生活不活発病? [リハビリ]
「ICF(国際生活機能分類)の理解と活用」(上田敏著)という本を読んでいたら生活不活発病ということにふれられていました。ICFはリハビリテーションに関する基本となる考え方をWHOが採択したものです。そのなかで「活動」という概念があります。障害のある人の中には、「閉じこもりで外出しない、家の中でも何もしない」という生活になると活動量の低下につながるという。
自分の場合は量の問題もありますが質の低下があると思いました。上田氏は質の低下として次のような例を述べています。
「屋内はよいが、屋外を歩くことが不自由になったというようなことです。そのため近所にしか出歩かなくなり、距離や回数という、歩行の『量』も減ります」
私の場合、歩く距離が半減したのはどこかで倒れたりしないかと不安もありますが、身体能力が落ちています。室内で歩けば何回も断続的に歩けば歩数を伸ばす事ができます。あるとき、外を歩いたら近い距離なのに足に張りがでていました。外は、室内と違ってフラットの路面は少なく坂道もあります。室内では使わない筋肉があり、低下しているのだと思います。なるべく外を歩くことにしたいが・・・。
リハビリに活かせるか [リハビリ]
近頃の流行り言葉でもある「フレイル」状態かと思う。老化の衰え、環境的な要因での衰えがあるそうです。ルームランナーで歩くのですが、腕に負担がいき、しびれる腕を刺激して痛みます。それでやめていたのですが、最近、しびれが強くならないうちに止めたらと思い再開しています。その日の調子を見ながらですが・・・。
次のコラムは参考になりました。
「コラム 気流
聞いただけで、心がすっと軽くなった気がした。「脳」の疲労と健康との関連を研究する藤野武彦・九州大学名誉教授の講演。いわく、①健康に良いことでも、嫌ならしない②健康に悪いことでも、好きでたまらないならとりあえず続ける③健康に良くて自分が好きなことから始める▽脳が疲れると、寝付きが悪かったり、食事をおいしいと思わなくなったり、便秘したりするという。イライラして、気持ちも沈みがちだ。そうした状況が続くと、肥満や生活習慣病、うつ病などにつながる恐れがあるそうだ▽「食べるな」「運動しろ」と無理強いされても、長続きせず、リバウンドする恐れがある。要は自然体。(以下略)」(2020年2月21日西日本新聞)
私の弱点は「甘いもの」を食べ過ぎることです。ごはんも欠かせません。家にいることがほとんどですので、運動不足です。「食べるな」という思いが強くあります。ですがお腹はすきますし、甘いものを食べ過ぎています。なんか規制されないと続かないように思います。
悩ましい。
フレイル再び [リハビリ]
多分、ひと月前ぐらいにフレイルについて触れたと思う。私の運動機能の低下についての説明を探していた時に、放送大学のテキストで見つけました。私の場合ですが、例えば、昨年の秋ごろまでは8000歩ぐらい歩けていました。ところが、1年前くらいから徐々に低下し、今は1日かけて3000歩が標準であり、良くて4000歩という状態です。教科書的に言うと下記のようになります。
「加齢に伴う予備能力低下のため、ストレスに対する回復力が低下した状態」だという。慢性疾患(高血圧、糖尿病等々)を持っている上に老年症候群(認知機能障害、難聴等々)が相互に影響し合う関係だと説明されています。(『高齢期の生活変動と社会的方策』参考にして)
今から頻繁にフレイルは出てきそうです。もちろん、介護必要になる可能性が高まるということで必ずなるものではないと思われます。
「健康から要介護への心身機能低下期
「フレイル」なら要介護リスク2倍
九州大、福工大、篠栗町6年の住民調査で判明
心身の機能が低下した 「フレイル」と呼ばれる状態の高齢者は、健康な高齢者に比べて、要支援・要介護認定されるリスクが約2倍になることが分かった。
共同研究する篠栗町と九州大、福岡工業大が11日、明らかにした。両大は結果をまとめた論文をアメリカの医学雑誌に発表。町は「町民の健康寿命を延ばす施策に役立てたい」としている。フレイルは健康から要介護に移る中間の状態とされ、①体重減少②活力減少 ③活動量減少④歩行速度低下⑤筋力低下のうち3項目以上に該当した場合に判定される。1~2項目の場合はプレフレイル(フレイルの前段階)と見なされる。(以下略)」(2019年9月12日西日本新聞)
