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辺野古に寄せて [沖縄]

 


 


小説『熱源』(直木賞受賞作)主人公は樺太出身アイヌです。幼少時に樺太から北海道・対雁(ついしかり)=現在の札幌に移住します。本の帯には「降りかかる理不尽は『文明』を名乗っていた」とし「滅びてよい文化などない。支配されるべき民族などいない」と記されています。ところが、麻生副総理は日本人はインターナショナル化しているが、2000年間単一民族だと話したそうです。後で取り消したそうですが。先の小説は実在のアイヌ人が登場し、その時代は白瀬氏の南極体験や日露戦争の時代です。


今の沖縄の闘いと通じるものがあるように思います。ツイッターでは毎日辺野古の抗議活動の画像が公開されています。軟弱地盤ということで工期延期するという。分かっていたことではないか。テレビは辺野古についてほとんど取り上げません。新聞は取り上げて欲しい。


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「記者コラム2019/12/13 西日本新聞 ふくおか都市圏版 阪口 彩子 」からです。


 


 「基地問題の原稿を全く書いていない。それで良いのだろうか」。先日ふと記した日記。3月まで米軍普天間飛行場の移設先である沖縄県名護市に住んでいたので、毎日現場に行って原稿を書いていたサンゴが広がる辺野古の海に埋め立てが始まって14日で1年になる。沖縄の人はほとんどが移設工事に反対するが工事は強行される。ある時、地元の名護市の職員が言った。「国が公共工事で工期も工費も決めてないっておかしいよ。建設費用が膨れ上がるだけ。これだけ税金が使われているって全国の人が気付いたら工事は止まるかな」移設工事は遠い沖縄の話ではなく、私たちの税金が大量につぎ込まれる身近な問題。離れていても書ける記事はたくさんある。その視点をしっかり見つめ直したい。」


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非道 [沖縄]

 

 

新聞のスポーツ欄を読んでいたら有名水泳選手がイップスだという。知らない言葉でしたのでネットで調べたら次のようなものでした。

「デジタル大辞泉の解説 イップスyips

緊張や不安などの精神的な原因によって、それまでスムーズにできていた動作が思い通りにできなくなる運動障害。スポーツや楽器の演奏など、腕・手首・指先を精密に使う場面で起こることが多い。」

 そんなに知られている言葉なのか。不親切な記事だと感じましたがどうでしょうか。

 

こちらは分かりやすい新聞の投稿欄からです。沖縄の声を踏みつぶす力は暴力といえるように思う。

 

「戦争の非道詠んだ直木孝次郎氏 69

亡くなられた歴史学者の直木孝次郎氏は、長い歌歴をもつ歌人でもあった。2 000年に「山鳩集人増補版)」を出された時ご縁が あって私は一冊頂戴した。 十数年後、先生は朝日歌 壇で、戦争の非道を繰り返 し訴えられるようになる。それに感銘を受けて詠んだ拙作〈碩学と言われし人の卒寿過ぎなお投稿す反戦の歌〉が同じ欄に載ると、直筆の礼状をくださった。「山鳩集」には)南方で戦死した従弟を悼む20代半ばの作もある。〈真青なる須磨の浦時やまず打ちてを寄れど人は帰らず〉

  本土復帰後に沖縄の戦跡をを訪ねている。〈なにゆえの戦ひなりや老い幼な死にゆける人のかくも多きは〉 (以下略)」(2019224日朝日新聞)

 

直木氏基地というのはてが何ゆえの戦かと問うのと同じように辺野古が適地という判断ミスもあるのではないか。さらに言えば、何ゆえの新基地かということも。

辺野古は軟弱地盤のため膨大な杭打ちなど地盤改良工事が必要だという。海上空港のように沈下し続けるのではないか。そこに作る意味があるのか。莫大なお金を投下してまで。

 

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県民投票の異議は [沖縄]

 

 

抵抗の系譜に学びたいし、今頑張っている人たちにエールを。

 

「亀次郎の精神 沖縄に連綿と 62

ドキュメンタリー映画 「米軍が最も恐れた男その名は、カメジロー」を見た。 米国占領下の沖縄で米軍の 圧政と闘った故瀬長亀次郎氏。銃剣とブルドーザーによる土地の強制収用に反対する運動の先頭に立った。米軍に逮捕、投獄されても、弾圧を恐れず不屈の精神で立ち向かった。1956年の出獄後、民衆に支えられて那覇市長に当選。だが、米軍の布令で10カ月で追放され、被選挙権さえ奪われた。しかし、国会議員と立場を変えながら闘い続けた。

