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過去に学ばない国という

 


 


コロナウイルスの検査について「風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く場合」の基準を見直すことの是非について国会の論議をたまたま聞いた。厚生労働大臣は、37.5度が4日以上続く場合については、あくまでも目安であることを繰り返し通達してきたので理解していないはずはないという答弁を繰り返していました。このやりとりは記憶で書いているのですが、「ごはん論争」というのがあったのと似ていると思いました。上西充子氏著『国会を見よう』での説明を借りると


「朝ごはんは食べなかったか」


「ご飯は食べませんでした。(パンは食べましたがそのことは黙っときます)」


論点のすり替えをして質問時間を空費させ、国民をあざむくことを定着させたというものです。大臣としては野党の追及をかわすことで才能を示そうとしたのかもしれません。野党は、37.5度が4日以上ということで亡くなった人がいるのではないかと追及していました。大臣は通達を出しているのだから責任を問われる筋合いはないと言いたいのでしょう。ですが、テレビでも繰り返し体温37.5度・4日以上と伝えていました。それを訂正させなかったのはなぜか。全部を見ていないので、そのことを知りたいが説明されたのだろうか。ところが、17日の西日本新聞がこの大臣発言を「国民の誤解」だというものだったというと伝えています。テレビがこの発言を取り上げたのでしょうか。


 


2020510日西日本新聞の「新型コロナと文明 最悪想定しない国民性 思想家 内田樹」はタイトル通り「最悪を想定しない国民性」の結末を述べています。


 


「『東京五輪は予定通り開催される』も同じである。『開催されないかもしれない(その場合にはどう対応するか早めに対応策を講じた方がいい)』ということを考えた人は組織委内にもいたはずである。でも、黙っていた。口にしたとたんに『不吉なことを言うな』と一喝されることがわかっていたからである。『予定通り開催される』という祈りを、『開催しない』という 決定が下るまで唱え続けるのが『日本流』なのである。 同じように、感染拡大に備えて人工呼吸器や検査セットや病床の確保をしないできたのは、別に首相や知事の「不作為」や「怠慢」ではない(少なくとも主観的には)()


そうやって見直すと、今回パンデミックにおける日本の失敗が同一のパターンを飽きずに繰り返していることがわかる。そろそろそのことに気づいてもいいのではないか。気づかなければ、同じことがこれからも繰り返されるし、いずれはそれがわが国の命とりになる」


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