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先の戦争は [歴史]

 


 


所変わればと言いますけど・・・。


「コラム 春秋 2020/11/11西日本新聞」では、「京都人が『先の戦』と言えば、太平洋戦争ではなく応仁の乱のこと-はよく聞く話。古都の歴史自慢かと思っていたら、今でも500年以上も前の内戦終結をお祝いしているという。京都・西陣の人たちだ」という。


11月11日は応仁の乱が終わった日として奉祝祭が行われているそうです。11年に及ぶ争いは名前ほど、実態は知られていなかったそうですが、呉座勇一著『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』で知られることになったと言われているそうです。この本によれば、このなぜ戦乱が起こったのかよく分からないし、最終的勝者が誰かも分からないという。分かりづらい戦だったようです。そんなものが11年間も続いたというのですから、庶民には迷惑なものです。奉祝祭が行われたはずです。


 


 もうひとつの大戦は終わって75年しかたっていない。私は76歳。終戦時は0歳11か月。記憶など残っていません。どう受け止めて後世に伝えるか、世代としての宿命なのかもしれませんが。


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歴史を記録する活動 [歴史]

 



 



琴奨菊関の十両からの出発について以前書きましたが、福岡県出身の松鳳山関のこともふれておきたい。元気のよい相撲が特徴ですが、今場所は十両からの再出発です。初日は勝ちましたが、勝ち越して幕ノ内に復帰して欲しい。



 



こんな記事がありました。



「肥前・筑前街道の魅力知って 保存団体が案内表示板設置 那珂川市2020/11/8



西日本新聞 社会面 上野 洋光 



 文化庁の「歴史の道百選」に選ばれている肥前・筑前街道の保存整備に取り組む福岡県那珂川市の市民団体が街道沿いに案内表示板を取り付けた。



 平安時代に造られた街道は、博多から佐賀・神埼に向かうのが肥前街道、神埼から那珂川市に向かうのが筑前街道と呼ぶ。那珂川市の5団体は2年前から市内の約15キロで倒木の片付けや草刈り、石畳の補修などを行ってきた(以下略)」



 



そして11月の案内表示板を設置して完了するそうです。地道ですが大切な活動だと思います。2018101日に那珂川町から市に移行したばかりです。私の手元には「那珂川町の『歴史を学ぶ会』」の「さいふまいりの道」という労作があります。太宰府天満宮の天神信仰でお参りに行くルートの調査結果です。私の住むかつてのニュータウンにもさいふまいりの道があり、枝垂桜が残っているという。確認した記憶があります。今では場違いな桜ですが歴史を感じる桜になりました。今は残っているか確認していませんが。


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筒描き [歴史]

 



 



明治時代と江戸時代を比較して下重暁子氏は次のように述べています。



 



「むしろ江戸時代の方が人々は貧しくとものびのびと暮らし、独特の文化を生んだ。私がパリで展示した筒描きをはじめとし、浮世絵、落語、歌舞伎、今、私たちの身のまわりにある文化の礎は江戸期に生れた」(『老いも死も、初めてだから面白い』)



 



筒描きとは「デジタル大辞泉の解説」によれば



「染色の糊置(のりお)き法の一。紙または布製の円錐形の筒に防染糊を入れ、糊を絞り出して模様を描くもの。筒引き」とあります。



 



 私の年代では、江戸時代は士農工商という身分制度で縛られている社会だと教わりました。最近の研究では身分制度はあっても庶民の知恵と逞しさで暮らしてきたようです。このように歴史も見直しが進んでいます。有名な鎌倉幕府の1192年(イイクニ)と覚えさせられましたが、実際はもっと早かったようです。


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小倉の街の始まりか [歴史]

 


 


 北九州市小倉北区内で4年ほど勤務したことがあります。旦過市場の前も何度も通りましたが、中をゆっくりと歩いたことはありませんでした。博多も港湾都市ですが、小倉も似たような歴史を歩いているようです。


 


「随筆喫茶 街から学ぶ学生たちの挑戦 竹川大介」では旦過市場(たんがいちば)の由来を説明されています。


 


「旦過の歴史は知られているよりずっと古かった。それどころか市場があるこの場所こそ小倉の街の起源かもしれない。古代には海岸線は今よりずっと内陸にあった。旦過の近隣には中島や天神島という地名が残っており、これはおそらく河口にできた砂州の小島である。


タンガという名の語源は、禅宗の宿坊である旦過寮から来ており、かつて全国各地に存在していた典型的な門前町の呼び名である。中世には、このあたりを起点に埋めたてが進み、港湾都市が形成されていったのだ。(一部引用[o1] )」(2020823日西日本新聞)


