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暑すぎる夏 [環境]

 



 



「意見・見解 「昔と違う」 データが裏付け 福岡管区気象台 地球温暖化情報官 野津原昭二氏2020/8/16西日本新聞」に注目しました。40度に迫らんとする気温と言うのは人類として生き残るための方策を考えないといけないのではないかと思う。



 



130年近い観測値を蓄積している気象庁のデータによると、福岡の夏(68月)の期間を平均した気温は、年々の変動はあるものの長期的には100年間で196度上昇している。(以下略)」



 



猛暑日の日数も増えている。背景としては都市化のヒートアイランド現象もあるが、「人為起源の温室効果ガス排出量増加による地球温暖化の影響も大きい」(同前)そうだ。熱中症対策としては、エアコンの配備なども必要かと思うが、温暖化の影響を最小限にする方策を考えないといけないのではないか。熱心でない国々への国際的圧力も大事かもしれません。


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「熱源」に学ぶ [環境]

 


 


新聞の投稿にカチガラスの鳴き声を聞かなくなったという。私の住む地域にも以前は数か所の電柱に営巣中の表示があったが今は見当たらない。カラスにやられたみたいです。それにでも、公園に行けばいることもありますので全滅とは違うようです。


 


話は変わります。「コラム 春秋 2020/1/18 西日本新聞 オピニオン面 」では、麻生副総理の2000年の間、単一民族だと発言を取り上げていた。後で訂正したというが・・・。昨年成立した「アイヌ民族支援法」に先住民民族として記されていると指摘し小説「熱源」を得紹介しています。


 


「熱源」では実在したアイヌ人の姿を描いています。


「▼そうした歴史的事実を麻生副総理が失念していたというのなら、お薦めしたい小説がある。直木賞を受賞した川越宗一さんの作品「熱源」である


▼樺太や北海道を舞台に同化政策という名の迫害に耐えながら南極探検隊にも参画したアイヌらの生きざまを描く物語。「私たちは滅びゆく民と言われることがあります。けれど、決して滅びません」。主人公の言葉が胸を打つ


▼小説の最終章は1945年夏。日本の降伏後も樺太侵攻を続けたソ連軍の戦車にアイヌの女性が立ちはだかる。思えば太平洋戦争の国内最大の激戦地は琉球王朝があった沖縄だった。


(一部引用)


 


 先の大戦の犠牲者が国境を接する南北の地域だったことを思い起こさせる「熱源」です。私も知らなかったことが多く、「熱源」に教えられました。国境とはという問いかけもあるように思いましたが、どうでしょうか。


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流言ですか [環境]

 


 


 朝ドラ「スカーレット」も正月休みの話ですが、クリスマスと正月と慌ただしいことでしょう。老人の家庭は坦々と流れていくだけです。そんな生活にも影響があるCOP25は無残な結果でした。アメリカや日本、中国などの責任は大きいと思います。NGOなどの活動にも影響を与えるのではないでしょうか。


 


「春秋 2019/12/14 西日本新聞 オピニオン面 」からです。


 


 環境活動家グレタさんの意見には次世代の不安が率直に語っても、自国第一主義は強固です。ですが、次の世代の生きる環境をこわされては困ります。


 


「▼「流言は知者にとどまる」という中国の格言がある。賢明な人物はうわさを意に介さないからデマもそこでついえるとの意味。口コミやメールどころか会員制交流サイト(SNS)が地球規模で発達した今、流言飛語は厳に慎みたいが、SNSを操る超大国の大統領がこう発する時代だ


▼地球温暖化の危機を「私は信じない」。若い世代の訴えを意に介さず、自分らの利益に沿う見解を拡散させる。「天に唾する」行為では。といろんな心配をしつつ、今年も12月が走り去る。(一部引用)


 


地球温暖化の危機を信じるか、信じないか、の論争にしておくのはどうでしょうか。二度の化石賞に輝いた国では、石炭火力に今後もこだわるという。再生可能エネルギーは軽視しています。そんなかで「大木町が「気候非常事態宣言」、脱炭素社会へ推進(九州朝日放送) - Yahoo!ニュース」というのは大きなインパクトになると思いました。


