SSブログ

病気と闘うだけでなく [医療]

 

 

がんを患った小林麻央さんが亡くなった。闘病の大変さもあったでしょうが心から哀悼の意を表したい。各局も夫君の会見など放映されましたが、土曜日の朝のテレビで、BBC放送が、世界の人びとに感動や影響を与えた「今年の100人の女性」に選ばれたときに、麻央さんが、がんとの闘病生活以前に結婚や子育ての時間があっことなどすべての時間が私にはあったとする趣旨のコメントが紹介された。それに対するコメンテーターの話が全くかみ合っていなことに気づきました。がんとのことだけが小林さんの人生ではないことを本人が語っているのに、それに気づかないでいます。

 その後に聞いた自死を扱ったラジオで、現在は「死は生の終わりの一瞬」だと受け止められているのではないかと述べられていました。死が見えなくなっているという流れの中での藩士ですが、亡くなる瞬間は小林さんはがんとの闘い(この言葉もどうか)だったとしても人生ががんに支配されていたわけではありません。本人を支えてくれた母などの家族との生活、仕事・子育ての・夫との出会いなど人生にはいろんなことがあったという趣旨の言葉が紹介されました。凄い方だと思いました。がんの小林麻央だけが私ではないと述べているのだと思います。

 例えば、がんの〇〇さんとレッテルを貼れば、がんの面からしか見ることができなくなります。どんな障害があっても、日常の生活があります。そこでの生活を捨象して、病名でで可哀そうだとかなどにならないか。人生はそんな薄っぺらではないのではないか。小林さんはそんなことを言いたかったのではないかと思ってみたのでした。

 

013.JPG

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

LargeKzOh

ご高見です。
が、がんにかかり、治療が始まると、"共生" というようなきれいな言葉は経験されていない方々の思いやりだと感じます。
それこそ、自分の経験に過ぎませんが・・・
by LargeKzOh (2017-06-26 06:59) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

ただ泣けて見た目 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。