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時代の空気が [平和]

 


 


 最近、テレビを観ていてやたらと敬礼するシーンに出会う。日曜日の昼過ぎに自衛隊員と遭遇したタレントが敬礼をしていた。どのくらいの思いで敬礼しているのだろうか。私などは特攻隊員が飛び立つ前の最後の敬礼が頭にこびりついていて、敬礼に対するアレルギーがあります。似たような話だろうか。年代の違いだろうか。


 


「コラム デスク日記 2020/11/23 西日本新聞 社会面 吉井 剛 


  『行けっ、必殺ゲンバク攻撃!』。にぎわう公園に響いた幼い声にドキッとした。小学校低学年のグループが、カードゲームで相手モンスターを打ち負かそうと、自分のモンスターの持ち技を互いに連呼している。そのうちの一人が、自ら名付けたオリジナル技の名を叫んだようだ。(以下略)」


 


 子どもに問えば平和授業で凄い爆弾と習ったという。そんな爆弾ならやっつけられると思ったとも。時代が変われば変化する。40年前なら敬礼の意味が問われたかもしれない。時代の空気は存分に重たいのではないか。


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想像力というが [平和]

 



 



今年の原爆忌でもテレビと地域のサイレンに合わせて祈るだけでした。核兵器禁止条約の署名・批准を求める声が相次いだのに・・・。過日の朝刊に次期アメリカ大統領に何を期待しますかというのに「拉致」問題というのがありました。違和感がありました。拉致は日本の問題ではないか。アメリカの応援をという意味でしょうが・・・。



 



話は変わりますが・・・



 



「コラム デスク日記  2020/11/10西日本新聞 社会面 河野 潤一郎 



 すごい女子高校生がいるのだなと感心した。佐賀県鹿島市の鹿島高校2年、川崎花笑(はなえ)さん(16)は、1024日に高校近くの慰霊碑前で開かれた戦没者追悼会を企画した。



 彼女は今夏、高校生平和大使に選ばれたが、コロナ禍で街頭署名ができず、身近な戦争被害を調べた。高校の記念誌を読んで戦時中の学徒動員先で空襲などの犠牲になった先輩たちのことを知り、27年も途絶えていた追悼会を開くことを決意した(以下略)」



 



「平和の誓い」全文



https://news.goo.ne.jp/article/nishinippon/region/nishinippon-1000657665.html



 



10名の先輩女学生の死亡を知り追悼式典を開くことにしたのか。稀有な感性と真摯さで現実とふれあい、そこから平和の誓いを固めていったかが分かります。ひとつの伝承の歩みが他の地域で花開くことを願います。戦争体験者が少なくなっていくむ必然の中での在り方に対する貴重な事例だと思います。



 



誓いの初めの方に「ささやかな小さな会ではございますが、この会を挙行できますことを心からうれしく感じます。戦没者のみ霊に深く祈りをささげます」と述べています。学徒動員で特攻機の部品作りや修理などをしていたという。75年前とは私の人生とほぼ同じです。想像力の差でしょうか



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伝えること [平和]

 



 



 大相撲九州場所のはずの東京場所が8日に始まりました。正代関が大関になってどんな活躍してくれるのか。かつての大関であった琴奨菊関が十両でどんな意地を示すのかと思っていたら、2横綱の休場だという。横綱の誕生の難しさを感じました。最近注目しているのは琴奨菊関が所属する佐渡ヶ嶽部屋の力士たちです。幕内に数人の力士が次々と出てくるのに部屋の雰囲気を想像しています。若手が琴奨菊関のがんばりをどう見ているか。楽しみです。



 



 話は変わります。



西鉄大牟田線の筑紫駅の空襲で亡くなられた方の話は15年ほど前の新聞で知りました。想像もできないほど小さな駅でした。今の筑紫駅の西側の公民館があり、隣り合うように保存されていました。今は少し移動しています。その後、近くに史跡が発掘された折りに見ましたが、コンクリートの建物に保存されていました。銃弾が貫通した痕があります。



 



 



「コラム 春秋 2020/11/6西日本新聞」からです。



 



「この夏、東海テレビ(名古屋市)の若い記者が75回目の終戦の日の企画で、護国神社の参拝者に片っ端からインタビューした。そこから偶然が重なり、ある軍人の九州での死の全貌にたどり着いた



▼ジャーナリスト大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ調べてみた



▼番組には「父は福岡で終戦1週間前、米軍の空襲で戦死した」と語る男性が登場。ネットのニュース映像を偶然見た人が福岡県筑紫野市役所の草場啓一さんに連絡した。「あなたが追うあの事件の関係者では」



