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有馬藩だが [てんかん]

 



 



「有馬氏入城400年記念 石垣と家紋でロゴ 日の出イメージ 久留米市



2020/8/29 西日本新聞 玉置 采也加 



 福岡県久留米市は久留米藩主の有馬豊氏(とようじ)が久留米城に入って400年となる来年に向け、ロゴマークを作って有馬氏と市の歴史をPRしている(以下略)」という。



 



私が育ったところは旧久留米藩と旧柳川藩の境界であり、久留米藩の境界にあたった所でクリークを挟んで旧柳川藩の子どもたちと石を投げ合いました。久留米城を知ったのは、城近くの久留米大学精神科に、てんかんの治療にたまにでかけるとき、高いところにある石垣の記憶しかありません。



 高校生の時は学校を頻繁に休めないし、就職したときは定期的に通院しているとしたら解雇されるかもしれないと思いましたので、母に薬だけ取りに行ってもらいました。やがて母も老いて通えなくなり、土曜日診療があるところや、18時まで受付可能というクリニックなどを利用しました。このように母に苦労かけましたが、いつ解雇されて帰ってくるかと、玄関の戸が音をたてるたびに母は覚悟したという。



 



 数年前、久留米城に立ち寄りました。大学も明るい建物になっていました。


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勇気ある決断 [てんかん]

 


 


この頃の流行り。オーバーシュート、「ロックダウン」などの英語。専門用語だという。なんとも、なんか知らない言葉で説明されてもという感じです。医療の分野では通るのでしょうが、日本語で伝えて欲しい。「爆発的な感染拡大(オーバーシュート)」と標記する報道もあります。「オーバーシュート(爆発的患者急増)」とも。テレビなどでは日本語が省略されていることがあります。政治家が英語だけで使うのは注意してもらいたい。


 


購読する新聞の投稿欄からです。「2020327日西日本新聞 女性投稿欄「紅皿」テーマ『勇気』特集」のなかに、今は亡き息子さんの決断が投稿されていました。「言葉が出なくなっても (主婦 83歳 福岡市南区)」というタイトルです。


 


 小児てんかんと診断され、大学まで卒業されたという。ある日、てんかんの手術の記事が出てきて、その病院に行った。手術はできるが「左側の脳には言葉に関係する部分があり、そこを傷つけると声が出なくなるかも」と言われた。息子さんの決断は、言葉が出なくてもいい、てんかんを治したいというものでした。決断の裏には、てんかんということで遮られた思い、行動制限に対する積み重ねがあったのでしょうか。それから、仕事をし、恋もあり、充実した生活を送ったが、10年後、この世を去ったという。てんかんと闘った一人の先達への思いを知りました。


 


 てんかんと名乗っての投稿などが増えて来たようです。啓発事業も広がりを見せています。


 


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バレンタインデー [てんかん]

 


 


「コラム 春秋 2020/3/14 西日本新聞」からです。


「▼そもそもバレンタインデーは兵士の結婚禁止令に背き殉死したバレンタイン司祭の命日。それにかこつけて菓子でも麺でも売り込む東アジアの商魂に苦笑するしかない」とバレンタインデーの関係で語られますが、次のような関係も知ってもらいたいと思う。


 


「バレンタインとてんかんの意外な関係 提供元:ケアネット公開日:2019/02/05


バレンタインデーの由来となった聖バレンタインは、てんかんのある人々を庇護した聖人としてたたえられている。それ故、「世界てんかんの日」はバレンタインデー直前の月曜日、2月の第2月曜日と定められている。また、毎年326日をパープルデーと定めるなど、てんかんは世界的な社会啓発が進められている。(以下略)」


 


てんかんは今もって正しく理解されているとは思えません。ひきつけを起こし、倒れるというイメージが強いようですが、最近注目されている高齢者のてんかんではそのようなことはなく、てんかんであることが見逃されています。けいれんがない場合が多いのです。他の病気と間違われることが多いという。てんかんが子どもの病だという思い込みが強いのですが、最近では高齢者のてんかんが注目されています。もちろん、若い人のてんかんも少なくないのですが、高齢者のてんかんとしての見方から診察されることが一般化していないことを伝えたいのです。


 


今年の秋、アジアてんかん学会議が福岡市で開かれます。


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天神ビル [てんかん]

 


 


「天神の“元祖”高層建築「天神ビル」の秘密 有田焼のタイル85万枚 2020/1/30西日本新聞 ふくおか都市圏版 石田 剛 」には、進む天神の再開発の中で今も当初の姿を保っている背景などを伝えています。私が就職して福岡に出てきたのは58年前です。天神ビルが完成したのが19606月だという。


 


