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若いホームレス [自己責任論]

 

5月の温度だと言います。この気温変動に体がついていけません。くしゃみが続きます。

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若いホームレスが増えているという指摘が続いていますし、支援する人たちからも、その声を聞きます。自治体は保護費の負担に音をあげています。

 

そのいくつかを紹介します。

『ビッグイシュー』という雑誌をご存知でしょうか。福岡では天神の西鉄グランドホテル周辺の路上で販売されています。1冊300円で、販売している人たちに収益が分配されます。ホームレスの人たちの支援になっていますが、雑誌は若者を対象にした読みやすいものです。値段も手ごろで、私など年寄りも読みやすい気がします。その発行元の代表の佐野さん次のように語っています。

「問題は若いホームレスが増えていることです。日本のおじさんホームレスは、身体をはって日本社会のインフラをつくってきた人たちだからみんな自分に誇りをもっているんです。だから、反社会的な行為、犯罪には走らない。でも、若いひとは弱いし、路上は怖い。半分以上がうつ的状況を抱えているんです。そうすると、自殺、クスリ、そしてクスリのお金のために犯罪ということになりやすい。だから、若者ホームレスは、反社会的行為に走っても不思議ではない状況におかれているんだよと言いたいですね。ホームレスの若年化は、日本社会の底の底を揺るがす事態だと思ってます。たぶん、日本の社会自体が耐えられない。政治家にも官僚にもそういう厄機感がまったくないですからね。」(週刊金曜日)

別の号の同じ雑誌で雨宮処凛さんは次のように指摘しています。年末の公設派遣村での体験をふまえてですが。

「「公設派遣村」を取材して驚いたのは、「若い人が多い」ということだ。本当に普通の、渋谷なんかを歩いていそうな若者たちがホームレス状態になっているという事実は、ショックを通り越して呆然とするものだった。若い女性もいたし、夫婦やカップル、子連れの人もいた。そうして八○ 人以上がこの年末年始、「公設派遣村]で命を繋いだ。若い人に話を聞くと、やはり[親に頼れない」という人が多かった。]

「親が行方不明、連絡がまったく取れない。そんな人がたくさんいた。「家族」に頼れないことで、あっという問に路上に追いやられる若者たち。しかし、「若いホームレス」がいるという光景に、この国の人々 はある程度「慣れ」てしまったように感じる。」
「そんな「公設派遣村」に対して、「二○ 人が二万円もらって逃亡」というようなバッシングも起きている。しかし、「ワンストップの会」が一月一二日に記者会見で語ったところによると、外泊者は四十数名。二○ 人という数字は事実無根で[朝食とタ食を食べた人の差ではないか」と都の職員も指摘しているという。入居者は「急いでアパートを探さなければ」という思いから五時半の夕食に間に合わなかった人も多く、また、連絡しようにも、施設の連絡先さえ教えられていなかったという。]

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あるテレビでは、助けてといえない30代の路上生活者を映し出します。こうなったのは自分の責任だから、「助けてとはいえない」というのです。それに対して、「公設派遣村」に対するパッシングが続きました。その主な新聞社が憲法改正を主張しているとこであったのは偶然なのでしょうか。そして、不正受給という攻撃が続きます。こうして、国民同士の叩き合いが仕組まれていきます。

   
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世間と新自由主義 [自己責任論]

 

今日は体調が芳しくなくて、じっとしています。

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先日から、世間論が新聞に紹介されていました。よく理解できていないところもありますが、次のような指摘にはうなずきました。

 

学校での「世間」の暴走に着目し、学校がプチ世間化していると説く。子供たちは、その中でいじめやシカトに遭わないよう、グルーブや仲間につながり、優しい関係の中で竦み合い、過剰同調することを強いられていると分析する。ケータイの世界にも「世間」の暴走を見て取る。それは、みんなメールに縛られ、内容はともかく、すぐに返事しなければ落ち着かない「即レス(レスポンス)」強迫症が蔓延しているからだ。さらに職場では、「世間」が求める人間になろうと過剰同調した結果、うつや過労死が広がっているとする。「ここ数年、この日本で、生きづらいと感じている人が急激に増えている。その大きな原因は新自由主義の台頭にある。より具体的に言えば、小泉政権以来の構造改革や規制緩和によってもたらされた自己責任論や成果主義などに対して、それとはまったく違う原理を持つ『世間』がアレルギー反応を起こしているからだと思う]
「世間論」から現在を解析佐藤直樹九州工大大学院教授2009912日西日本新聞)

