新聞に感謝 [支え合う社会]
もうこのコラムだけ読んだだけで1日が明るく過ごせそうだ。
「コラム デスク日記 2020/4/30 西日本新聞 社会面 山本 孝子
手押し車の高齢女性が、歩道の端をゆっくりと歩いている。朝の通勤を急ぐ人々が通り過ぎる中、そこだけは時の流れが緩やかだ。小さな背中は数歩歩くと立ち止まり、ゆっくりと腰をかがめると、落ちていた紙くずを拾い、手押し車にぶら下げていたポリ袋に入れた。そして再び手押し車の持ち手を握ると、ゆっくりと歩きだした。
声を掛けてみると「これが毎朝の日課なんですよ」と答えてくれた。80歳を目前に歩行がおぼつかなくなり、散歩を始めたが、ただ歩くだけではなかなか毎日は続かない。何か目的があれば、とごみ拾いも始めたのだという。「それに、皆さんのお役にも立てるでしょ」
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、参加していたサークルは休止中で、家にこもりきりだそうだ。(以下略) (山本孝子)」
私は緊急事態宣言後は散歩も「自粛」していました。まもなく喜寿の身に病を抱えていて、歩く姿も年寄りらしくなってきたと家族は言う。歩く姿など誰も見ていないと思うがやはり気になります。靴を引きずる音が追っかけてきます。近所の方には見られれたくないが見せてしまう。こちらの勝手な被害者意識であり、そんなこと露ほども思っていないのかもしれない。老いの身が恨めしい。横断歩道に立ち尽くす老人を見ながら車は一旦停止をすることもなく急いで去ります。だが、自分の若い時にどう思っていたのでしょうか。多分、年寄りが立っていると思ったかどうかも分からない。この記者は尊敬のまなざしで見ています。
新聞を読んでいて良かったと心から嬉しくなりました。「自らを奮い立たせて生きる姿を、しばし見守った。」と結ばれています。年寄りのひがみに陥っていた私の思いを恥じた。