考える」 ニッセイ基礎研究所 2019-08-13 基礎研 レポート保険研究部 ヘルスケアリサーチセンター 主任研究員 三原 岳」では次のような指摘がありました。

大綱案では予防ということが強調されていましたが、当事者団体からの反発も強く次のようになったという。

「・ 『予防』とは、『認知症にならない』という意味ではなく、『認知症になるのを遅らせる』『認知症になっても進行を緩やかにする』という意味である」

三原氏は「このうち、予防については「認知症にならないようにする」のではなく、認知症の発症や進行を遅らせる意味であることを明確にしている。この点は後述する通り、予防重視の方針が当事者団体、与党から反発を招いたため、加えられた部分である。 」と指摘しています。「大綱」の他の文脈では、発症を遅らせる政策について述べており、認知症は予防できるという意味合いが強く込められたままです。何よりも「予防」という語彙からくるものにすぐにでも転化します。「予防」の趣旨などに関わりなく、「予防」が強調されていくでしょう。このままでは、①認知症を発症すれば自己責任だということになります。②その結果、認知症に対する偏見が強調されることになります。

認知症には、発症に至る誘因みたいなものが解明されていないし、老化によるものとの区別ができにくいし、老化によるものも自己責任にされる可能性があります。ハンセン病の家族の国家賠償裁判を思い浮かべます。自己責任とする新たな基準を持ち出して偏見に満ちた社会をつくりだす可能性が危惧されます。社会保障費の伸びを国家の負担にしたくないという本音が色濃いものなっていないか。マスコミは問題提起をすべきだと思います。

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認知症は老い [認知症]

 

 

樹木希林さんは『一切なりゆき』で、「きようよう」が大事だという。教養ではなく「今日の用事があること」だという。

「ポツンと一軒家」というテレビ番組では山間部などで暮らすお年寄りなどを訪ねていく番組です。先日も80歳代の夫婦がそれぞれのやれる作業を分担しながら暮らしていました。田んぼに水を送る水路の掃除を夕方までやりますというお婆ちゃん。病気で力仕事が限定されるようになったお爺ちゃん。それでもできなくなる日まで続けるという覚悟が感動的でした。

 

「認知症は老いです。高齢になればだれもが経験するただの老いにすぎません。 でも、少しぐらい不自由を感じても、まだまだ人生を楽しむことはできます。むしろいちばんみっともないのは、つまらなそうに生きている高齢者です。何の楽しみもなく、ただしょぼくれている高齢者です。」(『自分が高齢になるということ』)

 

ただ、「ポツンと一軒家」には認知症のお年寄りはいません。それが不思議です・

 

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75歳が境目 [認知症]

 

 

私は来年75歳になります。75歳以降が認知症の確立が高くなるのだという。

 

「阿川

認知症になりやすいタイプ、なりにくいタイプというのはあるんですか。

大塚

それはあまりないように思います。元々明るい人、活動的な人は、なりにくい 印象はありますけど。認知症の発生率は七十五歳を過ぎると急激に上がります。ただ、九十歳過ぎた方でも、確か三O%は認知症にならないと言われています。

()

大塚

ええ、その通りです。七十五歳より前に死んでしまえば、認知症になる可能性はぐっと低くなるということですね(笑)

阿川

ある意味、究極の予防策ですね。でも寿命はままなりませんからねぇ。

大塚

私たちは年をとれば確実に物覚えが悪くなります。認知症かそうでないかという境目は、生活に支障があるかどうかです。本当に生活に差し障りがあるような物忘れが出てきたときに、初めて認知症ではないか?と疑えばいいんです。

 阿川

先生、私、昔から物忘れがかなり激しいんですが()。でもこれまでなんとかなっているのは、忘れても支障がないレベルだから?いや、周りがカバーしてくれているからかも。つまり生活能力なんでしょうか、認知症の問題は。(一部引用)」(『看る力』阿川佐和子・大塚宜夫)

 

長生きも考え物ですが、寿命が分かる方法はないし・・・。

 

 

 

 

 

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予防ができるか [認知症]

 

 

テレビで認知症の予防対策として毎日5000歩、歩きなさいという。つい最近まで8000歩だと言っていました。同じ局ではないと思いますが、医学的根拠はあるのでしょうか。

 

それよりも、認知症になった人への対応を学んだが良いのだろうか。

 