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世間の掟とは「贈与・互酬の関係」(贈り物のお返し)「身分型」(年功序列、長幼の序)「共通の時間意識」(「出る杭は打たれ」)「呪術性」(友引に葬式をしない)などだそうだ。カッコ内は例示です。そして、次のような分析もあるという。

 例えば、昨年起きた秋葉原無差別殺傷事件を「ヤケクソ型犯罪」に分類し、背後に「世間における格差拡大がある]とする。「K 被告は、自分はモテなかった、不細工だった、襲撃対象は誰でもよかったと言っていたが、犯行の底には、世間から自分に対する尊重・敬意が得られないという、妬みや疎外感がある。彼の襲撃対象は、自分を尊重し敬意か払ってくれなかった『世間』そのものではなかったのか」  
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生活保護の受給を受け付けずに他都市に移送 [自己責任論]

  歩いていたらせみの鳴き声がしてきました。今年初めてではないかと思ったりしましたが、どうでしょうか。そろそろ梅雨も明けそうですね。寝苦しい夜が続いています。 ホームレスの人を福岡市近郊の市役所が福岡市内の支援団体のところに移送したのことです。

 朝倉市 ホームレス置き去り 福岡市の支援団体会場に2009712 

 福岡県朝倉市教委の職員が今月2日、市の体育センターなどに寝泊まりしていた無職男性(62)を福岡市博多区のホームレス自立支援団体の相談会場に連れて行き、置き去りにしていたことが11日、分かった。男性はその後、所在不明になった。生活保護法はホームレスの保護希望者を現地の福祉事務所が担当するように義務付けており、市側は「認識不足だった」と対応の誤りを認め「男性の居場所が分かれば責任を持って保護したい」としている。 支援団体の関係者によると、朝倉市教委から1日、支援団体のスタッフに「ホームレスの男性がそちらに相談したいと言っている」と電話があった。スタッフは同市で生活保護を受けるべきだと指摘したが、市職員は2日、男性と自転車などの所持品を市のワゴン車に載せて相談会場を訪れた。市職員に「帰りはどうするのか」と尋ねると、職員は「本人には説明している」と答え、男性と所持品を降ろして帰ったという。 男性は相談会場で「(朝倉市の職員から)生活保護や仕事についてここで相談するように勧められた。生活保護を申請したい」と話していた。 朝倉市教委生涯学習課によると、男性が公共施設でたき火をするなどしたため、市教委が「危険」と判断し立ち退きを求めた。同市福祉事務所に相談したが「住居がないと生活保護は申請できず対応できない」と誤った認識で断られ、男性に民間団体の支援を受けるように勧めた。同課は「親切のつもりだった」と釈明している。西日本新聞
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この記事でもよく分からないのは、教育委員会が建物から排除するために動いているようですが、福祉事務所は自らの問題としては認識していないようです。住所がないと駄目ですと、今まで何度繰り返したのでしょう。それは、出先事務所だけの不始末なのでしょうか。そして、このように大都市に移送するのが常態化しているとも言う。面倒なものには関わりたくないというのが露骨な感じがします。群馬での施設で生活保護の人たちが焼け出されましたが、行政責任をさして問うことなく、施設の防火責任に矮小化した行政とマスコミの責任はもっと大きいのではないかと思いますが。

 
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自己責任論の水脈 [自己責任論]

 

「耳の聞こえない僕をわかって」という10歳の子どもの投書です。

(朝日新聞)

「僕は聴覚障害があります。いつもは補聴器をつけています。でも、その日、僕は油断していました。補聴器をつけていなかったので、後ろから来た外車の男の人にクラクションを鳴らされたけれど、聞こえなかったのです。(略)道の端に路上駐車している別の車があり、それを避けて少し真ん中に寄った時です。わ母さんが振り返って手で合図してくれ、僕は外車に気付きました。男の人は車を止めて何か言っていました。でも、僕には分かりませんでした。家に帰ってから、お母さんにどんなやり取りをしていたのかを聞きました。お母さんは「この子は耳が聞こえません。すみません」と謝ったけれど、男の人は「障害があるなら、息子の後ろについて走れ」と言われたそうです。だけど、僕は後ろで大きな音がしても聞こえません。わかってください。」

