SSブログ

喜寿に近いと気づく [高齢者]

 


 


当たり前の日常が崩れています。


 


「コラム デスク日記 2020/4/21 西日本新聞 江藤 俊哉 


 大分県に住む母に手紙を書いた。学生時代以来、30年ぶりだ。85歳。2年前の秋に夫(私の父)を亡くし、自宅近くの有料老人ホームに入居した。月12回通院の必要があり、私や妻が帰省して付き添う。片頭痛がひどく、気分の浮き沈みが激しい。認知機能も衰え、幼い頃の嫌な思い出がよみがえって泣いたりする。耳が遠く、操作ができないので携帯電話は持たせていない。だが、私たちが顔を出すと、笑顔を取り戻した。


 今月から施設側が面会を禁じた。通院も、職員が電話で症状を説明すれば処方箋を出してくれるので不要になった。(以下略)」


 


 ここに登場する母が85歳。私は10歳若いということに気付いた時に「喜寿」とは数えの何歳かと思いました。喜寿は77歳。耳が遠くなり、携帯の操作は電話のみですのでスマホはあきらめています。通院は妻に送迎と耳の代わりも頼んでいます。これだけでも喜寿に値するのかもしれません。新聞の戦争体験投稿欄には90歳代が少なくありません。元気な90歳代が増えているのではないかと思う。個人差は大きいですね。


  虚弱化しているのを自覚しているこの頃です。


 なぜ、虚弱化が悪いかと言えば、『「老年症候群」の診察室』によれば、弱々しくなることで病気にかかりやすくなったり、転びやすくなったりするという。高齢者の今の言葉でいえば「フレイル」次の4つのプロセスを経るのだという。「健康期」「虚弱期」「高度虚弱期」「終末期」が重なり合いながら進むのだという。元気な終末期というのもないかなあ。


 


013.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。