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合理的配慮の問題では? [障がい者問題]

 



 



「論説 障害者の交通問題 心のバリアフリー大切に 10/26  佐賀新聞」はコロナ禍とも関係している交通問題について的確な指摘をしていると思いました。その中から抜粋して感想を書きました。



 



◎地域共通の問題



「駅の無人化を進めるJR九州に対し、車いすを利用している同市内の障害者が「移動の自由を侵害された」として9月、損害賠償を求めて同社を提訴」したことを取り上げ、地域社会共通の課題だと指摘しています。



 



◎障害のある人を抜きにした対応では



 JRによっては無人化が急速に拡大し、実施されているという。JR各社の実態が紹介されつつありますが、無人化した駅の連絡装置の問題などが明らかになっていない。障害のある人への説明がされていないように感じています。



 



最近の自動運転の課題も



自動運転の普及に伴う対応として「例えば都市内移動では、バスターミナルを市内のいくつかに設置し、その間は自動運転のバスで移動。到着後、ジャンボタクシーを相乗りして自宅や目的地に向かう方法が考えられる」と論説では提起しています。技術の進歩が障害のある人・高齢者を取り残していかないかと心配します。



 


 これらに共通しているのは、障害のある人や高齢者など利用者への説明などがなされていないことに問題があるように思えるのですが。な事前になされていればいいですが、情報を読んでいると説明があったという話がでてこないので気にります。

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苦い経験 [障がい者問題]

 


コロナ禍に対する各国の対応は歴史との関係もあるようです。


 


「ドイツ人が『命の価値』に関する議論をタブー視する背景には、ナチス時代の苦い経験がある。1939年にヒトラーは精神障害者や身体障害者を『生きるに値しない命』と決めつけ、各地に作った特殊施設に集めて一酸化炭素で殺害する『T4計画』を実行させた。約7万人の障害者たちが、『安楽死計画』とも呼ばれたプロジェクトによって抹殺された」(『パンデミックが露わにした「国のかたち」』)


 


 そして「メルケルは続ける『パンデミックが教えていることは、我々人間がいかに脆い存在であるかということ、そして他の人を助けることがいかに重要かということです』」(同前)


 


我が国の指導者はこんなことを語ったでしょうか。「生きるに値しない命」として決め込まれたことで、すぐに浮かぶのは相模原障害者施設での19人の障害者が殺害されたこととして身近にあるようです。それは昔のことでなく、20167月のことです。裁判は終わりましたが、国民の中での議論もまた広がりませんでした。私などが知らない場所での地道な活動が続いているようです。例えば、コロナ禍では、救命措置のトリアージの論議が深まらないままでいいのだろうか。


ドイツは昔のことでなく、歴史的経過をふまえた発言を政治家がしています。歴史から学ばなければ過ちは繰り返されます。『T4計画』そのものも広く知られているわけではないと思う。日本で紹介されたのはNHK.Eテレで数年前のことです。 


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特別支援学校に設置基準   [障がい者問題]

 

 中秋の名月と言いながら、まだ時によっては扇風機が活躍しています。大リーグが終わりに近づいたというが、この暑さでは皮膚感覚が合わない。コロナ禍もあるのかもしれません。

プロ野球も終盤なのですね。ラストのつばぜり合いに拍車がかかる様子とこの暑さの感覚がずれています。昨年までとは違う空気の中で生活してる感覚です。

 

 朗報です。というより「差別的な処遇」の改善だと認識したがいいのでしょうか。

 

「特別支援学校に設置基準 深刻な教室不足、施設整備促す 中教審が中間まとめ

9/28() 毎日新聞 電子版

 中央教育審議会(中教審)の初等中等教育分科会は28日、将来の小中学校や高校の教育が目指すべき姿について、2019年春から続けてきた議論の中間まとめを公表した。深刻な教室不足に陥っている特別支援学校の設置基準(省令)を新たに定め、生徒数に応じた校舎の大きさや備えるべき施設などを明確化して教育環境の改善を進めることを盛り込んだ。特別支援学校には小中学校や高校で定められている設置基準がなく、過密化が進んでも法令違反にならなかった(以下略)」

 

 ローカルテレビで実態を伝えていました。職員室も不足していました。支援学校の不足もありますが、問題の根幹に「設置基準」がないという根本的な問題がありました。手続き的にはまだ正式に決まったものとはいえないと思いますが、必ず設置基準がつくられ実施されることを期待しています。経過措置がありそうですが最短距離で設定してもらいたい

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コロナと障害者 [障がい者問題]

 


 