映画を見終わって、亡くなる直前まで辺野古新基地反対を貫き、政府と対峠した翁長雄志前沖縄県知事と重なった。今、翁長氏の遺志を引き継いだ玉城デニー氏が知事を務める。戦後74年、全国の米軍専用施設の70%以上が沖縄に押し付けられている。これを普通に戻してほしいというのが沖縄県民の切実な声なのである。」(2019118日西日本新聞)

 

県民投票で埋め立てが中止にはならないかもしれない。こんな記事に目がとまりました。

 

「『負けぬ』意思表示の1票  新城和博さん 出版社編集者2019221日朝日新聞」では次のように指摘しています。

 

「選挙や投票にまつわる風景は、その地域のありようを映し出します。派手な色のポスター、横断幕やお祭りのようなのぼりなど、沖縄は独特と言われますが、投票所に三々 五々集まる県民の様子を見ると、僕はなんだかしみじみします。一人ひとりが確かに今後の沖縄のことを考えている。その静かな風景は何げないものですが、やっぱり大切にしていきたい。 今回の県民投票の象徴は若者です。政党や団体に頼らず活動し実現させた。新しい「風景」です。僕は署名活動が始まる前まで実施に消極的でした。沖縄全体が選挙や法廷闘争などで疲れている状況の中、なぜ改めて県民投票なのだろうか、と。しかし僕ら世代は2度目でも、1030代の若い世代には初めての県民投票です。有効署名は9万筆超が集まりまし た。普段は政治の話は避けがちですが、若者の「沖縄をよくしたい」という思いを無駄 にしてはいけないと多くの大人が感じた結果でした。 基地問題をめぐり沖縄には 保守・革新という違いはあっても内対日本政府となるとまとまることがあります。県議会各会派が歩み寄って条例を改正し全県実施にこぎつけたことはその表れです。この現象の根っこには、沖縄戦という共通の基盤があります。(以下略)」

 

沖縄の歴史をつくるのは国民だと思います。

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蝉の宿敵は [沖縄]

 

 

「(ひととき)宿敵がいない、この猛暑 201888日朝日新聞

 連日の猛暑で気付いたことがある。今年はいつもの年と違って、蚊に刺されることがないのだ。

 洗濯物を干したり、ちょっと庭に出たりすると、必ず3、4カ所は刺されていた。かゆくて、かゆくて。毎年、虫刺され用の薬のお世話になっていた。それなのに、今年は薬箱を持ち出すことがないのだ。

 きっと、この猛暑で、水たまりなど蚊の発生する場所が干あがってしまっているのだろう、と考えを巡らせていた。

 すると、7月24日の天声人語がまさに蚊についてだった。

 「この夏は、気のせいか、いつもより少ないような。あまりに気温が高いと、どうも蚊は飛べなくなるらしい」とあった。猛暑が影響しているのでは、という推論は当たっていた。(以下略) (千葉県柏市76歳)」

 

パソコンのまわりに庭から飛び込んできた蚊が徘徊しています。蝉は早々に泣き止んでいます。何か読んだのですが、蝉も温度によってなく時間帯が決るそうです。酷暑の夏は蝉にもつらいのかもしりません。沖縄の人たちも・・・。

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沖縄からの声は [沖縄]

 

 

「沖縄慰霊の日」の平和の詩「生きる」は次のように始まります。

 

「「生きる」

 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

 

 私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

 草の匂いを鼻孔に感じ、

 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。(以下略)」

 

マントルの熱というスケールの大きさを詩全体からも感じます。

沖縄の声を政権は聞いているのでしょうか。国民全体の責任だと思います。

 

「(声)沖縄「慰霊の日」 胸潰れるような歴史、親子で知る  43歳

 6年前、中学受験が終わった息子と沖縄に行き、息子の希望で豊見城(とみぐすく)市にある旧海軍司令部壕(ごう)に行った。大田実司令官が自決前、海軍次官に打った電報に胸を打たれた。「……沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。沖縄の置かれた現状を思い、愕然(がくぜん)とさせられた。