自分の場合、歩行速度低下は確認していません。調べてみたいと思います。
『お待ちしていました』 [リハビリ]
14年前、脳梗塞になり、妻の車で救急病院に行きました。脳梗塞と診断が確定してストレッチャーで待機していたときに、通りかかった看護師が「また、脳梗塞か」と呟いた。もうあきたみたいな雰囲気でした。ひどいことを言うと思ったが、現場の本音はそんなところだと知りました。
新聞で知った『リハビリの心と力』を読んだときに出会ったエピソードからです。
「2か月ほど前に日曜大工で脚立から転落し、 四肢麻痩の状態になった。排尿障害や嚥下障害も いろいろなチューブにつながれた状態だった。
『お待ちしていました』
僕らスタッフは連日、重度の患者さんを受け入れていた疲れもあって、「また、(重症また来た」とナースステーションでつぶやいた。それは患者さんには聞こえはしないが、雰囲気は伝わるもので、古岡さんやご家族はそんな僕らの気持ちを察したのか、ナースステーションの前を小さくなって通り過ぎようとした。
そのときだった。古岡さんが使うベッドメーキングを終えた助手の小島さんが小走りで古岡さんを迎えにきた。「古岡さんですね、お待ちしていました」とにこにこして駆け寄ってきて、病室に案内した。ベッドはきれいに拭き上げられ、シーツもきちんと整えられている。吉岡さんはそこに横になると、ほっとしたのか、すぐに静かな寝息をたて始めた。
その病院には助手とよばれる、介護職の中年の女性たちがいた。底抜けに明るく、僕にとっては癒される存在だった。小島さんのその一人で、若い頃は保育士として働いた時期もあったが、結婚を機に退職し専業主婦となった。以前、母親の介護をされた経験から、介護の手伝いをしたいと当院にこられた方だった。 その後、入院してきた古岡さんは厳しい訓練に耐え、入院して5か月が過ぎた頃には 坐位が安定し、車椅子の駆動も可能となった。日常生活の多くの部分で介助が必要では あったが、家屋の改造も終わったので、自宅に帰ることになった。 退院の日、病院の玄関まで見送る僕たちに奥さんが、「あのときの 『お待ちしてました』の言葉に私と主人はどれほど救われたかしれません。これからどうなることかと不安と悲しみでいっぱいなときに、あの言葉はとてもありがたく、大きな励みになりました」と涙ぐまれ、その横で古岡さんもうなずきながら泣いていた。」
著者はリハビリを始めた頃だったかと思いますが、Eテレでリハビリの番組に出ておられた稲川利光氏です。。
体験記に励まされて [リハビリ]
新聞の投稿欄からです。
「(男のひといき)カメの精神で 2018年9月23日朝日新聞
3年前に大病をしてから、後遺症で右半身にまひが残った。落ち込んで、もどかしい時期もあったが、今は気持ちを切り替え、日々の生活で一つ一つのことを確実に積み上げていくように心がけている。
朝、目覚めると、横になったまま手のひらのグーパー運動をする。次に、ひざの屈伸、腹筋運動と続けてから起き上がる。少しずつ、体が言うことを聞くようになってくる。
その後はラジオ体操をして、朝食後に散歩へ出かける。歩きながら、新鮮な空気の中で深呼吸をして、道端の花や緑、景色の移り変わりを楽しむ。
ゆったりとした「ウサギとカメ」のカメの精神で、一歩ずつ焦らずにゴールを目指し、決して慌てずに生きる。慣れてくると、それが普通のことになってくる。「まだまだ自分も大丈夫」と自信も出てきて、達成感で、ちょっぴり充実した気持ちにもなる。(以下略)(富山県 無職 70歳)」
私の場合は、麻痺は強くなく、右半身のしびれと痛みが残りました。痛みは当初より大幅に軽減しましたが、残っています。
続けていることは、朝のテレビ体操が10分間。その後の散歩は1時間程度。加齢による衰えもあり、歩く距離は減少しています。散歩しながら写真を撮るようにしています。
こんな人がいた [リハビリ]
稲川利光氏のことを知ったのは脳梗塞のリハビリ時にテレビのリハビリ番組を観た頃です。分かりやすく、やさしさが伝わってきました。詳しい経歴を知った記事です。