「バカにしない、怒らない、とがめない

大塚

認知症は、ひと言でいえば記憶の障害があるがゆえに、自分の記憶の中に入ってきた新しい情報をうまく処理てきなくなっている状態とも言えます。(略)

阿川

記憶の引き出しが出てこない。

大塚

そうです。基準となる照合すべき記憶に到達できないので、今の状況を、どう判断していいかわからない。ただ、記憶は全部なくなるわけではなくて、一部は残っている。そこがややこしいんです。その少ない記憶をかき集めて情報を処理するので、 普通の人とは違った行動になります。

阿川

まわりから見たら理屈に合わない発言や行動でも、本人にとっては、残った記憶と情報をもとに行動しているわけだから、整合性はあるわけですね。

大塚

そこが私たちが最も理解しなければならないポイントです。本人がうまく処理 できなくても非難しないこと。とがめたり諌めたりしでもなんの役にも立ちません。(一部引用)」(『看る力』)

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予防が優先なのか [認知症]

 

 

次の意見の一部を引用します。それぞれに意見があるかと思いますが・・・。

 

「(耕論)認知症の予防どうする 西田淳志さん、近藤克則さん、関口祐加さん

201874日朝日新聞

 

 認知症を予防するために「もっと運動を」「禁煙を」といったさまざまな知見がある。認知症はどう防いだらよいのか。そもそも予防にこだわること自体、人を追い詰めてはいないのか。

 

 ■孤立生まない仕組み大事 西田淳志さん(東京都医学総合研究所心の健康プロジェクトリーダー)

(略)

 しかしこれらの要因を減らすことで認知症の発症が実際に予防できたという介入研究による報告は限られており、現状では因果関係についての慎重な解釈が必要だと思います。これらの要因のうちいくつかは、認知症の超初期症状でもある可能性も否定できません。九つの要因を取り除けば、予防につながるという科学的検証を今後、しっかり行う必要があると思います。

 ただ、この論文が「社会的孤立」を認知症のリスク要因と位置づけた点は、興味深いです。

 今年1月に英国で誕生した閣僚ポスト「孤独担当相」のきっかけとなった報告書には、「38%が認知症になったことで友人を失った」とあります。認知症の予防という観点からだけでなく、認知症になっても孤立を生まない社会的な仕組みを、作ることが大事なのだと思います。

 ■交流して刺激多いまちへ 近藤克則さん(千葉大予防医学センター教授)

(略)

 そこで、私たちは個人というより地域を「認知症になりにくいまち」にしていくための研究に取り組んでいます。その一つとして、愛知県武豊町にお年寄りたちが交流する場を10カ所あまり設け、体操や踊り、ゲームなどを通して楽しみながら体を動かしてもらう機会をつくりました。

 すると、活動によく参加する人はしない人に比べて認知症の発症率が3割低いという結果がでました。(略)

 安心して歩ける歩道や公園、緑地などがきちんと整備されているか。スポーツや趣味を人と一緒に楽しめる機会や場所があるか。「建造環境」とも呼ばれるそうした社会づくりは、認知症の人にとってもやさしいまちになると思います。(聞き手・田村建二)

 ■無理に押しつけないで 関口祐加さん(映画監督)

 認知症の予防は、やりたい人はやったらいい。でも、気の進まない人にまで無理に押しつけてほしくはありません。少なくとも、私はいっさいやりたくない。

 8年前にアルツハイマー型認知症と診断された母は、そのずっと前から「とにかく認知症にだけはかかりたくない」と思っていて、計算問題や漢字の練習をさかんにやっていました。彼女自身の母親も認知症で、親に顔を忘れられてしまったことがショックだったようです。

(略)

 このまま認知症の人が増え続けるのが問題だと言われますが、本人は幸せを感じていることもある。認知症が問題だとしたら、本人ではなく周囲にとって、です。

 予防もいいけど、むしろケアのプロを育てるほうがもっと大事です。病気の状態だけでなく本人の性格、それぞれが歩んできた歴史を踏まえた、その人にあったケアをできる人材です。そうしたプロによるケアは本人の安心につながり、周辺症状もやわらぎやすい。いまのように、ケアの多くを家族が負担し続けるのはもう限界にきています。(以下略)」

 