 


 


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プラごみ対策を [環境]

 

 

「障害ある孫と二人三脚の夏  69

 4日やって来る小3の孫娘の夏休みが終わろうとしている。障害があって生まれた子だから、親もこの子に合ったデキストを選んで勉強をさせようとしているのが分かる。毎日2時間くらい算数、国語などを教 えた。先に手を差し伸べる と「自分でできるのに」と 怒り、泣かれることもあった。なんとか彼女のペースに合わせることができ、無事に夏休みが終わるのはうれしい。 その孫が先日、紙に何かを書いていた。「じいじ、あっち行っといて」という。 書き終えて「手紙だよ」と手渡された。宛先と送り主が逆になっているのを教え

ると訂正してきた。読んでみると、私へのお礼の手紙だった。胸がじーんとして熱くなった。

これからも孫の助けになるのなら、まだまだ元気に頑張って生きねばと思った。老いてもやれることがあるのは幸せだと思う。」(2018827日西日本新聞)

 

こういう投稿が増えればいいと思う。まだ、障害者のことは隠す傾向が強いので・・・。

知っていて気にとめていないこともあります。プラごみもそのひとつです。それには対策をまだ知られていないことがあります。キャンペーンをしてもらいたい。

 

「プラごみ対策 示してほしい 74

 以前からプラスチックの自然界への悪影響は認識していましたが、資源ごみとして正しく処理すれば問題はないと考えてきました。ところが、わが市の市報に「マイクロプラスチックが及ぼす脅威」と題した記事が載り、驚かされました。

プラスチックは水の力や紫外線により分解され、徐々に小さくなってマイクロ化し、地球上の至る所に広がり、人への影響が懸念される。ナノプラスチックになってしまうと生体組織や臓器に入り込むことも心配されるそうです。私は家庭菜園で野菜などを固定するためにプラスチック製のロープを使用しています。古くなったロープは細かい繊維が飛び散りそれを知らないうちに吸っていたのではと思うと恐ろしい。プラスチックがナノ化していく過程、人への影 響の究明、そして私たちが できる対応策を具体的に示 してほしいと望むばかりで す」(同前)

 

 

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長い秋を [環境]

 

 

新聞の投稿欄からです。

 

「美しく長い秋を取り戻したい   73

 やっと、あの暑さから解放されましたねえ。ほんと、体がどうかなるんじゃいかと思いました。でも、もう、肌寒さを感じるくらいです。私は昔の長い秋が好きでした。空は澄み渡り、夜はコオロギや鈴虫、マツムシの声がきこえ、田んぼにはかかしが立っていました。黄金の稲穂もたわわに実り ます。街路樹の黄色いイチョウ、紅葉した山々。ところが近年秋はあっと間に過ぎ、楽しむ余裕なんかありませよ 毎年のように「こんな暑い夏は初めて」と話します。一方、秋は短すぎまず。温暖化のせいでしょうか。どなたか昔のような地球をとり戻せるよう研究、発見をしてくださいませんか。」(2018107日朝日新聞)

 

同世代の私にはよく分かります。本当に長かったのかどうか分かりませんが、思い出の中では長かったのです。

 稲刈りが一大イベント。子どもまで総動員しての仕事です。学校は農繁期休みでした。非農家の私の家も学校は休みですので、隣りに加勢?にいきました。報酬は食事です。稲刈りが終わると、田んぼは野球のまねごとの場に。日が暮れるまでしていました。夕闇と共に迫る冷気。虫の鳴き声も・・・。ハゼの木が紅葉する時期でもありました。

 

 

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有明海は時間をかけて汚された [環境]

 

 

「【耕運記】有明海再生 森と里と海「連環」が鍵」(20140521日西日本新聞)で、干拓事業だけでなく、開発中心の行政の流れで駄目にされてきたことが確認されるいい記事でした。そこから引用します。