194588日の「西鉄筑紫駅列車銃撃事件」。旧筑紫駅で満員の上下2列車が米軍機の機銃掃射を受けた。犠牲者名簿は現存せず、草場さんは死者100人以上とみて調査を続けている(以下略)」


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ひとつの論理なのか [平和]

 



 



「コラム 春秋 2020/10/1 西日本新聞 」からです。



 



「♪つぎの夜から 欠ける満月より/14番目の月が いちばん好き。荒井由実さんの「14番目の月」。きょうは中秋の名月。旧暦815日の「十五夜」に当たる。ただし、暦と月の動きとのずれで、いつも満月とは限らない。今夜は満月の1日前、14番目の月だ



▼<この世をばわが世とぞ思ふ…>と詠んだのは藤原道長。この世界は私のためにあるようなもので、満月のように欠けたところは一つもない-と権勢の絶頂で (以下略)」



 



 朝ドラ「エール」は戦時中の風潮が取りあげられています。音楽は人生を豊かにできるものであればいいという音に対して、戦意高揚のためにならなければ意味がないとする同調圧力がかってきます。裕一は召集されますが軍歌による功績で召集解除になります。音の妹は特高に尾行されるが、発表できない小説でもいいから書き続けるという。時代に翻弄されながら生きていく人たちに感銘を受けます。裕一を戦争に加担した人だという人もいるけど、そうした人たちも含めた人たちがいて今の私たちがいると思う。その人たちへの「エール」を感じながらドラマをみたいと思う。


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磁力がある街 [平和]

 



 



9月21日は「敬老の日」で「世界アルツハイマーデー」だそうだ。いずれも受け入れて貰えているだろうか。「敬老の日」で65歳以上が28%だという。敬老の日の祝いの形も様々なようです。品物のプレゼント・現金給付など様々ですが後期高齢者になれば何かの祝いがあるような気がしますがどうでしょうか。65歳以上をWHOは高齢者ととしています。



 



話題は変わりまして、「コラム 風向計 917日のヒロシマ 小出浩樹2020/9/16西日本新聞 」読みました。



 原爆被災地は9月17日枕崎台風にみまわれます。



 「暴風はその日のうちに広島に達し、太田川流域で多くの堤防が決壊した。その後列島を縦断し、3756人の命を奪った。このうち2012人が広島県内の犠牲者だ。



 ノンフィクションライター柳田邦男氏の著書「空白の天気図」(1975年初刊、2011年復刊)に、その史実を教わった」



 



一度の台風で2千人余の命が奪われているのは尋常ではない。被爆により公的機関が機能しなかったという。柳田氏はまた、「不思議な力を持つ街である」と評しているそうです。柳田氏とは違う街の空気に触れられるかもしれない街だと感じました。


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水となるか [平和]

 



 



■水



新聞の戦後75年を記念した連載です。



 



「戦後75年 言葉を刻む



 



とにかく、水。水が一番恋しかったなあ 言葉を刻む(78



2020/9/5 6:00 西日本新聞 社会面 」



 



■再放送



NHKで「戦争童画集」(再放送)をみました。戦後75年にふさわしい内容でした。



 



■選挙権



 



「コラム 春秋 2020/9/3西日本新聞」からです。



「▼安倍1強政権の恩恵にあずかった人々が、その継続を求めたか。政策論争は棚上げし、勝ち馬に乗ってポストを得る算段か。派閥のボスが密室で談合して人事を決めた古い自民党政治がよみがえったよう



▼投票権のない大多数の国民は「国のリーダー選び」を黙って見守るしかないが、その評価を次の国政選挙で示すことはできる。(一部引用)



 



総裁選は予備選がほとんどの地方組織で取り組まれた。党員の意見を聴かないで利権争いをしているように見えてきました。党員の声さえ無視する組織に国民の声などどうでも良いことの証左ではないか。 敏感な地方組織は予備選をやることで、党員拡大の大義名分を守ることができた。公認争いなどでも党員拡大の実績が大切だと言われていたと聞く。だが、それがどれほど建前の話だったということになります。



 



悲しいかな、次の国政選挙まで覚えているだろうか。命が尽きているかもしれない。



 


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誰かを呼ぶこともなく [平和]

 



 



■餓死



 



「戦後75年 言葉を刻む 2020/8/27 西日本新聞 



天皇陛下でも、母の名を叫ぶでもなく、周りが気付いたときには死んでいた



 (島根県安来市、足立健吉さん)



 



 陸軍の一員として19441月、ミクロネシア連邦モートロック諸島サトウワン島に上陸した。当初は米軍の爆撃を受けたが、戦線が北へ移ると敵にも味方にも忘れられた島になった。長さ2キロ、幅700メートルの小島で飢えとの闘いが終戦まで続いた。(以下略)