依然として認知症になったら「何もわからなくなる」という人が多い。一団意キャンペーンを行うべきです。そして、国民的議論をしていけば良いと思います。社会的に孤立させる環境をまずは改善すべきでは。

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社会の病気 [認知症]

 

 

 

「オーストラリアのクリスティーン・ブラ イデンさんやカナダのリン・ジャクソンさんたち海外 の認知症当事者がきて発言し、日本国内でも本人の発言や、活動が広がってきた。

 

クリスティーンは「私たちの能力を信じてください。 認知症は心が空っぽだという偏見によって引き起こされる社会の病気でもある。偏見を取りのぞく闘いで、 みなさんが同志になってください」と訴えた。会場で 取材していた私は、その存在と言葉の深さに胸打たれ

た。「社会の病気」という響きが今も忘れられない。医学的には治せなくても、社会の病気なら私たちの力で何とかよりよくできないか。」(『ルポ 希望の人びと』)

 

社会の理解があればという病気や障害はたくさんあります。多くは「社会の病気」です。障害の名の下に断種が公然と行われました。そして、ハンセン氏病の隔離政策は忌まわしい歴史です。

 

「ハンセン病理由 無人島に遺棄 「ごみ扱い」餓死寸前5/18() ヤフーニュース

 1944年、西太平洋の赤道付近に位置する無人島。日本軍の憲兵が銃を向け、男性(当時24歳)に下船を命じた。「らいがうつるから、人がいる島に近付くな。お前はここで死ぬ。そのことが国のためだ」。従う以外に選択肢はない。男性は国に「破棄」されたのだった。

  国はハンセン病を「国辱病」と宣伝し、「浄化」に取り組んできた。1907年に「ライ予防ニ関スル件」を制定。31年には「癩(らい)予防法」と改めて、患者を死ぬまで強制隔離する政策を推進した。(略)

 一方、無人島に捨てられた男性は数カ月過ごした後、上陸した米軍に保護された。米兵の尋問にハンセン病の英名「レプラ」と一言告げた。「また一人取り残されるのか」。男性は顔を伏せたままだったが、米兵が返した言葉は「Don,t worry(心配するな)」だった。島から沖縄に生還した男性を待っていたのは愛楽園への「隔離」だった。「入所から2週間ほどして、両親が訪れた。私を探してくれてありがたいと思う半面、らいにかかって申し訳ない思いだった」。許しを乞う男性にしがみつき、母は泣いた。

  愛楽園で暮らして70年余が過ぎた。無人島で餓死寸前まで追い込まれた恐怖に、男性は今も体を震わせる。「人でも動物でもあらん。まるでごみ扱い。私はごみのように捨てられたんだよ」 (佐野真慈)琉球新報社」

 

なんということか。法律の名の下に不妊手術を強いる国です。

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戸締り [認知症]

 

 

「あかね雲卒業今度は赤提灯  66

小学校低学年の秋、友達と2人で遊んでいた。太陽が傾き「日沈むあの山の向こうヘ」と西に向かった。太陽の沈むスピードに負けまいと、足を速めた。浮んだ雲が残照であかね色に輝き、光っていた。しばらく見とれた。ふと気が付くと、辺りは夕闇に包まれてきた。不安になり、急いで引き返した。真っ暗な山や森から、何かの不気味な鳴き声が響く。夜のとばりは降りた。ようやく街明かりが見えむた。どこかのおじさんがわわれを見つけ、家まで連れ帰ってくれた。地域の人総出で捜していた。父親からこっぴどく叱られた。 その後、あかね雲に誘われることはなくなったが、 赤提灯に誘われるようになった。」(2018213日西日本新聞)

 

「あかね雲」と言えば山本一力氏の小説を思い出します。豆腐職人の生き方を描いていたと思う。あかね雲から夕闇に移るときの寂寥感を投稿から思い出しました。

 その頃になると戸締りをするお年寄りがいたという。

 

「母が家中徘徊実は戸締まり  78

介護のため母の家で一緒に住んだ。一日中、ほとんど寝て暮らしているのに、夜のとばりが降りると、母はベッドを抜け出す。白髪を振り乱し、ネグリジェに素足で家中を徘徊する。まるで夢遊病者のように。だが、数日して分かった。家中の窓やドアの鍵を点検して回っていたのだ。他のことは何もしないが、この戸締まり行動はずっと続いた。山の上の一軒家。防犯にはよほど気をつけていたに違いない。夜が更けると、大通りを走るトラックの騒音以外は聞こえない。介護を忘れて家に帰りたくなるほど、寂しかった。母は40年近くもこの家を守ってきたのだ。その習慣がしっかり身に付いたのだろう。徘徊しながら、母は自分のやっていることの意味を認識していたのだろう か。何か悲しかった。」(同前)