 

「 福岡、熊本、佐賀、長崎4県に囲まれた有明海。特徴は「濁り」にあり、それが「宝」を育んできたという。京都から研究に通い続けて35年、京都大名誉教授の田中克(まさる)さんは「やっと本質が見えてきた」と語る。

 島原半島と天草に外海への出口を挟まれた閉鎖性の強い海域が、ムツゴロウなど特産種をはじめ多様な魚介類と漁業生産をもたらした。その命の源は九州最大の河川、筑後川と国内の40%に及ぶ広大な干潟にある。1990年代以降、変わり果てた。「瀕死の海」となった主な要因を田中さんは三つ挙げる。」

 

私の田舎では、毎日のように有明海の魚売りの人が来ました。有明海でいう「くっぞこ」は靴底に似ている魚としてされていますが、どこでもそう呼ばれていると思っていました。

 

田中氏は有明海の機能の衰えには3つの要因があるという。

「筑後川から大量に砂を採取してきたこと。」

「河口から23キロの筑後大堰(ぜき)」

「97年の諫早湾の潮受け堤防と干潟の埋め立て」

砂は、コンクリート工事で使用されたのだと思いますが、川砂を取り尽くし、今は海砂になっています。川に続いて海が壊されています。

 

大堰は一時期話題になりましたが「85年から福岡県南、福岡都市圏などの水道水を取水している。筑後川には上流の九重・阿蘇山系から火山性の鉱物粒子が流れ込み、真水と海水の混じる河口の汽水域で互いに凝集する。大きくなった粒子の周りにはプランクトンの死骸やバクテリアなどが付着する。これが濁りの正体。この「栄養豊富な濃厚なスープ」(田中さん)は、稚魚やその前の仔魚(しぎょ)の餌となるアミ類や動物プランクトンの栄養源だ。豊富な魚介類を育んできた連鎖の基盤が、大量の取水によって崩れたわけだ。」

こうした問題が半端な形で終わったことが、潮受け堤防を許したのだと思う。

 

「三つの要因に共通するのは、人間の暮らしや産業活動が森と海のつながりを分断したことだ。田中さんは森から海への多様なつながりをひもとく学問を「森里海(もりさとうみ)連環学」と名付け、有明海再生の基本理念と位置付けた。つながりを取り戻すために「海は共有財産」という意識改革を流域や都市の住民に訴える。」

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自然のしっぺ返しでしょうか。


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速く走るものが勝つわけではない [環境]

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ボルトが世界新を二つも出しました。時速にすると40キロ以上で100メートルを走っているのだそうです。記録はどうなっていくのでしょうか。下記のような進化論の対談を読んでいると、それとは違う世界があるかもしれません。ある女子選手の圧倒的な強さに対して男性ではないかという「疑惑」が出て検査していると言います。こんな人権問題をも産み出すスポーツとは何かという説明を聞きたいものです。

 
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 篠田小説のテーマとの関連でいえば、絶え間なく変化する世界の中で、私たち自身もどう変わり、どう生き残っていくのかということに興味があります。あまりに人工的で計算され尽
くしたもの、効率的なものだけで構成された世界、あまりにかっちりした倫理的体系に基づく世界を作り上げれば、空間的・時間的に小さな枠の中では成功するが、それを超える変化が起きればひとたまりもない。それで自然から復讐をうける、といった話が好き。例えば、合理的で整然としたきれいな環境が行くつく所まで行った時に、感染爆発が起きたりするのではないかと。人間も、倫理的で合理的で正しいとされるものが、何か事が起きて集団の価値観がひっくり返った時、事態を最後に救うのは一番端っこにいたさえないやつであったりするんじゃないでしょうか。
長谷川まさに『種の起源』 にある「一番速く走るものが勝つわけではない、一番強いものが勝つわけではない、常に変われるものが残るんだ」という言葉ですね。
篠田計算され尽くした、無駄や揺らぎのない環境は、実は小さな刺激でがらがらと崩れる可能性がある。その際、「いいかげんさ」をどう呼べばいいか分かりませんが、それによって、滅亡寸前のところで小さな再生の芽を吹いてくることがあるのではないか。整然とした環境では失敗作だったものが大惨事の後に平然と復活してくる。2009821日西日本新聞 篠田節子・長谷川眞理子対談)
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今が整然とした社会なのかどうか分かりません。東京オリンピック誘致の説明では既存施設を使用するコンパクトオリンピックという宣伝がされているが、そのなかの幾つかの施設は、既存施設を壊して新しい施設を作る予定だが、意図的に既存施設使用とされているという。真偽を確かめる方法はありませんが、このようにしてまで誘致するもので性別論争や薬物使用などの話が出てくれば、それはどうなのでしょう。