 平和の礎(いしじ)、ひめゆり平和祈念資料館など、どこへ行っても、沖縄の人々がいかに犠牲を強いられたのか、胸が潰れる思いがした。

 あちこちに大規模な米軍基地があるのを見て、沖縄の歴史は、侵略と支配の歴史でもあると思った。広島や長崎だけではなく、沖縄の歴史も十分学ぶべきだと、息子と話したことを思い出す。(以下略)」

 

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平和の詩 [沖縄]

<沖縄慰霊の日>平和の詩「生きる」全文(毎日新聞) - Yahoo!ニュース                                       

<沖縄慰霊の日>平和の詩「生きる」全文6/23() 12:44配信

 

「生きる」

 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

 

 私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

 草の匂いを鼻孔に感じ、

 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

 私は今、生きている。

 

 私の生きるこの島は、

 何と美しい島だろう。

 青く輝く海、

 岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

 山羊の嘶き、

 小川のせせらぎ、

 畑に続く小道、

 萌え出づる山の緑、

 優しい三線の響き、

 照りつける太陽の光。

 

 私はなんと美しい島に、

 生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

 私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

 七十三年前、

 私の愛する島が、死の島と化したあの日。

 小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

 優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

 青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

 草の匂いは死臭で濁り、

 光り輝いていた海の水面は、

 戦艦で埋め尽くされた。

 火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

 燃えつくされた民家、火薬の匂い。

 着弾に揺れる大地。血に染まった海。

 魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

 阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

 摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

 悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

 私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

 心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

 全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

 生きる事、命を大切にできることを、

 誰からも侵されない世界を創ること。

 平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

 今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

 一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 


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沖縄は知られていますか [沖縄]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「みんなの広場 沖縄修学旅行で考えた=高校生・17歳

毎日新聞20171117

 

 沖縄へ3泊4日で修学旅行に行きました。事前に現地の新聞を通じて、いろいろなことを学びました。

 ひめゆり平和祈念資料館では、私より年下の子どもたちがひめゆり学徒隊として戦争に関わっていたことを知って、とても悲しい気持ちになりました。また、平和祈念公園では、沖縄戦で亡くなった方々の名前が平和の礎(いしじ)に刻まれていました。本当にたくさんの名前があって、戦争はこんなに多くの人の命を奪ってしまう恐ろしいことだと思いました。沖縄県の人だけではなく、全国各地の人、海外の人の名前もありました。それだけの人々を巻き込んだという事実に衝撃を受けました。

 戦争の悲惨さや平和の尊さなどたくさんのことを学びました。ただ、私はまだまだ戦争について知らないことが数多くあります。これから自分で調べたいと思っています。」

 

17歳の高校生はまもなく有権者になりますが、これまで沖縄を学ぶ機会がなかったようです。今回の選挙では10代・20代の保守化と指摘されましたが、学ぶ機会がなければ仕方がありません。学ぶ機会を作ってやるのも大人の責任ではないか。

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「寄り添う」も気になります [沖縄]

 

 

201754日西日本新聞のトコさんのコラムでこんなのがありました。

「こういう間違いが最近とても多いの。洗顔フォームを歯磨き粉と間違えて歯ブラシに塗ったり、最も多い間違いは、クーラーとテレビのリモコン。テレビつけようと、クーラーのリモコンを画面に向けて操作してます。よく見るとボタンの数が違うのに、何で間違えるのかねえ。1人で苦笑いしていますが、間違いがこれ以上加速いように気を付けなきゃ。 身の回りのいろんな物に「名前シール」を貼ってみました。(トコ=コラムニスト)

 

忘れ物というか、探し物はふえますね。鍵などに発信機をつけて鳴らして探すというのもあるそうです。リモコンの使い分けはまだできていますが・・・。

 

鯉のぼりがベランダ以外にないか散歩のたびに気を付けていますがまだ見当たりません。

 

「ニュース川柳

・ベランダで屋根より低い鯉のぼり

・飽きもせず力の誇示を北のドン

・本心を失言という隠れ蓑

・再稼働テロ、ミサイルは視野になし」

 

 「沖縄に寄り添う」「被災地に寄り添う」・・・という「寄り添う」の軽さにもあきれますが。

 

 

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