「詩と出会う詩と生きる」を読んで [読書]
「私たちがつむぐべき言葉
ぜひ、詩を読み、味わうだけでなく、書くことをおすすめしたいのです。書くことをおすすめするのは、書くことによって人は、はじめて自分が何を考えていたかを知ることが少なくないからです」と若松英輔氏は述べています。
ここで私は苦笑いしてしまいました。若い時には詩を書いたことがあります。ですが、ここ20年近く書いてはいません。その理由は、書いても自分の気持ちとなじまないのです。それでも、こんな本を読むのですから未練があるのでしょう。でも、書けないのは事実です。
再読『舟を編む』 [読書]
本の処分のひとつとして気になる本は再読して処分することにしています。『舟を編む』文庫版の帯には2012年本屋大賞第1位とあります。辞書づくりといっても何か想像しにくい仕事ですね。誰にもできる仕事とは思われませんが・・・。それを辞書づくりに励む人たちをていねいに描いています。
そのなかで気になった思いです。後半部分の主な登場人物の女性の岸辺さんは異動で辞書づくりをすることになります。そこで感じたことは
「わかれ道にさしかかるたび、なんとなく安泰そうな方向に流されるように、漫然と生きて仕事してきただけ。
辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向き合うようになって、私は少し変わった気がする。
岸辺はそう思った。言葉の持つ力、傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった」
誰かを傷つけたことがあったことを反省する日々です。口にしたことは戻ってはきません。残念ながら過去にしばられたままです。私の到達点はそこまでですが、岸辺さんは言葉の持つ力に気づいていきます。それを体現しているのが辞書部門の責任者の馬締(マジメ)さんです。仕事を通して社会に貢献しようとはあまり考えてこなかった日々が悔やまれます。言葉について大事にしてこなかったという思いもしています。
アメリカでも [読書]
アメリカの大統領選挙の報道がありますが、実際の所、どういう仕組みで、どのように動いているのかよく分かりません。そこでテレビにもよく出られています中林美恵子教授の「
沈みゆくアメリカ覇権 ~止まらぬ格差拡大と分断がもたらす政治~(小学館新書)
- 作者: 中林美恵子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2020/10/01
- メディア: Kindle版
」という本を読みました。大統領の権限と議会の権限など少しは理解が広がりましたが、日本と仕組みの違いがあることは理解できましたが、州と国との機能の差異には理解できないことがあります。
アメリカのある世論調査では次のような結果だという。
「トランプ大統領の経済政策運営については、回答者の42%が否定的に費用化した一方、大統領の仕事ぶりが良い、もしくは極めて良いとの回答は35%だった」(「沈みゆくアメリカ覇権」)という。そして45%が家計の状況は「ほとんど変わっていないという。なのに一定の支持があります。今後良くしてくれるという期待があるのでしょうか。
次に、コロナ禍で明らかになったことがあると次のように指摘しています。
「新型コロナウイルスの感染拡大で明らかになったことの1つに、エッセンシャルワーカーとしてパンデミックの最中にも働かねばならない層にこそ、リスクと貧困がつきまとうことが、実際の死亡率やコロナ感染率として数字に表れた」(同前)。
老いについて―5 (おわり) 永瀬清子短章集2より [読書]
「流れる髪 永瀬清子短章集2」より
「冬が来るとは
冬が来るとはどういう事か、
沢山の冬の思い出が来る事だ。
小さい時住んでいた家の勝手のあがり口の三角の板の間のつめたく凍るような肌ざわり。」
私の中では、かまどの前で火吹き竹を使っている母の姿と続く板の間の冷たさがよみがえってきます。
詩人は言う。「冬が来るという事は沢山の昔の冬が来る事だ」と。生きて来た証しとしての冬なのだ。さて、この冬を乗り切れるだろうか。未知の世界です。短章集は老いにも詩人のリアルな眼差しが感じられました。
老いについて―4 永瀬清子短章集2より [読書]
「流れる髪 永瀬清子短章集2」より
「糸巻のはじめを
詩を書くのは今を破るため、
詩を離れられないのは新しい自分の意味を探すため。
いつも糸巻のはじめをみつけようとする
死と反対の仕事―――。」
糸巻にもいろんなタイプがあるようですが、詩は糸巻のはじめだという。死とは反対の仕事なのか。そうあるべきだということか。
「糸巻のはじめを」次のページにあるのが「なぜ」です。
「なぜ五十年も詩を書くのか、ときく。
一番主な理由は『自分に満足していないから。』
天使か悪魔なら多分詩を書かないだろう。」
詩との関わりからすれば、自分は才能のなさを知り、書くことは止めたが読むことの関係を続けさせてもらっているのは何かの縁というか、受け入れてくれる人たちがいたということではないかと思います。もちろん、詩の香りをかいでいたいという思いがあるのだと思います。
この歳になっても考えさせてくれる刺激剤です。
「老
自分にやさしくする事を自分に許す、
それが老(おい)だ。」
老人の仲間入りをさせてもらっています。
老いについて―3 永瀬清子短章集2より [読書]
「流れる髪 永瀬清子短章集2」からふたつ。
蝉のようにこの昆虫は長くかかるのだ。
そしてその時間はすぐすむのだ。」
寿命が伸びたとはいえ、意識の中では「すぐすむ」かもしれません。
獲得したものは「すぐ済む」時間だったのでしょうか。