いずれにしろ、「失敗作だったものが大惨事の後に復活」してくると言われると救われますね。それだけ聞いただけでも、今日はよく眠れそうです。



 
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水俣病の公式確認から53年 [環境]

 

筑紫野市の畑に行きました。筑紫野インターでの渋滞表示は10キロでしたが、これから大変でしょうね。やはり土曜日にしては車が多かったです。畑の傍の神社に藤が高い木にまつわりついてきれいに咲いていました。私のカメラではあまりとれませんでしたが。私の畑での仕事は草取り中心ですが、やはり利き手の右をどうしても使いますが、この手がいかれているので、後で痛み始めるのが分かっていて、力が入らないというかそんな感じで使います。

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水俣病の公式確認から53年の式典が開かれましたが、与党の国会議員の大半が欠席し、さらに、大臣が中座するなど誠意のない対応が続いたということでした。チッソの分社化というのはどうなんでしょう。責任回避に近いように思いますが。

水俣で忘れられないのは環境省の元局長だった山内氏の自殺です。もう、随分、昔のことですが、悩み、苦しんだ人たちに報いる解決策になっているのでしょう。

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今日のニュース川柳から

 

 突き上げる空にこぶし元気なく 西日本新聞掲載分より

 

「突き上げる空に」は労働歌「ガンバロウ」の出だしです。最近は歌わないのかもしれませんが。


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年収が半分になれば農業が息を吹き返す [環境]

 少し晴れ間が見えてきました。

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年収が半分になれば農業が息を吹き返す

今日の西日本新聞投書欄は若者特集でしたが、そのなかで仕事がないといういけど農業があるではないかという指摘がありました。先日から紹介しています宮崎駿氏の著作の中に故筑紫哲也氏との対談があります。大分前の対談ですが、現在の私たちに突きつけるものがあります。

  年収が半分になれば農業が息を吹き返す筑紫民が賢かったり、愚かになったりするとしたら、愚かな民というのは、いつから愚かになったんですかね。たとえば日本人の場合は。宮崎明治の終わりごろからでしょうね。日露戦争に勝ったこと。(幕末に)ペリーが来て、大砲で(開国を)迫られたときの散風したコンプレックスが、ずっとこの民の中にあった。それがちょっと戦争に勝ったら、今度は増長して、おれたちは一等国になったと。
筑紫
だから戦後、戦場を経済に変えただけで同じようなことをやり、また負けましたね。
宮崎
この前、一ドルが二百五十円ぐらいになるのではないかと誰かが書いているのを見て、ああそうか、年収が半分になればいいんだなと思いました。ガソリンは前よりも使いにくくなるとか、輸入品の価格は上がるにしても、みんな(の所得が)一斉に下がるわけだから、それならそれで分かるじゃない、という気がしますね。大丈夫、食えますよ。六十五円のハンバーガーはとうなるか知りませんけど、日本の農業なんか息を吹き返す可能性はあるわけですよね。中国から買えばいいではなくて、自分たちで自分たちの食うものを作ろうという、ごくまっとうな発想が、年収が半分になったほうがやりやすい。日本だけが沈むんじゃなくて、世界全体が沈みますから怖くない。ぼくらは世紀末に覚悟したはずなんです。人類は百億人になるのではなく、2億人になるかもしれない。ありとあらゆる事が起こるはずだが、それでも子どもを育て生きたほうがいいって。それで「もののけ姫』という映画をっくりました。今の文明は行き詰まった。それこそ「くもりなき眼」で、ぼくらより、これからの若者のほうがずっと遠くまで見る力を持つはずです。だからいいんですよ、ルイ・ヴィトンなんか買いに行かなくて。買い物かご下げてまた買い物に行くようになればいいんですよ。テレビゲームなんて要らないじゃない。こんなに電気いっぱい使わなくていいんだもん。お風呂、二日に一回でいいんですよ。
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不況で仕事がないから「農業でも・・」「介護でも・・」という発想に私たちが犯されている倒錯した価値観があるように思います。生きていくうえで最も大事なものが何かを意識的に奪われているのに気づかずに、押し付けられた価値観の中でうごめいているのではないかと思います。過日、天然氷を秩父で作っていた人の紹介をしていました。温度がここ30年程度 平均3度前後上昇しているとのこと。作業日誌で確認していきます。当然、氷の量が少なくなります。そして、とれた氷を持って先祖の墓に報告します。温暖化などは虚構だと主張する人たちがいます。彼らは何か利益を背負っているのでしょう。
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無垢への憧憬 [環境]