「だから人生は面白い 佐藤弘
1954年、そう豊かではない 福岡市の家庭に生まれた稲川利光先生。ビリから数えた方が早い成 績だった市立三筑中時代、好きな女の子に注目してもらおうと勉強の末、筑紫丘高ヘ。1年間の予備校生活を経て佐賀大に行くものの祖父母の介護をきっかけに帰郷。九州大農学部に入り直します。就職は迷いながらも地場銀行に内定。入社前研修まで済ませながら「リハビリは障害のある人たちと関わり合いながら、誰にとっても住みよい地域をつくる仕事だ。「おまえ、本当に銀行マンでいいのか」という福祉施設で働く兄の言葉に決断。入社式の日に入社を辞退しました。旧九州リハビリテー ション大学校で理学療法土の資格 を取得して病院で働くうちに、医者になりたいという気持ちが募り、働きながら受験勉強すること3年。旧香川医科大に合格します。38歳で医者になるまでに味わった数多くの挫折とぬくもり。その一つ一つが血となり肉となり「稲川利光」という医者ができた「私はここに至るまで数多くの患者さんに出会い、生さることの 大切な意味を学んできました。す でに亡くなられた方もおられます が、その方々は今も私の心の中に いて、私が出会う患者さんにいつ もエールを送ってくれています」 そう語る稲川先生の周囲は、壮絶な状祝下でも人間らしく、前向きな人生を送る人たちのドラマでいっぱい。興味がわいた方は先生の著書「リハビリの心と力」(税別1700円、学研メディカル秀潤社)をお読みください。宝石のような話が満載です。(編集委員) 」(2018年7月13日西日本新聞)
リハビリをあきらめない [リハビリ]
私が脳梗塞になったのが13年前です。発症して2日目からリハビリが始まりました。リハビリの効果はどうなのかと疑問だったのですが、歩ける距離がどんどん伸びていきました。最近は老化による衰えのスピードが速いし、リハビリに通っていないので衰えるばかりですが・・・。
「(コータリンは要介護5)新年の目標は「諦めない」2018年1月8日朝日新聞
■Reライフ 人生充実
2018年が始まった。ボクにとっては、さらに新しい何かが始まる年の予感がする。ワクワクしている。
まあ、身体のほうは、年齢とともに色々な部分が後退していることは否めない。
が、リハビリは裏切らないというのも本当で、やればやるだけ返ってくる。発病直後の1年で、「これからあまり回復は望めない」と宣告されたのは何だったんだろうと思うほどだ。
そのころのボクはまだ何が何だかわからず、左半身の麻痺(まひ)やノロノロした頭の動きが、自分の中で起きていることとは思えなかった。けれど、周りの人たちは諦めずに懸命にリハビリを計画してくれた。最悪、前進はなくても後退の曲線が緩やかでいられるように。
ボクが「もういいや、このあたりが限界かな?」と思った地点もあった。だけど、手を替え品を替え、誰かが諦めようとすれば誰かが「もう少し」と言ってくれて、ここまで来た。
去年の入院では拘縮が進み「こんな短い間に」と驚いたが、それから半年、入院前ぐらいには戻った。「諦めないこと」。それが今年の目標だ。
*
こうたり・ゆうじ コラムニスト。愛称コータリン。60歳。2011年秋にくも膜下出血で倒れたが、リハビリをしながら自宅で執筆活動中」
ここに書かれているようにリハビリは180日程度までが効果があるとリハビリの期間制限が出されたのが、たしか2006年だと思う。180日という根拠はあいまいなものでしたが強行されました。先のコラムにあるように1年経過しても効果があるものだと思います。診療報酬総額を下げるためのこじつけだったと私は思っています。
良く歩けた人が [リハビリ]
新聞の連載からです。
「オトコの介護 パート3
骨折は回復 リハビリの道険し
「それでね、ベッドから車いすに移ったよ。痛い、痛いち言ってたけどね」 父(81)の見舞いに行ってくれている叔母(77)から電話が 来た。右太ももの骨折の手術 翌日、手足の曲げ伸ばしから 始めたリハビリは4日目、やっとベッドを離れるところまできたわけだ。 元通り歩けるようになるんだろうか。気になって日本骨折治療学会のサイトをのぞく。写真や図解付きで部分別に詳しく説明している。これは分かりやすい。「大腿骨転子部骨折の患者には早期からの起立・歩行を目指した訓練が必要。手術翌日からベッド上での座位訓練