 =2005年山陰中央新報取材、当時85歳」



 



死がいささかの感傷を排除して存在していたのだろうか。そういう体験をしたことがないので分からないこともありますが、先の大戦では公表はされていないが、研究者の推定では過半数が餓死だという。公的な統計は発表されていないようです。食べる物がない状況で命令に従うものにとって、言葉もなく死に行くしかなかったのだろうか。



 



■横文字



テレビで、エビデンス・プロパー・アラートなど使っているが正確に理解しているのだろうかと問いかけていました。新聞の投書欄にも、「熱中症警戒アラート」「ソーシャルディスタンス」など日本語で表したらどうかと意見が載っていました。横文字使用の源はどこか。


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8月15日 [平和]

 



 


■8月15日


8月24日の村田喜代子氏の「この世ランドの眺め」(西日本新聞)では、渡辺白泉の俳句「玉音を理解せしもの前に出でよ」が引用されています。村田氏は続けて


 


「雨に濡れた日本列島に日が射し、本が訪れた。新聞・テレビは終戦特集で今年もまた昭和天皇の玉音放送が流れる。そういえば以前見たテレビのインパール特集で、この地方の村人は夕方になるとあまり外に出ないと語っていた。日本兵のさまよう姿が今もあるからだという」


 


渡辺白泉は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という句で知った方です。脳溢血で亡くなったという。


 


70代と60代の差


 西日本新聞の女性投稿欄「紅皿」に69歳の方が60代と70代の違いについて、70代の老いたイメージの強さに抵抗感があるという趣旨の投稿があり、それに共感する投稿がありました。70代には後期高齢者というのが待っています。私の体験では60歳で脳梗塞になり、75歳で2回目の脳梗塞となり、その度に体力の低下がありました。気分の問題もありますが、現実に老いを感じています。60代と70代の違いは私の場合はありました。


 


 


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爆死証明   [平和]

 

■4枚の爆死証明

 

「コラム 春秋 2020/8/15西日本新聞 」からです。

 

「『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び』。75年前の今日、全国に流れた玉音放送。玉音とは玉のような音、転じて天皇の肉声を指す()

▼長崎の自由律俳人松尾あつゆきは玉音の瞬間をこう詠んだ。<降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(おこ)りつ>。伴侶を焼く炎を見つめる空虚な心に玉音はどう響いたか(一部引用)

松尾氏は原爆で3人の子を失い、14日に妻も失うとコラムは続きます。

<なにもかもなくした手に四まいの爆死証明>と俳句を詠んでいます。

この事実をどう受け止めるのか。

 

■雑感

日除けがわりも兼ねてゴーヤを妻が育てていた。収穫時には2本の実がなった。今年は不作だという。原水爆禁止の大会が開かれている頃でした。今では40度にも迫る気温の夏がやってきた。高校野球の大会が甲子園で繰り広げられていましたが、応援団の制限などもあり寂しさは否めない。

コロナ禍で奪われたものの大きさが気になる。東京に住む家族はオンラインによる在宅勤務の長期化に疲れています。通勤での疲労がない代わりに、なんのためにここに住んでおく必要があるのかと問うているようです。コロナ禍はどんな社会になるのだろう。テレビは消費増税論議が始まっていると伝えています。

新聞の電話投稿欄に「災害時に避難の手伝い」をしてくれる人がいないというお年寄りの声が再び。新聞では社協(社会福祉協議会)に相談したらとありました。

 

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戦災孤児 [平和]

 


 


コロナ禍で朝ドラへの影響はどうなのでしょうか。コロナ禍とはいえ再放送では見る意欲が湧いてきません。といっても内容を記憶していないこともあるのに再放送というだけで見ないというのは理不尽だと我ながら身勝手だと思います。主人公の古関裕而氏の「♪緑の丘の赤い屋根」は幼い頃よく耳にした歌です。


 


「デスク日記 2020/8/8 西日本新聞 今井 知可子 


  ♪緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台-明るいメロディーに合わせて、高齢者たちが生き生きと体を動かす。3年ほど前から時々取材に行く高齢者教室での印象的な場面。曲を作ったのがNHK朝ドラ「エール」のモデル、古関裕而(190989)なのだと、つい最近知った。


 終戦間もない4750年に放送されたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌だという。「父さん母さん、いないけど」という歌詞が気になっていたが、戦災孤児たちの共同生活を描いたドラマだったのだそうだ(以下略)」


 


そうです。孤児だけでなく、戦後の空気として身に沁みているように感じます。ドラマの記憶はありませんが、主題歌は今も強く印象に残っています。ラジオは鴨居の下に台があり、そこに置かれていたのである程度大きくならないと聞けなかったので兄たちが聞いていたのでしょうか。


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