 


地名としては、古船場(フルセンバ)というのも気になります。旦過市場の呼び名は「タンガ」で宿坊だというのは知りませんでした。そんなところが面白いのですが。勤務していた場所の近くの金田は「カナダ」と言います。なにがしかの背景がありそうです。タンガは全国各地にあるという。


 


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 [o1]


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今年の博多山笠 [歴史]

 


 


・「コラム 春秋 2020/7/15西日本新聞 」によると博多祇園山笠の始まりは次のようなことだという。


「▼ユネスコ無形文化遺産の博多祇園山笠は博多の総鎮守である櫛田神社の奉納神事。起源は諸説あるが、1241年に臨済宗の僧、聖一国師が施餓鬼(せがき)棚に乗って祈祷(きとう)水をまき、疫病の退散を祈願したのが始まりとされる


▼勇壮な「舁(か)き山笠」や豪華絢爛(けんらん)に福博の街を彩る「飾り山笠」など、ほとんどの行事は諦めなければならなかった。ただ、すべてがなくなったわけではない」


 


起源については先の説が通説だとされています。私が聞いた話では、昔、飢饉があり、施餓鬼台にのって食糧を配ったというものがあります。


今年は主な舁き山笠が中止になりましたが、飾り山笠は櫛田神社に今年分が飾られているようです。


 


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・市民の苦痛だということでは、香港のことが気になります。そういう前に日本のことが心配だよという声が聞こえてきそうです。どちらも共通するのは長期政権です。アメリカでは4年で決着がつきそうです。巻き返しがあると思いますので、予断を許しませんが。


要は国民の思いですが・・・。


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歴史案内板 [歴史]

 



 



市民団体の地道な取り組みです。歴史好きにはたまらないものです。



 



「『秀吉、筥崎宮に本陣』 電柱に博多の歴史案内看板2020/7/12 西日本新聞 ふくおか都市圏版 手嶋 秀剛 



 筥崎宮(福岡市東区箱崎1丁目)前の電柱に、豊臣秀吉が九州を平定した際に、同宮を本陣としたことなどを紹介する看板が設置された。博多の歴史を案内する電柱看板を通して、まちおこしに取り組む市民団体「ハカタ・リバイバル・プラン」(立石武泰会長)が作製した。(以下略)」



 


 博多から名護屋城までの道路、朝鮮出兵の折に秀吉が使ったので「太閤道」と呼び、旧唐津街道と絡みながら行った道もあり秀吉関連の史跡は他にもあります。例えば、筥崎宮に滞在した折り、利休が野点したといわれる「利休釜掛けの松」が九州大学医学部構内に残っています。歴史の視点で秀吉の評価は異なると思いますが、事実を刻むところから始まるのだと思います。

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藩の誕生 [歴史]

 


 


 歴史に興味を持ったのは中学の社会科の担当教師の影響だと思います。記憶が薄れお名前が思い出せないのですが、授業が終わってから八女市の装飾古墳の見学に連れて行ったりしてもらいました。60年安保の盛り上がりの時代でしたので、組合活動にも熱心な方のようでした。自転車通学が多分3年生は許されたと思いますので、3年生だと思います。そうだとすると1959年です。


 


 歴史小説では「藩」が単位のものが多く、藤沢周平の海坂藩(うなさかはん)という架空の藩などがあります。『藩とは何か』で藤田達生氏は、藩の誕生を彦根藩と藤堂藩だとしています。しかし、江戸時代は藩と呼ばれるのは稀で、「国」または「家中」と呼ばれていたという。


 


「藩の誕生とは、一般的に国替・入国→織豊系城郭・城下町の移転→新田開発による郷村の 整備という順でおこなわれ、都市と村落社会との間で人や物資の大規模な循環創出を伴う、 かつてない規模で地域社会の景観を一変させる歴史的事業だった。近世城郭は、城下町と一体で設計され、城下町には武家地・町人地・寺町というゾーニングが施される。その前提として、上水・下水の確保などの生活インフラの整備があった。また街道の城下町への引き込みもおこなわれたが、それには藩内外の人と物資の移動も念頭に置かれていた」


 


『藩とは何か』では、「都市プランナー藤堂高虎の津城下町建設に注目」し、高虎の貢献について述べています。


織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)とは、「織田信長・豊臣秀吉およびその配下の諸大名が建設した城郭の総称。瓦屋根や石垣、天守閣などが特徴」(デジタル大辞泉)


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残ってきたもの [歴史]