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急いでいたのかもしれません。でも、障害があると伝えても文句を言う人には通じないのかもしれません。寛容なき社会なのか、特別の人だったのか。過日の全盲のピアニストの賞賛の裏に「善意の押し付け」を強く感じます。がんばった人は受け入れるが、頑張っていない人は受け入れないという反応を感じます。妻はあなたの思考は被害者意識だからとよく言われますが。

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ここにも自己責任論が [自己責任論]

  

昨日の朝日新聞投書に「個人で入れる雇用保険望む」というのがありました。臨床心理士の妻で非常勤3箇所の掛け持ちで生活しているということです。それだと、雇用保険の加入要件の緩和などの改善とは無関係になるとしています。雇用保険という呼称は失業保険という呼び名に私たちの世代は慣れています。失業時のセーフティネットだったのですが、失業手当をあてにして働こうとしないという論理で「雇用保険」に呼びかえられました。ここでも、失業を個々の責任にしたいという発想があり、企業の責任を問われたくないという考え方が色濃くあります。

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先の投書は「国民年金が自営業のための制度であるように、まじめに働く労働者が何らかの形で失業手当が受けられるようにしてもらえないでしょうか。」という至極真っ当な要望です。さらに「いつ切れるか分からない不安定な職種を選ぶのがいけない、と言われても戸惑いを覚えます」とも述べています。こうした無益な自己責任論が出てきて喜ぶのは誰でしょう。「ある自治体の臨床心理士の募集要項は『犯罪被害者の心のケア月給10万で15 万円』でした。」としています。こうした仕事に対する不当な評価の低さも問題ですね、

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だが、この仕事の質をどう評価するかもあるのかもしれないと思いました。臨床心理士の一人が書いた本に病院でのクレーマーが増えたのは「患者様」と呼ぶようになったからだと述べていました。お客様扱いにしたからだということです。だが、「患者様」と呼んでくださいと患者サイドが要請したのでしょうか。結果の分析だけでは小手先だけになってしまうように思いましたが。

  
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国民をしばる「自己責任論」 [自己責任論]

 先日、テレビで、有名な司会者が「ネットカフェ難民」支援策に関連して、「仕事などさがせばどこにでもあるのに」とコメントした。仕事があっても暮らせない人たちがいることはまだ知られていない。この国では、貧困問題は知らせず、調べようともせず、貧困であることは、努力しない個人の責任だと繰り返し語られてきた。ワーキングプアは注目されているが、どの国にもある格差だとされ、貧困の問題になっていないことも示している。そして、その理解を妨げているのが自己責任論という強固な意識でもある。
職場ではどうなっているだろうか。私が労働組合員であった頃、組合に所属したものは管理職には登用しないという話が流れると、脱退者が続き、瞬く間に組織率が2割程度に落ち込みました。同時に、派遣社員を含めた非正規労働者が増えていった。だが、労働組合も非正規労働者の組織化に成功しなかった。賃金が低い中で、正社員と同じ組合費を払っても、得られるものはないというのが主な理由だった。この一連の流れは、労働運動の再編問題ともからみ、非正規社員が大量に生まれ、多くの貧困層を産み出していった。これだけ企業に都合の良い仕組みが易々と実現したのは、労働組合の衰退とリンクしているが、貧困問題が可視化されず、派遣社員の問題が社会問題にならない背景には、国民の中にある意識の問題とも結びついている。10月号の特集は「労働、社会保障政策の転換を」ともあるように、単なる仕組みだけでなく、国民の意識にも迫るものとして期待して読んだ。
 私は、障がい者福祉に関わっているが、この分野でも「自己責任論」が大手を振っている。障害者自立支援法では、応益負担が問題だと書くと、「障がい者だからといって甘えるな」という言葉がいつも返ってくる。国民も負担しているのだから、障がい者も負担すべきだという単純な論法なのに支持される。それは、「痛みに耐えろ」と言った首相の言葉に熱狂した人たちを想像させる。障がい者の収入が他の国民と同じレベルであれば成り立つ議論なのに、そこは無視される。
障害者自立支援法は当初の法案名称に「給付」という名前があった。その背景は「負担なければ給付なし」という保険主義の考え方が強く、「給付」は削除されたが、考え方は残った。当時の厚生労働省局長は国会で「サービスは買うものだと、みんなが買う主体になると」ということだと国会で述べた。買えないと思った人たちの何人かは心中事件を起こした。さらに、障害者自立支援法では事業所への報酬が大幅に切り下げられ、賃金ダウン、非正規雇用が増加するなど、非正規雇用の増加を国が政策的に誘導した結果となった。 
このように、「自己責任論」が蔓延している中で、高齢者介護も家庭の責任にされてしまう可能性が高い。根気よく、事実を知らせる努力が必要だと痛感している。
雑誌『世界』11月号