「『障害ある社会』皆で克服を 寝たきり芸人・あそどっぐさん2020/5/4 西日本新聞 三宅 大介  」では「あそどっぐさん」の名前で活動する人からみたコロナと障害者のことを取り上げています。


 


 障害者であり、一人暮しを支えるのはヘルパーさんです。どちらかが感染すれば2週間は隔離となり介助が受けられなくなります。


 かつて移動が困難な障害者としてはテレワークで働きたい人もいたが、社会のベーシックな考え方としてはなかなか受け入れられませんでした。


それについて「従来、障害者が望んでもなかなか普及しなかったテレワークが急速に拡大していますし、こうした試みが広がれば、障害者がもっと社会参加しやすくなるのでは。障害があり、なおかつ地方在住の芸人には、とてもありがたいことです」と述べてあります。社会がテレワークを標準的な働き方と受け入れれば障害者の参加も変わるのではないかと思われます。


他にも「障害があるのは「人」ではなく「社会」だという考え方」についても述べられています。こういう形でしか変わらない社会でいいかということはありますが。


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「やまゆり園」判決後 [障がい者問題]

 


 


 死刑判決が下された。だが、責任能力の有無に焦点化されたとのことです。裁判である以上、責任能力は問われることは避けられませんが、例えば、被害者の匿名問題、優生思想など「判決は下ったが、決着はついていない」(日本障害者協議会「すべての人の社会」3月号)という日本障害者協議会代表藤井克徳氏の指摘が重たい。


 藤井氏は続けて「どう向き合うか」という課題提起をしています。


「一点目は『事件を忘れない』である。『人権を守るとは忘却との闘い』という言い方がある」


「二点目は、優生思想と対峙することである。相手は社会だけではない。自身に潜む『内なる優生思想』『内なる差別』も手ごわい」


「三点目は、障害のある人が置かれている状態の好転に展望を開くことだ」


 三点についての追加説明は省略させてもらっています。私にはどれも難しい課題です。忘れることは老化による自然現象として避けられません。さらに、「内なる差別」は、長い間生きてきて降り積もっています。最後に障害者政策の好転に寄与できる状況ではないとあきらめています。


 それでも、何かできるのかもしれないと手探りしたいと思います。


 


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高次脳機能障害・医療と福祉の連携を [障がい者問題]

 


 


「『安楽死も考えた』PTSDや不眠症夫が高次脳機能障害に、妻の苦悩」(2020/2/24西日本新聞 医療面 山下 真 )を読みました。冒頭に次のように述べられています。


「脳卒中や交通事故などで脳を損傷した人に、記憶力や注意力の低下、感情をコントロールできず怒りっぽくなるなどの後遺症が生じる「高次脳機能障害(高次脳)」について、113日付医療面で紹介したところ、読者からさまざまな反響が届いた」


 


障害者施設で高次脳機能障害の人とお会いした時に、記憶障害については頻繁なメモ取りで不自由はありませんでした。キレやすい性格変化は予測しがたいことで簡単なことではないと思いましたし、頻度は少ないと思います。てんかんなどの他の病気があることもあるので医療と福祉の連携が必要だと記事を読んでの感想です。


 福岡市には「高次脳機能障がい支援センター」があります。


 


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障害者運動の40年 [障がい者問題]

 


 


てんかん協会の福岡県支部の40周年の集まりが22日に開かれました。障害者施設などでも40周年を迎えたところがあるようです。


日本障害者協議会の情報誌「すべての人の社会」1月号に「JD40周年の年頭にあたって」としてNPO法人日本障害者協議会代表 藤井克徳氏は次のように指摘しています。


 


2020年は、障害分野や社会保障全体からみると、歴史の節目に当たり、また重要な分岐点が待っています。熱狂や高揚感の中に、特段の冷静さや注意力を忘れてはならないのも2020年ではないでしょうか。


  主な節目や分岐点をあげると、自立支援法違憲訴訟に基づく基本合意から10年(年明け早々に関連企画)、「津久井やまゆり園」事件・植松聖被告人の公判開始(判決は3月に予定)、優生保護法被害問題の控訴審(判決は上半期に予定)、全世代型社会保障改革関連法案の上程と審議(通常国会にて)、障害者権利条約に基づく日本の報告書の審査(ジュネーブの国連本部で、夏に予定)などとなります」


 


日本障害者協議会の前身国際障害者年日本推進協議会もまた1980年4月19日に誕生し40年を迎えます。てんかん協会福岡県支部が1980年の413日の設立大会です。国際障害者年日本推進協議会設立と同時に福岡市国際障害者年推進協議会も参加。てんかん協会支部も福岡市に組織に参加しています。


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合理的配慮を企業にも [障がい者問題]