 「干と干尋の神隠し」に関しての宮崎駿氏のインタビュー内容の一部です。 

折り返し点―1997~2008

折り返し点―1997~2008

  • 作者: 宮崎 駿
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 単行本

日本人が生きるために必要なもの

監督は、『 となりのトトロ』 もののけ姫]でも、日本の草木に宿る神々 を描いていますが、なぜでしょう。

宮崎

これは亡くなった司馬遼太郎さんもおっしゃっていたことなんですけど、途中から仏教や儒教が入ってきても、結局僕たち日本人のなかには、原始的な宗教心が残ってる。たとえば僕は、「笠地蔵」って話がとても好きなんですけど、あの話に出てくるおじいさんとおばあさんってそれは無欲なんです。笠が売れなくてお餅も買えないけど、お地蔵さんが気の毒だから、雪を払って笠をお地蔵さんにさして帰ってきた。そうするとおばあさんが「いいことなさいましたね」っていうんですよ。そんなふうに生きられたらどんなにいいだろう、それで満足して、生きていくことができたら。僕はそういうおばあさんとの暮らしを夢見るんです。無垢であることは至上のことなんですよ。浄めること、けがれを払うこと、清々 しくあること、邪念をなくすことが、至上のものという考えが、この島国の人間たちの心の奥に、今なおあるんです。そういう無垢への憧憬みたいなものを、僕らは今なお心のどこかで追っている。
ですから自然保護っていうときに、ドイツ人と話すと全然かみ合わないんですよ。彼らは自然をコントロールしようとするけど、僕らはコントロールしたくない、しない場所を作ろうと思うんですよ。欲で汚さない場所を。その生態系に、何か別のものが入り込んで、変わってしまっても構わない。でも、人間の手で汚すのはやめようね、という。こういう考え方って、日本人が国際性をもてない大きな理由かもしれないけど、日本人が日本人であるための大事な部分だと思うんです。リアリズムをなくして滅私奉公とか、そういう方向に暴走する危険性をはらんでいるのかもしれないけど、地球がある種の困難に陥ったときに、自分たちにとって、大切な支えになると思うんです。世界をコントロールしきれないこと、それに対して尊敬の念と謙譲の心を持つということが。
 
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無垢であることが至上であることは自分の中に強くあります。しかし、それは、人とのコミニュケーションを円滑に進めるには障害になるように思います。司馬遼太郎の本が経営者や企業戦士に好まれた背景に「滅私奉公」というものに対する賛美が含まれているように思います。でも、否応なく無垢であることを求めている自分がいます。それは、生き方を窮屈にしているようにも思います。それは、どこかで意識的にこわさねばならないもののようにも思えますが。

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