 

親への愛情が溢れています。

 

 

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分かるのがいいか [認知症]

 

 

 

「アルツハイマー、血液で早期検査=治療薬開発に貢献へ―長寿医療研など

2/1() 3:05配信 時事通信

 アルツハイマー病の原因とされる物質を早い時期に血液を使って検査する方法を開発したと、国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)と島津製作所などの研究グループが発表した。論文は1日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。

  研究グループによると、アルツハイマー病患者の脳には、認知症が現れる20年以上前から異常なたんぱく質「アミロイドベータ」が蓄積され始める。蓄積を検出するには陽電子放射断層撮影(PET)などが必要だが、高額の費用などが問題だった。

  研究グループは、アミロイドベータに関連し、脳から血液中にわずかに漏れ出した3種類の物質を調べ、異常な蓄積の有無を判断する方法を確立した。この方法で日本とオーストラリアの計232人を調べたところ、PETの結果と9割が一致した。(以下略)」

 

島津製作所の田中耕一記念質量分析研究所所長を記者会見で拝見しました。科学の進歩は良しとしなければいけないのでしょうが、治療で治すことができない段階で可能性が高いと診断された人はどう過ごしていけばいいのでしょうか。進行を遅らせることはあっても治療法がないと不安を抱えたまま過ごさないといけません。突然の発症よりいいのではと意見もあるでしょうが・・・。

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認知症の当事者像の変化 [認知症]

 

 

Eテレで丹野智文さんの活動が紹介されていました。スコットランドの当事者の方との交流だったと思いますが、スケジュール管理や医師の支援を受けながら積極的に活動されているのが印象的でした。スコットランドでは、運転免許が認知症でも一律禁止ではなく、個別の状態に応じて決められるという。翌日のフリーアナウンサーの町亞聖さんは、母親の介護を始めた18歳からの体験から「当事者の声を伝える」ことをライフワークにしているという。当事者の声が障がい者・高齢者・認知症で広がっています。情報がまだ届いていないのかと思います。

 

39歳で若年性認知症 丹野智文さんが講演

人生の終わりじゃない

「何もできないと決めつけないで」

医療費軽減や 税制優遇措置」

(略)

若年性認知症は、65歳未満で発症する認知症。20 09年の厚生労働省研究班 の推計によると、国内に約 38千人の患者がおり、 平均の発症年齢は513歳。働き盛りで、子育てや親の介護などに関わる年代でもあり、患者や家族の経済的負担、精神的苦痛は大きいとされる。丹野さんも、自動車販売会社の優秀な営業マンだった。子ども2人はまだ小学生と中学生。同僚や顧客の名前を忘れるなど、仕事に支障が出始めた。「仕事は続けられるのか、子どもに どう説明しようか、これか らどうやって生活すればよいのか、と不安でいっぱい だった」と振り返る。 若年性認知症にどんな支援があるのか、と区役所に 相談すると、40歳未満は介護保険サービスが使えず、受けられる支援はないと言われた。最寄りの地域包括支援センターでは、介護用品のカタログを見せられただけだったという。

途方に暮れ、自らインターネットで調べ「認知症の人と家族の会」の宮城県支部にたどり着いた。紹介された若年性認知症患者の集まりにも参加する。年が近い人でも60歳だったが、みんな同じ病気の仲間だと思うと安心でき、「自分の気持ちを分かってくれる人がいる」と不安が和らいだ。若年性認知症と診断されてから半年たつと精神障害者保健福祉手帳を申請で き、税制の優遇措置がある。 他にも傷病手当金や医療費 の軽減制度など、さまざま な支援があるが、担当部署 以外に十分周知されていな い。こうした状況を改善し ようと、国は本年度中に、 若年性認知症のコーディネーターを全都道府県に配置する計画だ。丹野さんは「行政には、民間も含めてさまざまな支援に関する情報を紹介するなど初期支援を充実させてほしい」と訴えた。」(2017629日西日本新聞)

 

 

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