 


 


公文書の改ざん・隠蔽・処分がこうまで続くと、こうした行為に対する罰則が必要だと単純に思いますが、専門家によると罰則を設けると文書を作らなくなるのではないかという。


次の話題は罰則なしに対話での解決を目指しています。


2020128日西日本新聞では「障害者配慮 企業も義務 社会参加促進へ検討促す」として内閣府の有識者委員会の意見書のまとめにはいるという。障害者差別解消法では企業などは努力義務担っています。


合理的配慮とは何か 先の記事では次のように説明しています。


 


「合理的配慮


障害のある人から、障壁となる事象を取り除くために何らかの対応を求められた際、過度な負担にならない範囲で配慮すること。例えば、車いすの人が段差を移動する際にスロ一プで補助したり、聴覚障害や言語障害がある人に筆談や手話でコミュニケーションを取ったりすることなどがある。障害のある人とない人間士で理解し合う「共生社会」の実現を目指し、20164月に施行された障害者差別解消法で国や自治体などに義務付けられた。企業やボランティア団体といった民間事業者は努力義務」


 


このように過度の負担にならない範囲内での負担としています。課題があれば相互の対話による着地点をさぐるというものです。


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知らなかったこと [障がい者問題]

 


 


「生活保護、高齢者世帯が過去最多 2020/1/8 共同通信 」だという。これより前に日銀は消費税のアップの影響が少ないと発表しましたが、内閣府は11月の景気指数が悪化したと発表。既に景気拡大は終わったとの報道もなされています。生活保護の高齢者世帯が増え、個人消費が衰えていっているのではないか。 貧富の格差拡大の広がりを感じます。


 少し気分を変えて・・・。新しく知ったことです。


 


「コラム デスク日記 2020/1/8 西日本新聞 社会面 伊藤 完司」からです。知らないことばかりですね。 


 


「全盲の女性がごみ袋を触り、「これはペットボトル用」「かん・びん用」と次々に正解を出していく。「なぜ分かると思う?」と聞かれた子どもたちは驚きを隠せない。北九州市指定のごみ袋を入れる外袋には、視覚障害者用に穴が開けてあり、穴の数で種類が分かるのだという。自宅で確認すると、確かに穴はあったが、表記はなく、これまで気付かなかった。()


 同市の一般社団法人「生き方のデザイン研究所」は障害がある人もない人も共に暮らしやすい社会の実現を目指し、出前授業を続けている。遠山昌子代表理事が「何が障害者にとってバリアーになるのか、気付かないことがバリアーを生む」と穏やかに話す言葉が胸に響き、勉強不足を反省した」


 


たしかに気付かないことがバリアーを生みます。過日、ホームで転落した視覚障害者は電車が到着したと思って線路の上に転落したという。視覚障害者にとって命がけの外出なのだと改めて感じました。先日、病院での検査のおり、耳が遠くなった私には検査技師の声は小さかったので伝えました。そしたら大きな声でかえってきました。私は自尊心が揺らぎましたが、仕方のないことです。どう接してもらいたいのか、私にもよく分かりませんが。


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モヤモヤした世界 [障がい者問題]

 



 



津久井やまゆり園事件の公判が決ったという。「すべての人の社会」日本障害者協議会2019.12月号に「津久井やまゆり園事件とこれから~私たちがなすべきことは」として石渡和実NPO法人日本障害者協議会副代表は次のように伝えています。



 



「鈴木敏彦 氏(和泉短期大学教授)の講演会が、1017 ()に町田市内で開催された。これまでの経過をお話しくださった後、「津久井やまゆり園事件 が問いかけるもの」として10点を指摘された。特に、意思決定支援が強調される中で「寄り添いという名のネグレクト」という実態があるのではないか、との問題提起に参加者一同ぎょっとさせられた。同時に、納得させられる言葉でもあった。「障害が重い人の生活はこんなもの」といった支援者の「決めつけ」や「あきらめ」が、「内なる差別」を容認してしまっているのではないか。施設が「生活の場」ではなく「生存の場」になって しまっていないか。改めて、支援者の姿勢が問いただされる講演であった」



 



 根本的な問題提起だと思います。「寄り添いという名のネグレクト」というのは分かるようですが、じっくりと聞いてみたいと思う。「障害が重い人の生活はこんなもの」というのは、広く見られることではないかと思います。そして、「生活の場」でなく「生存の場」となっています。多くは、それではどこが受け入れてくれるのかという「現実」があります。



「生活の場」として機能していても本質的に障害当事者の希望にかなっているかとの問いのように聞こえてきます。もっと聞いてみたい話だと思いました。


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