老いはそんな時間で迎えてくれるのでしょうか。
「蝉のように」の次のページをめくると「あわれみが」というのがあります。
その2連目が読むたびに気になります。
「まっすぐに流れる河はない
抵抗なしに進む考えはない
悲しめるもの
骨を曲げて眠れよ。」
最近の平和について考えます。どこがターニングポイントだったのかと。「骨を曲げて眠れよ」とは、どういうことなのか。先人の知恵を教えてもらいたい。朝ドラ「エール」も戦後の場面に変わりました。「長崎の鐘」は鳴り響いているのでしょうか。
老いについて―2 永瀬清子短章集2より [読書]
「流れる髪 永瀬清子短章集2」
「わずかの時間に」の末尾は
「老いた私を、平安について、死について、何も考えないと嗤わないでおくれ。
いま自分になりかけたばかりの私を、
ただ取り入れようと蒔きはじめたばかりの私を。」
この末尾の前には次のように書かれています。
「けれど私は家に着いた時、夕食の仕度にかからなければならない」とあります。女性が結婚して働くことが少なかった時代に生きて、今老いにさしかかり、「せまいせまい私の時間。/いまようやく小指の入る位すきまができた。」という。永瀬氏の生れた年は1906年という20世紀の初め頃です。女性の労働者の働く環境が厳しい時代だったと想像します。「せまいせまい私の時間」が老いて獲得できたとする。働く女性の先達としての苦難と誇りが感じられます。
国語辞典にないもの [読書]
コロナ禍のひとつでもあろう。ロックダウンなど生活に影響しそうなものが話題になります。コロナ禍で増えたのかもしれませんが、生活に身近ですから余計に深刻です。ロックダウンも今年流行りましたね。
「コラム デスク日記 2020/10/6 西日本新聞 社会面 吉川 文敬
「メディカルスタッフって何?」。福岡県田川市の支局に高齢女性が訪ねてこられた。本紙寄稿記事にあった言葉の意味が分からないという。
女性が所属する団体は、田川で長年、視覚障害者向けに新聞や雑誌に載った健康、料理、旅などの記事を無償で点訳。希望者に郵送する活動を続けている。利用者には高齢者が多く、記事中の日常使わないカタカナ言葉に注釈をつけるらしい。ただ新型コロナの影響で、ソーシャルディスタンスなど聞き慣れないカタカナ言葉が急増。自宅にネット環境がなく、スマートフォンもない女性は「国語辞典で調べるけど載ってなくて。困っとるんよ」とこぼした。
(以下略)」
印象ですが、まずは官僚が使い始める横文字。次に新聞が書き、庶民に伝わります。GO
TO キャンペーンなども分かりにくい。その中のクーポンとか、制度自体の説明に戸惑うこともあります。官僚に使われると、官庁では使われる言葉なのでしょうが、国民に伝わらないことも多々あります。それを新聞が使うと多くの人たちに戸惑いが広がります。ソーシャルディスタンスといっても、「社会的距離」と日本語にしても意味が伝わらないものもあります。どこかで調整できないのだろうか。
読書中 [読書]
コロナ禍のなかで繰り広げられる動きの中で、同調圧力と世間様のことを学びたいと思い鴻上尚史氏と佐藤直樹の対談本『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか』を取り寄せました。日本社会には世間様があります。有名人が不祥事を起こしたときに「世間をお騒がせしまして申しわけありません」とお詫びします。社会をお騒がせしてのお詫びではない、世間の実態を知りたくて読み始めました。休業補償なき自粛要請が始まっても不満が表立つことは少なかったように思います。その仕組みはどうなっていたのでしょうか。そんなことを知りたくなりました。
「『同調圧力』を生み出す根本のメカニズムが日本特有の『世間』なのです。『世間』の特徴は『所与性』と呼ばれる『今の状態を続ける』『変化を嫌う』です。
2020年7月5日の東京都知事選では、366万票という歴代2位、前回より約75万票も多く獲得した小池百合子氏ですが、彼女のYouTubeチャンネルでは再生数が、どれもわずか数千でした。
この『熱狂なき大勝利』は、人々がコロナ禍で生き延びるために『世間』をやむにやまれず選んだ結果ではないかと僕は考えます」と鴻上尚史氏は考えています。
私は、小池氏は毎日の記者発表で「奮闘中の姿」を見せることが選挙活動になっていたと思っていました。野党候補が一本化できなかったことにも独走を許したように見えました。
それを同調圧力という切り口から考えてみようという。理解できるだろうか。
『少年と犬』を読む [読書]
第163回直木賞受賞作『少年と犬』を読んだ感想は記憶に残る仕掛けがあると思いました。年寄りは昨日の夕食はパエリア風のものだったなど記憶にとどめるのも大変なのに、小説の背景が記憶に残っているのです。開いた本の四隅がはっきりと指定されているかのようです。葉室麟氏の作品を読んだときの思いです。自分が考えた中心から放射線状に勝手に放たれた言葉ではないのです。図として浮かんできたのだと思います。
東日本大震災と熊本地震を背景にした「多聞」と名づけられた犬と人のからみです。
■追加 散歩
朝、まだうす暗い時間でした。久しぶりに散歩をしたので、日の出時刻を読み間違えたようです。前方にお年寄りが歩いていますが、5.6歩、歩くと立ち止まります。最初はよく見えなかったのですが、足が不自由な様子。リハビリの延長なのでしょうか。私は、脳梗塞になり、16年になります。血圧測定・テレビ体操・散歩を続けていたのですが、散歩は1年ほど前からルーティンから外れることが多くなりました。意欲の低下です。先ほどのお年寄りはリハビリに託しているのでしょうか。お年寄りの背中から「がんばってごらん」と声を掛けられているようでした。