が普通」。確かにその通りでした。順調です。「歩行能力の回復にはけがの前の能力と年齢が大きく影響する。よく歩けていた人はより回復しやすい」(以下略)」(2017年6月15日西日本新聞)
骨折と侮ることは危険。そのまま老いてゆく人たちは少なくないようです。筋力の鍛錬も必要ですね。
血圧が上がるのは老化ばかりではありません。
「 デスク日記
こんな乱暴なことがまかり通っていいのだろうか。暗たんたる気持ちになる。内心の自由を脅かす恐れがあると言われてきた「共謀罪」法案の成立へ、与党がにわかに動いた。しかも委員会採決を省く極めて異例の形でだ。これほどまでに急ぐ必要があるのか。
政府、与党が掲げた「テロ対策」という立法の目的は確かに耳当たりはいい。その通りならば異論は挟みにくいはずなのに、こんなにどたばたと成立を急がれると、後ろめたさのようなものを感じてしまう。しかも、成立してしまえば今国会は近々閉会することが確定。加計(かけ)学園問題に幕を引きたい思惑がみえる。
「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交った国会だったが、「共謀罪」法案採決への動きは、加計学園問題を抱えた安倍晋三首相に対する、与党議員の究極の忖度のように思える。本来、最優先すべきは国民の疑問を解消できたかどうか。胸に手を当てて考えてもらいたい。 (宮田英紀)=2017/06/15付 西日本新聞朝刊=」
足こぎ車いす [リハビリ]
歩けないから車いすを使うはずなのに、足こぎで脳卒中や脊髄損傷の人でも使うことが出来る車いすが出現。雑誌『世界』で知りました。考案者の東北大学の半田先生は次のように説明しています。
「まだ歩けない赤ちゃんの両わきを抱えて、足の裏を床につけ、前傾させると両足を交互に出して、まるで歩くような動作をするでしょ。これを『自動歩行』 というんですが、半身麻痺を抱えた方が足こぎ車いすに乗ると、この自動歩行の動きのように、『足を交互に動かそう』 という指示が、脳からではなく中枢神経から伝えられるのではないかと考えられています。結果として麻痺のある足も含めて両足でペダルをこぐことになる。これをニューロモジュレーション(神経調節)といいます」」(東北大学医学部の半田康延教授(当時)
実際、製作している㈱TESS代表の鈴木氏は
「足こぎ車いすは乗ったその日から自分で移動ができますから、日常生活そのものがリハビリになるのです。そして、何より大きいのはご本人やそのご家族が『もう一度、立って
歩くことができるかもしれない』という希望を持って生活を送れるようになることだと思います。足こぎ車いすを使うことでおのずと笑みがこぼれ、前向きな気持ちになれるはずです。これまでの『苦しくてつらい』 というリハビリイメージを「楽しいからがんばれる」という方向に変えるという意味でも、まったく新しい製品であると自負しています」。
個展案内 [リハビリ]
脳出血で利き手不自由になっても… 左手で描き油絵個展 天神のギャラリーで27日まで
7年前に脳出血で倒れ右手足が不自由になった九州産業大名誉教授で画家の豊福孝行さん(75)=小郡市小郡=が福岡市・天神(新天町)のギャラリーSELで新作展を開いている。福岡では16年ぶりの個展。描かねばならないという画家の使命感とともに、絵を描く喜びを伝えたいと、こつこつ左手で描き続けた油絵作品展だ。27日まで。
■九産大名誉教授の画家・豊福さん 「たどたどしさ、いい結果も」
豊福さんは、北野町(現・久留米市)の生まれ。明善高校から東京芸大に進んだ。九州産業大芸術学部には1968年、講師として着任。2002年、倒れるまで人体をモチーフにした絵画を指導。教育熱心で芸術学部長なども務めた。絵は静物も風景も強い線が持ち味で「会派に属せず、自然を真摯(しんし)に観察する目を重視、写実に徹した」(宇田川宣人・同大教授)。豊福さんは「生命力のある絵を求めた」と振り返る。学生には「頭で考え右手が動き過ぎる。左手で描きなさい」と指導していた。