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高校生に自己責任を求める橋下知事 [自己責任論]

高校生に自己責任を求める橋下知事

執拗な自己責任論10

 「日本は自己責任が原則」と語ったのは私学助成についての高校生との懇談の場でということです。関西テレビのニュースによると私学への助成金28億円の削減についての懇談の場。
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 高校生は「私立にしか行けなかったんです。家は決して裕福ではなく、父親は中学3年生の時にリストラにあいました。橋下知事は『子どもが笑う大阪に』とおっしゃっていましたが、わたしたちは苦しめられています。笑えません」、「僕は今、私立の高校に通っているんですけど、僕の家は母子家庭で、決して裕福ではなくて、僕はそんな母をこれ以上苦しめたくないので、私学助成援助を減らさないでください」と窮状を訴えた。これに対し、橋下知事が「なぜ、公立を選ばなかったんだろう?」と質問し、「公立に入ったとしても、勉強についていけるかどうかわからないと(教師)に言われて」と高校生が答えると、「追いつこうと思えば公立に入ってもね、自分自身で追いつく努力をやれる話ではあるよね。いいものを選べば、いい値段がかかってくる」と反論した。(略)さらに、別の高校生が「大阪の財政を良くすることは、わたしたちが苦しむことなんですか?」、「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」と涙ながらに訴えると、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。
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 そして、 
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「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と語った。さらに、高校生から「それはおかしいです!」と意見が出ると、橋下知事は「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」と反論した。

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 なにかを追加することもないのですが、恵まれた人生を歩んできた人の自己満足の世界のようにみえます。なぜ、公立を選ばなかったのかという質問に彼の考えは込められていると思います。私立を選んだのだから自己責任であり、道路は必要だからそちらを削るつもりはないという。結局、弱いものいじめなのです。
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がんばれば正社員になれる? [自己責任論]

がんばれば正社員になれる?

執拗な自己責任論9

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朝日新聞の土曜日の連載にニッサンのゴーン氏のものがあります。913日は「非正社員」のことが取り上げられています。そこで、次のように語られています。

「もしあなたが非正社員で、正社員になりたいと強く望んでいるならば、正社員以上によい成績を上げればいい。誰もが「彼(彼女)はすごい」と評価するでしょう。」

正社員になりたかったら、正社員以上の成績を上げればよいとしています。そこには、非正社員になったのは「あなた自身の責任」だと前提されているようです。全国500万人の派遣社員などのほとんどは正社員を希望して、駄目だったのに、それは無視されています。さらに、「正社員以上」という高いハードルを課しています。このように自己責任を強調する人たちは、スタートラインが違うのを無視します。そして、がんばらないから駄目だと語るのです。

簡単に正社員になれますかという次なる質問に対しては「言われたことを受け身でやるだけなら、決められた期間で雇用関係が終了することもあるでしょう。でも、やる気があって真剣に仕事に取り組み、それを周囲が認めれば、機会さえあれば会社は採用します」生産ラインで働いていて、真剣に働くことの差がどの程度可能なのでしょうか。これらは、正社員にしないのは労働者側の怠慢だと語っているのです。彼の経営哲学がよく見えてきます。決して、カリスマ経営者ではなく、普通の経営者が、より徹底して合理化したために、経営を改善できたに過ぎないように見えます。

