SSブログ

体験者がいなくなったときに [平和]

 



 



私は75歳。戦争が終わる前の年の生まれです。戦時中の生まれですが体験を語る記憶がありません。それは何年も前から分かっていたことではありますが・・・。直接の体験を聞くことは困難ですが、体験集の出版をしておくことが大切なのではないか。例えば、西日本新聞女性投稿欄「紅皿」の1959年から10年間のなかから選んだ『戦争とおはぎとグリーンピース』には、戦時下、戦後の生活体験が生々しく書かれています。発行されたのは戦後70年の時です。



新聞には沢山の体験が蓄積されていると思います。記録を蘇生することで体験化することは可能ではないか。



 



「記者コラム2020/4/29 西日本新聞 ふくおか都市圏版 久 知邦 



 大分県日田市の民家から陸軍中将の名前が書かれた位牌(いはい)が見つかった。中将が日中戦争で戦死した部下に向けて書いたと思われることが取材で分かったのだが、小さな集落でさえも戦争の記憶が薄れていることに驚かされた▼終戦から75年、日中戦争勃発からすれば83年。当然といえば当然か。取材が難しくなったとあらためて感じた。地道に集落を歩き、当時を知る人が見つかったことで何とか記事にできたが、数年後に同じ取材ができたかは分からない。戦争体験を聞けなくなった時、どのような記事が書けるのだろう(以下略)」



 



 体験者がいなくなるのは自然の摂理です。西日本新聞には、読者投稿欄の金曜日に戦争体験が掲載されます。(休みの場合もあり)。この膨大な体験録を活かす道があるのではないか。まずはできることをあきらめないで欲しい。


003.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。