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令和の里の隣りで [歴史]

 


 


元号との関わりで有名になった大伴旅人邸跡の候補地のひとつとされる坂本八幡宮への入り口の道路の西側のこんもりとした丘で長年発掘調査がされています。その地名を「蔵司(くらつかさ)」と言います。地名から九州各地などの納税したものの保管場所ではないかと言われていましたが、ここ数年で建物跡が確認されただけで機能まではまだ分かっていないと言われています。蔵司地区の東側が大宰府政庁跡です。広い公園になっています。桜の季節にはたくさんの人出があります。そこでの発掘調査の説明会の案内記事です。


 


「大宰府跡蔵司で大量の瓦片出土 あす現地説明会


九州歴史資料館(九歴、小郡市)24日、太宰府市の国特別史跡「大宰府跡」蔵司地区の丘陵南端で大量の瓦片が見つかったと発表した。周辺から礎石も複数出ていることから、九歴はこの場所に蔵司の倉庫群に出入りする門など、重要な瓦ぶき礎石建物があった可能性が高いとしている。瓦片が見つかったのは、これまでの調査で逆コの字型配置の礎石建物6(倉庫)が確認された丘陵中央から約20メートル南の地点。礎石建物への進入路を探る目的でトレンチ(試掘)を実施したところ、89世紀の大量の瓦片が出土した。上層からは鬼瓦も出た。この地点より西側の台地にある、大型礎石建物跡の南正面でもトレンチを実施し、掘っ立て柱建物跡と見られる柱穴4基を確認した。こちらは78世紀の蔵司の門など官衙(役所)の可能性があるとみられる。(以下略)」(20191025日西日本新聞)


 


菅原道真は「天神信仰」の対象となり、天満宮へのお参りを「さいふまいり」として各地から参拝にでかけたとされています。政庁跡の南側の道路に「さいふまいり」の「道しるべ」が新しく設けられています。長い信仰の歴史が感じられます。そのルートはいくつかありますが、なかには山を越えての今でも険しい道路もあります。大宰府の全容はまだまだ分からないことが多いようです。


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