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雨宮処凜氏が雑誌『世界』の対談で鎌田慧氏の『自動車絶望工場』に出てくる期間工に対する派遣社員の感想として「自分たちよりまだましだ」ということを紹介しています。工場では期間工の下に派遣社員は位置づけられているという。先のゴーン氏の「ありがたいお話」は、どこから出てきているのでしょうか。

そもそも派遣社員というのは1985年までは日本にはなかったのです

     
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扶養義務は続くのか [自己責任論]

執拗な「自己責任論」を考える⑧

 

 生活保護や年寄りの介護などの話になると、家族として当然面倒みるべきだと自民党は述べてきました。それが、日本の美徳でもあるとして。その根底には、家族には扶養義務があり、生活保護であれば、申請前に親族に助けてもらうように迫ります。介護保険も、家族介護があることを前提にしています。また、精神障がい者に対しては家族の保護義務さえ課しています。

民法では

「(扶養義務者)877  直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。   家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。   前項の規定による審判があった後事情に変更を生じたときは、家庭裁判所は、その審判を取り消すことができる。」「 世帯単位の原則(生活保護法第10条)     生活保護は世帯を単位として要否を判定し、その程度を決定する」 「精神保健福祉法第20    精神障害者については、その後見人又は保佐人、配偶者、親権者、又は民法上の扶養義務者が保護者となる」 

例えば、老後の生活についてどのように国民は考えているのでしょうか。政府が実施した国民全体の意識調査「高齢期における社会保障に関する意識等調査報告書」によると子どもとの同居などを希望する人は3割ほどで年々減少しており、それだけに所得保障が望まれています。扶養を期待できる環境にないことを示しています。しかし、法的にも、文化的にも、家族の扶養義務という観念は強く、障がい者の将来を悲観しての心中事件が続きます。

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扶養義務が一貫しているかといえば、ところが、後期高齢者医療制度では、子どもの扶養家族として健康保険に入っていた人も脱退させ、強制的に加入させました。これについては、自民党の一部から、今までの主張と異なるので修正したらという意見もあったが、手直しはされていない。この矛盾は彼らにとって大きい。障害者自立支援法でも、基本的には世帯単位の収入に基づく負担を求めているが、団体の反発で一部は障がい者本人の収入によることに訂正されましたが、家族に扶養義務があるから、世帯単位が基本です。後期高齢者医療制度では切り離しておいて、都合のよいように使い分けています。扶養義務という考えは、日本人の考えをしばっています。それが、心中事件の背景にあることをもっと強く指摘する必要があります。  
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ネットカフェ難民/再考 [自己責任論]

執拗な「自己責任論」を考える⑦

 

 先日の昼のみのもんたが司会する番組で、ネットカフェ難民に対する貧困者対策を取り上げていました。みのもんた曰く「好きでやっているのだろう」「仕事さがそうと思えばいくらでもある」という趣旨の発言をしたことを取り上げました。みのさんや私たちの年代では想像しにくい状態です。私たちの感覚では正社員が普通でしたし、派遣社員が沢山いる職場をあまり経験していません。バブル崩壊と共に、企業の要請に応える形で非常勤社員、派遣社員を増やしていったのです。先の番組では、若い司会者も同調していましたので、年代だけではないかもしれません。

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湯浅誠氏は『反貧困』では次のように述べています。

「ネットカフェ難民」についての自己責任論は、① ネットカフェで暮らすようになる前に、他にアパートを維持する選択肢があったはずだ(もっと安定した仕事に就く、親に頼るなど)、② 「ネットカフェ難民」は、あえてそれを選択しなかった、③ 本人が弱くていい加減で、安易に「泊まれるから」と流れていった自己管理ができていない」からだ、④ それは本人の責任である、⑤ お金が貯まらない、生活が大変だと不満を言うのは御門違いであり、社会が甘やかしているからだ、と展開する。 

安定した仕事を得ることができれば良いが、年収200万以下の人たちが1000万人を越えていて、世帯数の18.9%あります。日雇い派遣などの生活では収入が安定せず、10万円程度の手取りの人も少なくないのです。自己責任を問う前に事実を調べることが大切ですね


 
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