記事は次のように始まります。


「再開発で高層ビルの建設計画が相次ぐ福岡市・天神。天神の“元祖”高層ビルといえば、天神交差点の北西側に立つ「天神ビル」だ。当時の先端技術を結集し、19606月に完成したビルは、「摩天楼」などと呼ばれ全国から注目された。築造から60年、天神の中心で今なお存在感を放ち続けるビルの軌跡をたどった」


 


天神の交差点には路面電車が走っていました。岩田屋の真向かいに天神ビルがありましたが、人の流れは岩田屋に隣接する西鉄福岡駅があり、人の流れも天神北側にはあまり流れていませんでした。北側に人が増えたのはダイエーが昭和通り(50メーター道路と呼んでいたように記憶しますがどうかな)の郵便局横にできてからだと思います。


 


 勤務先の途中で、天神ビルを見上げた時に、病を抱えたまま働くことに対する心もとなさに震えたときの青空を思い出します。


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忘れない恩 [てんかん]

 



 



2019103日西日本新聞の投稿欄に「父の亡き後に支えられ感謝 77歳」として、「あのいまわしい戦争で父と叔父が戦死した。息子2 人を失った祖母は毎日のように仏壇の前にいた。祖父 にとっては私だけが後継ぎ」となり、祖父に厳しく育てられたという体験が綴られていました。肉親の愛情とは深くいろいろだと思いました。



 思い出すのは、18歳で高校卒業し、就職。勤務地は福岡市。福岡県の田舎から転居。高校1年の時にてんかん発症。朝方に多く突然倒れていました。それでも、試験を受け、病気を隠していました。そのことの意味をあまり感じていませんでした。独身寮が満員で空くまで待つことになり、その間、姉と義理の兄の新婚夫婦が住む社宅の1室に世話になりました。今思うと狭い社宅です。迷惑なことだとその時は考えていませんでした。自分のことで精いっぱいでした。いくら図々しい同居と言っても「悪いな」という気持ちがあったのでしょう。半年で近くの公団住宅に転居しました。



 先日、久しぶりに姉夫婦と会いました。あの時は迷惑をかけましたと改めて伝えることができました。


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「こちらあみ子」を読んで [てんかん]

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

  • 作者: 今村 夏子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/06/10
  • メディア: 文庫

 

ちくま文庫版の帯には又吉直樹氏の「愚直であることは人の美点だと思う」とあります。文庫本には表題作以外もありますが、「こちらあみ子」を読みながら感じたことがあります。

藤沢周平氏の作品だと主人公の説明と展開が具体的です。だが、ここには突然、兄が不良学生となり、母が流産したあとの「産後うつ」みたいになり、寝たきりの生活になり、主婦の仕事を放棄します。そして、次々と記憶が飛んでいきます。それは、私の記憶とも重なります。病弱でひきつけをよく起こした幼児期、そして、てんかんに移行した高校生活以降の10年間ほどですが、記憶が相当断片的です。そのことで困ったことはそんなになかったのですが、「こちらあみ子」を読みながら追体験しているように思えたのです。勝手な思い込みですので作品とは関係はありません。

 てんかんという障害当事者として語りたいと思いますが、どこかその時の思いとかけ離れているように感じていました。当時はただ、もがいていただけではないか。てんかんに関わる立場の人は多様です。そのなかで障害当事者の感覚は大事ですが、その感覚が消えていき、理屈になっていると気づいた時に、自分の立場とはと問い直しました。

 本を読んで触発されたことです。 


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てんかん講演会 [てんかん]

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てんかんの子どもの受け入れは [てんかん]

 

 

一時期に比べれば、難治性てんかん以外の人の受け入れは進みつつあるのではないか。進んているかはよく分かりませんが、てんかんの講演会に保育士の参加があることを感じます。ですが、難治性の場合は厳しいようです。

 

「難治性てんかんの幼児…保育園入園率、母親就業率低く2018101日読売新聞

 難治性てんかんの幼児は保育園の入園率が低く、母親の就業率も全国平均を大きく下回ることが、患者家族会3団体の合同調査でわかった。

 複数の抗てんかん薬を使用しても発作を繰り返し、発達の遅れもあるドラベ症候群、ウエスト症候群の患者家族が対象。昨年5月、インターネットで364家族にアンケートを行い、206家族(57%)から回答を得た。

 昨年4月の入園率は34%で、全国平均より8ポイント低かった。3歳未満に限ると23%にとどまり、全国平均を12ポイント下回っている。母親の就業率は24%で全国平均の半分に満たず、介護などで働くことが難しい実態が浮かんだ。

 通園経験のある患者家族のうち、園側から何らかの条件や制限を設けられた割合は、33%に上った。発作を鎮める座薬の使用は、2016年2月から保育園の職員もできるようになったが、22%で対応できていなかった。

