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立花宗茂は大河ドラマになるか [歴史]

 

 

立花宗茂は福岡県・柳川藩の藩祖です。地元では大河ドラマにと動いておられるそうです。花宗川は高校時代通学時に渡っていた農業用水路です。

 

「宗茂が着手 半人工河川 矢部川から分流、23キロの花宗川 

運河と小河川を合体 農地潤し、大川家具も生む

 

 八女市で矢部川から分流し、筑後市、大木町を経て、大川市で筑後川に合流するまで約23キロを流れる花宗川。戦国末期から江戸時代初期にかけてのかんがい工事を経て完成したこの川は「半人工河川」とされる。耳慣れないこの言葉の意味を、川の歴史をたどり、探ってみた。

 八女市矢部村の釈迦岳山地を源にした矢部川は、日向神ダムを経て山間部を通り、いくつもの川と合流し次第に川幅を広げていく。星野川との合流地点より下流に約700メートル、川は石造りの花宗堰によって花宗川へ分流する。

 この川の整備に着手したのが戦国武将で柳川藩初代藩主、立花宗茂(1567~1642)だった。数々の武勲で知られる宗茂だが、地域振興にも関心が高く、1587(天正15)年に花宗川の開発に着手したとされる。花宗川の名は、立花宗茂の真ん中の2文字を取ったものだ。

 宗茂が川を整備した最大の目的は農業用水の確保だった。筑後平野は広大な農地としての可能性があったが、矢部川だけでは満たすことができず、その水をいかに有効利用するかが課題となっていたからだ。(以下略)=2017/10/03付 西日本新聞朝刊=」

 

 宗茂は太宰府の古代山城・大野城傍の岩屋城に産まれた。父は勇名をはせた高橋紹運だが現在の福岡市の東部の立花山に居城があった戸次道雪の娘闇千代と結婚し婿入りし立花姓を名乗ります。闇千代は葉室麟氏の小説でも描かれています。戸次氏は豊前の大友氏の係累です。宗茂は関ケ原で西軍につきますが柳川藩を任されます。この辺りがドラマ向けでしょうか。

 

 

 

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middrinn

なってほしいですね(^^)
関ヶ原までも大河ドラマに相応しいですけど、
関ヶ原で改易されたのに後に旧領復活する点も
ドラマチックな生涯ですものね(^^)



by middrinn (2017-11-14 09:30) 

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