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時代が変われば [震災]

 



 



テレビで「はさがけ」の作業を続けるお年寄りの話題を伝えていました。地方によって呼び方が多いと書かれていますが、筑後の田舎ではなんと呼んでいたか忘れました。電子辞書では出てきません。ネットで検索したら次のような説明が・・。



 



「はさがけとは - Weblio辞書



稲木(はさがけ から転送)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/19 17:43 UTC )



稲木(いなぎ、いなき、いのき)とは、イネなどの穀物や野菜を刈り取った後に束ねて天日に干せるよう、木材や竹などで柱を作り、横木を何本か掛けて作ったもの。横木は最下段でも作物が地面につかない程度の高さになっている(以下略)」



 



 これを書いている朝はこの秋最も冷え込んでいるという。稲刈り後のたんぼの冷え込みのイメージが強く残っています。はさがけも農機具の導入で消えたのでしょうか。下記のコラムによれば台風という用語は戦後一般化したのだという。



 



台風が江戸を直撃したことが少なかったのかどうか分かりませんが、最近でも少なかったように思います。油断した知事にも経験がなかったのかもしれません。ですが、九州でも豪雨の災害が続いています。気候が変わっている実感がします。竜巻の多さも恐怖です。竜巻警報が出ても注意のしようがありません。温暖化対策の遅れは致命傷になりかねません。



 



「コラム 春秋 2019/11/12西日本新聞



 世の中で恐ろしいものと言えば「地震、雷、火事、おやじ」。この例え話は江戸時代から伝わる。現代では、おやじの威厳に?が付くが、そもそもの疑問もある。なぜこの中に台風が入っていないのか



▼古来、台風禍はあっても、江戸を直撃することはまれだったのか。それとも風雨は今ほど強くなかったのか。理由は定かではないが、ネット上ではこんな俗説も



▼かつて日本では山から吹き下ろす強風を「やまじ」「おおやまじ」などと呼んだ。それがなまったのではないか-。つまり、おやじ=台風。確たる根拠はない(以下略)」


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「壊れる卵」 [平和]

 



 



 先日、難民支援団体からの募金の資料と振込用紙が届きました。どうして我が家に届いたのか家族は不信感を抱いたようです。私には、働いていた頃、募金したような記憶がありました。それにしても災害続きの日本では難民支援より災害募金にならざるを得ないのではないかとも思いました。ベルリンの壁が破壊されて30年だという。壁がなくなればバラ色の生活が待っていると思っていたが裏切られたとテレビで語る人がいました。そして、国境に壁をつくる動きもあります。だが、世界は壁で囲まれると安全な社会ではなくなっているのではないか。



 



 



「コラム 春秋 2019/11/13 西日本新聞 オピニオン面 



 「高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」。エルサレム文学賞の授賞式で村上春樹さんはこう話した。壁は戦車やミサイル、壊れる卵は市民。イスラエル軍によるパレスチナ自治区への攻撃を念頭に置いたものだ



▼村上さんは「私たちは皆、高くて固い壁に直面している」とも。壁の名は「制度」。制度は自己増殖して私たちを殺すようになったり、私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させたりする-(以下略)」



 


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「心の被爆者」 [平和]

 



 



 大相撲九州場所も終盤。気になるのはけが人の多さです。土俵を高くしているのもひとつの原因ではないかと素人的には思うのですが。せっかく楽しみにしていた力士がケガで休むとがっかりします。今、取り組みをネットでも配信されていますが、よく見られるのは炎鵬が断トツです。小兵が立ち向かっていく姿に共感する人も多いでしょうが、ケガでもしたら看板力士を失います。スポーツの世界は厳しい。休みが続けばたちまち十両以下になっています。プロ野球はトライアウトという再雇用制度がありますがこれも狭き門です。ホークスからジャイアンツにFAで移籍した森福投手も戦力外通告を受けたという。まだ、やれそうにも思うのですが。



 「心の被爆者」という話に変わります。井上ひさしさんの命名だそうです。戦争が終わって74年です。実体験者は少なくなっていくのは当然のことです。「心の被爆者」を広げていくしかないのだと思われますが・・・。



 



