身内の差別 [パラリンピック]
なぜ、身内はきびしい反応を示すのでしょうか。大分から届いたシンポジウムの記録によると、安部綾子氏は次のように述べています。
「理解がないと追い詰められる
安部
親は追い詰められている。障がいがある子が生まれたときから差別される。まず身内から「うちにこんな家系はない」と言われ、そこで遮断され、「誰に頼ればいいの」となる。行政の窓口に行っても「家族が見るのが当然でしょ」と言われる。子どもが大きくなっても働けない。すると「年金があるからいいでしょ」と言われる。地域の理解、行政の理解がないと、「しようがないよね」という気になってしまうんですよ。」
さらに、相模原事件を扱った本で障害者の家族からの寄稿では次のように重ねられています。
「相模原事件の根底にあるもの 鬼塚瑠美子
日本における障害者差別思想は、ハンセン病患者への差別、部落差別等、さまざまな人種差別とつながっていると感じる。地方に行けば、障害者が生まれると家の奥に閉じ込め外に出さない家もいまだにあると聞く。日本独特の差別思想の風土が根強く残っている。
障害者を子どもにもつ親たちは声高に言わなくとも、一人ひとりと話すと皆一様に、他人よりも身内による悲しい差別に遭っている。葬式に連れてくるな、結婚式に連れてくるな等、子どもの存在を否定される言葉を親兄弟、身内から言われたという話を聞くとやりきれない思いになる。なかには、「わが家の家系にはこんな子どもは生まれない」とあからさまに言われ、生涯傷ついた心を生きなければならない親もいる。
20年前カナダを旅行したとき驚いたことがある。この国は多民族国家であり、障害者が自然に社会にとけ込んでいるようだった。日本のようにぶしつけな視線を浴びせる人はいない。(一部引用)」(『生きたかった』)
遺伝の思想が強いのはなぜでしょうか。正しく理解していないだけではないように思います。