 発熱による発作が起きやすく、発作も止まりにくいドラベ症候群は、ウエスト症候群より入園率が低く、入・通園に際して条件や制限があった割合も多かった。

 調査結果をまとめたドラベ症候群患者家族会の伊藤進さんは「てんかんの子どもを安全に預かってもらうため、保育園の職員向けに、病気の理解を助ける手引の作成が求められる」と話している。」

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大丈夫と聞かれても [てんかん]

 

 

2018526日西日本新聞の投稿欄からです。

 

「救急車見守る配慮必要では 57

友人が嘆く。「家族の急病のため救急車を呼んだが、家の周りに人だかりができている。ニヤニヤ笑いながら見る人もいる。心配 というには程遠い興味本位 のやじ馬。『見せ物じゃないんだぞ!』と叫びたい気 分だった」と。 好奇心や怖いもの見たさ は、誰もが持つ本能だろう。とはいえ、場合によっては 、「見て見ぬふり」をする心遣いも必要だ。慌ただしく動き回る救急隊員に、あれこれ話しかけ、 業務を妨げるような人もいる。人の命がかかった一刻を争う救急現場。そっと見守っていたい。 急病で家族が倒れ、人が集まってくるのが嫌で救急車の要請をちゅうちょしていたが、われに返り119番し命をとりとめたという話も聞いた。(以下略)」

 

救急車のお世話になりました。てんかんの発作でしたので救急車で運ばれる頃には意識が回復していましたが。知人が「大丈夫?」と声を掛けてくれましたが、なんと返事して良いか。便利にはなりましたが老人にはついて行けません。 

 

「老眼に助っ人音声検索便利 50

老眼になると漢字を調べる時に大変困る。スマートフォンは便利だけど、表示される漢字は小さすぎる。いつも眼鏡を外して画面に顔を近づけていた。それが最近、高校生の息子がスマホの設定を変えてくれたおかげで、文字が大きく見やすくなった。就活に生かすためTOE

ICを受けることにした。 ただ今度は英単語の検索が 面倒だ。無料の辞書アプリを使い検索してきたが、入力するのも手間がかかり、つづりがほとんど間違っている。候補として表示される単語の中から探すことを繰り返すが、老眼にはこたえるし時間もかかってイライラする。そこで考えたのがスマートフォンの音声検索。の意味は何ですが?英語で尋ねてみると見事にヒッ ト。(以下略)」

 

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恐ろしいことが―遺伝すると言われて [てんかん]

 

 

40年ほど前のてんかん講座では必ず遺伝子しますかという質問が出ました。てんかんといっても分類すると多岐にわたります。最近の研究では、遺伝子が確認できるのはごく一部のてんかんに限ります。てんかんだから悪い遺伝子とされるのも問題ですが、多くの障害者もまた遺伝という問題が高いハードルになりました。特に、出産・結婚では・・。

 

「優生思想呼ぶ差別意識

出産反対に苦しんだ障害者 藤原久美子さん

10代で1型糖尿病を発症し、 合併症のため34歳で視覚障害者 になった。ずっと欲しかった子 どもができたのは40歳の時。でも医師にも母にも「病気の影響で障害のある子が生まれる可能性がある」「視覚障害があるのに育てられるのか」と中絶を勧められた。 「おめでとう」と言ってもらえるはずなのに、私のおなかにいることで喜んでもらえない子どもかかわいそうで、ただ悲しかった。それでも絶対に産みたかったし、夫に背中を押されて出産した。元気に生まれた娘の手足は、この世のものとは思えないような柔らかさだった。娘はこの春、中学生になった。私が出産に反対されたのは障害者だからだ。女性であり障害者である仲間と、自分たちが直面する生きづらさについて語り 合うようになり、私がこんな経 験をしたのは世の中に優生保護 法の考え方、優生思想が残って いるからだ、と気付いた。 「障害や病気はあってはいけ ないもの」「障害のある人はかわいそう」。こんな意識は誰の 中にもあると思う。相模原の障害者施設殺傷事件が起きた時、 被告の考えに共感する意見をイ ンターネット上で見た。優生保護法の問題は終わっていない、 時代が逆戻りしていると感じた。 「子を産む、産まない」を国が決め、自己決定権を奪ったのが優生保護法だ。子宮摘出や放射線照射など法で禁止されていたことも行われた。法律を背景に、勝手に決めつけた「不幸な子」を生まない運動が各地で起こった。恐ろしいことだ。そこに障害者や女性に対するさまざまな差別があることを学ばなければならない。そして自分の中にある差別意識と向き合い、どうすれば克服できるのかを考え続けていく必要がある。」(201854日西日本新聞)

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