「コラム 花時計



奥深い言葉に出合った。「心の被爆者」。被爆経験がなくてもその苦悶に寄り添い体験を共有 できる|。作家の故井上ひさしさんが唱えたそうだ。教えてくれたのは県原爆被害者団体協議会の南嘉久さん(72)。ある被爆証言集の発刊記念会で「人間的な想像力と共感力で傾聴し、伝承することが大切」と訴えたその言葉に1人の女性が浮かんだ。3年前に62歳で 亡くなった鹿児島市の女優田上美佐子さん。がんで余命宣告を受けながら、終戦の日の平和公演 を欠かさなかった。「役者として伝えたいことの1割も伝えていない。私は生きる」。人間愛に満ちた真の伝承者だった(以下略)(横田理美)」(20191112日西日本新聞)


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年金繰り下げ支給と就労延長は [年金]



 



 NHKのニュース番組でベルリンの壁30年ということで旧社会主義国の実態が取り上げられていました。旧東欧諸国の人たちにとって当時の支配体制が崩壊すればバラ色の生活が待っていると信じていた。だが、壁もなくなったが、仕事はない、生活は改善しないという。急激な変化に経済が対応できないでいるという。「全世代型社会保障」として検討されている仕組みはどういう社会を見せてくれるのだろうか。



社会保障費の削減策の検討で「年金の繰り下げ支給」と「高齢者の働く場の確保」が有力な施策として語られています。参考になると思われる論考がありました。



 「就労延長で老後の生活水準はどうなるか レポート ニッセイ基礎研究所 ジェロントロジー推進室 主任研究員 高岡 和佳子 2019-10-02」では次のように結論付けられています。



 



「公的年金の繰下げ支給の効果は限定的であり、生活水準の低下を抑制する効果はあまり確認できなかった。一方、就労延長の効果は大きく、パートやアルバイトの従業員として就労する場合であっても、十分な効果が確認できた。また、就労延長の効果は、所得の低い世帯ほど大きいことも分かった」



 



 普通の年寄りからみるとある程度実感できます。働くお金と年金では今の仕組みでは経済的支援に差がありすぎるように思われます。国民年金5万円で暮らす人と厚生年金20万円で暮らす人の格差を埋めるには働くしかないように思われます。



 ところが高齢者は衰え、病や介護が必要になる可能性が高いのです。働くつもりでいてもいつ止めざるをえないことが出てくる可能性があります。病や介護は本人に限らず家族の介護等が待っているかもしれません。その時の救済策が用意されているのか。簡単には話にのれないように思いました。



 


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紅葉

太宰府 竈門神社 古いのですが2015年12月



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『漫画映画漂流記』を読む [読書]


漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一

漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一

  • 作者: 小田部 羊一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 


サブタイトルは「おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」とあり、帯に「NHK連続テレビ小説『なつぞら』の奥原なつのヒントとなった妻」。「ハイジ」「マルコ」「マリオ」をデザインした夫とあり、小田部羊一氏へのロングインタビューの他に共に仕事をした関係者へのインタビューで構成されています。奥山玲子と小田部羊一の創作活動については良く分かりませんが、奥山氏が結婚しても働き続ける最初の社員としていただけで後輩社員は大変助かったという。私の職場にもそんな方がおられました。女性で初の係長として働き続けましたが、女性ということで管理職にはならなかったと言われる人です。こうした先駆者の存在があったことは記憶されたがいいと思う。そんな時代がそう遠くない社会にあったことを知ってもらいたい。


 


「山下恭子さん


女性社員は入社の時「結婚して子どもが出来たら退職します」との誓約書を書かされました。組合も再建されていたので、「女性が子どもを産むのは当たり前」と、実力行使にでました。その第一号がオクヤマさんでした。前後のことは忘れましたが、オクヤマさんが産休明けに、赤ちゃんを連れて会社の門前にきた時、「子どもを連れて入ったら処分する」と門の内側には会社の役員が何人も立っていました。


私たちは門の前に立ちつくす奥山さんを取り囲んで、「わあ可愛い赤ちゃんね」と抱き取り、 オクヤマさんに一人で中に入って貰いました。それから私たちが赤ちゃんを抱いて門の中に入りました、が、「オクヤマさんが子ども連れで」入ったわけではなく処分は見送られました。このときのオクヤマさんの頑張りが、後から私たちの権利を守ってくれました。夜間保育などなかった時代、残業の時は動画机の脚元には子どもたちの声が賑やかでした」


 


出産退職の誓約書は私の職場にはなかったのですが、それを受け容れる社会だったのです。そして闘いとられたものだということを知ってもらいたいです。


 


 


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かけはし 上映 [お知らせ]

【福岡・福岡市】11/23(土・祝)西南学院大学博物館2階講堂にて上映!