 


 


知らなかったことですが、博多松囃子が「博多どんたく」の始まりと関係しているのは知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城(現在の東区名島)松囃子を仕立てたのが始まりでだとういう。名島城の近くに神宮皇后の三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったという伝説がある石があります。名島に一時期短期間住んでいたことがありましたので見たことがあります。もちろん、帆柱が化石になるわけがありませんが。禁止令が出たのは小早川秀秋の時だそうです。


「博多どんたく」は53日・4日です。舞台が町中に設けられ市民のグループが踊りまわりまわります。3日か4日に雨が降るというジンクスがあるようです。


 


 


「コラム デスク日記2020/2/16 西日本新聞 社会面 手嶋 秀剛 


 「通りもん」と言えば博多の老舗の菓子が有名だが、もともとは「博多どんたく」に繰り出す素人芸の余興隊のことだ。江戸時代、新年の祝いに博多の町衆は松囃子(まつばやし)を仕立て福岡城に入った。松囃子に浮かれてついてきた、町人たちの仮装や山車が「通りもん」の始まり。現在のどんたくパレードも先頭は博多松囃子で、後に続くどんたく隊を通りもんに見立てている。


 どんたくの起源とされる博多松囃子だが、大通りのパレードだけでは真骨頂は伝わらない。松囃子は福博の商店や会社などを一軒一軒訪ね歩き、祝って回る祭事だからだ。(以下略)」


 


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「さいふまいり」 [歴史]

 


 


大宰府といえば元号の関係で「梅花の宴」が行われた大宰府政庁跡に隣接する坂本八幡宮が一躍有名になりましたが、「さいふまいりの道」の案内表示があります。標識にも「宰府参拝道」とあります。親戚のお婆さんが「さいふまいり」に行ってきたと話していた頃、「財布」にまいるとは何事かと思っていました。「那珂川町の『歴史を学ぶ会』」の出版物によれば「宰府のお宮に参るということから『宰府参り』と」呼ばれるようになったという。


 


「江戸期の「さいふまいり」描く 九州歴史資料館で天満宮境内絵図展2020/1/28西日本新聞 九州+ 南里 義則


 江戸、明治両時代の太宰府天満宮(福岡県太宰府市)と周辺を描いた絵図を集めた企画展「太宰府天満宮の境内絵図」が29日、九州歴史資料館(小郡市)で始まる。江戸時代、庶民の間で菅原道真公をまつる同天満宮を参拝し、周辺の名所旧跡も訪れる「さいふまいり」が爆発的に流行した。当時の天満宮周辺とその変遷を描いた絵は関心を集めそうだ。322日まで。(以下略)」


 


九州歴史資料館は開館:9:3016:30 (入館は16:00まで)、交通アクセス)西鉄三国が丘駅から徒歩で約10分。65歳以上は無料だと思います


 


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歩き方も時代で変わる [歴史]

 盆と正月が一緒に来たようと言いますが、大袈裟ですが75歳の老人にとって驚きの出来事でした。自費出版の本が2冊届きました。礼状は送りましたが、感想をまとめないといけません。当然、自分とは違う人の息遣いです。その呼吸に合う時間が必要な気がします。感想がまとまらない言い訳のようにも思いますが・・・。外の空気が感じられない日々ですので貴重な機会です。楽しみながら、読ませてもらいます


 時代劇は難しい。他のコラムでしったことですが、脚本に「私は細川ガラシャ」という台詞があったというが、その時代は夫婦別姓が基本だという。どこかの国会議員に知ってもらいたいことでもあります。ですが、歩き方まで違うのだとはなかなか分からない。時代考証というのも難しそうです。


 


「コラム 朝刊太郎の雑記帳 「七人の侍」をもう一度2020/2/6 西日本新聞上別府 保慶 」からの話題です。 


 


「映画やテレビの時代考証を担当した武術家の名和弓雄さん(北九州市生まれ)はその著書「間違いだらけの時代劇」(河出文庫)で昔の日本人の歩きを演じる難しさを指摘している。


 「昔の人は、士農工商みな、手を振って歩くことはしなかった。両手を肩から前後に振って歩く現代の歩き方は、幕末、明治初期、舶来の洋式軍隊調練の『歩調とれ! オイチニイ、オイチニイ』が日本人に定着して以降の近代的歩行法である。侍は左手で袖口を、右手は白扇か鉄扇を握り、袴の膝上に当て、上体をピンと伸ばして両手を動かさないで歩く。農家のおやじさんは胸の前に両腕を組んで歩く…」(一部引用)


 


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