11/23 福岡県の西南学院大学博物館2階講堂にて、ドキュメンタリー映画『かけはし』が上映されます。
ご出演くださったスヒョンさんのお母様の辛潤賛(シン・ユンチャン)さんとスヒョンさんが通っていた日本語学校の新井時賛理事長が来場されます。企画・製作・統括プロデューサー・主題歌の中村里美と製作・プロデューサーで音楽監督の伊藤茂利が伺わせていただきます。福岡の皆様、よろしくお願い申し上げます

日時:2019年11月23日(土・祝)
開場:13:30 開演:14:00
上映時間95分(2部構成)
上映後、舞台挨拶等を予定しています
終演予定:17:00

入場券:予約券1200円/当日券1500円
障害のある方、及び付き添いの方、各1000円
○ 学生:500円 ○ 高校生以下:無料

場所:西南学院大学博物館2階講堂 


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犬との関係 [寛容な社会]

 


 


 犬との関係も、家族との関係も似たようなものだと思ったのは私もまた老いたからかもしれません。死がいつかのある日でなく、明日かもしれないという現実味を帯びてきたからでしょうか。近所の犬たちも亡くなり、もう飼い主も高齢化してもう犬を飼い続ける時間がなくなり、静かな街になってしまいました。そんな折、若い世帯が犬を連れて引っ越してきました。


 


「連載 あちらこちら 財津和夫


学校から帰宅すると、母が縁側で後ろ姿のまま「くまが死んだよ」と言った。 そのまま振り向きもせず彼女は編み物を続けた。私は「くま」を見に行った。 いつもは(帰宅したボクに)しっぽを揺するのに、写真のなかのように動かなかった。大人達が「犬の鼻先が乾いていたらもう終わりなんだ」と言っていたのを想い出し、鼻の先に触れてみ た。捨てられたタイヤのように干からびていた。()


「くま」の死を71歳の私は泣きながら書いている。悲しみというものは死によって生み出されるということを経験的に知ったからだろうか?あのとき死というものがどういうものなのか少年の私には未だ理解できなかったのかもいれない。 (ざいつ・かずおミュージシャン、挿絵はヨシフクホノカ)(一部引用)」(20191025日西日本新聞)


 


 生きものとの関係が苦手な私に朝と夕方に散歩を催促に来たのは散歩の後のエサを期待してのことだったかもしれません。散歩はしても抱き上げたりしてくれない人にある日、足を舐めてきました。かまってくれないことへの抗議だったのかもしれません。いよいよ食べなくなって最期が近いと居間に寝かせていました。犬の口から「ぽん」という音がしました。それが最後でした。


 


 


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お知らせ

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お千代さん [寛容な社会]

 


 


台風の被害が続いた千葉県知事の動向が問題になり、記者会見が開かれました。県南部で被害が多く、北部はどうなのだろうかと自宅に戻ったという。それを「私の流儀」だという趣旨の発言をしました。なんとかうまく切り抜けたという安堵の色が見えたように感じました。テレビでは県知事経験者の片山氏・浅野氏が持ち場を離れるなんてと趣旨の批判をされていました。芸能人だからダメとは言えませんが、お千代さんはどう思っておられるでしょうか。


お千代さんとは歌手の島倉千代子さんのことです。私たちの世代で知らない人はいないのではないかと思います。


 


「コラム 風向計 お千代さんからの伝言 水江 浩文2019/11/8 西日本新聞 水江 浩文 


  この世に神様が


  本当にいるなら


  あなたに抱かれて


  私は死にたい


   ◇    ◇


 意識的に覚えたわけではないのに、つい口ずさむ歌があるものだ。私の場合、それは島倉千代子の「愛のさざなみ」(なかにし礼作詞・浜口庫之助作曲)である…。


 という書き出しのコラムを朝刊社会面の「デスク日記」に書いた。15年前のことだ。


 この歌が大ヒットしたのは1968年である。台所で「愛のさざなみ」を口ずさむ母は決まって上機嫌だった。幼い私はこの機を逃すまいと、小遣いをねだったり、頼み事をしたりしたものだ。(一部引用)


 


 島倉さんは波乱万丈の人生だったと思います。多額の借金・身内の不幸などがありがら、歌い続けることで私たちに希望を与え続けてくれました。118日が命日だという。


 


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