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B29はどんな鉛筆 [平和]

 


 


 6月2日の西日本新聞「電話投稿欄」は3つともスーパーのレジでのトラブルでした。多くの人が不安を抱えて疲れているのか、いつもの延長なのかは分かりませんが。


 


 同じ新聞に「戦後75年 言葉を刻む」という連載が始まっています。戦争体験などの過去の記録から選んだ囲み記事です。2日の記事は「B29は、どんな鉛筆かと問われました。私は驚きました」と幼稚園が質問してきたという。その頃から戦争体験を語り継ぐ必要を感じたそうです。


 1944年生まれの私には戦争体験は記憶にありません。米穀通帳というのがありました。通帳そのものが身分証明みたいなものがあり1965年の就職時に親から持っていきなさいと言われたことが記憶にあります。実際使う必要がないほどに配給制度が形骸化していましたので役に立たなくなっていたと思います。


 


ウィキペディアには「米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)とは、1942年(昭和17年)41日から、日本において食糧管理制度の下で米の配給を受けるために発行されていた通帳であった。1981年(昭和56年)611日の食糧管理法の改正により廃止された」とあります。配給についても説明しないといけませんね。これは厄介なことです。戦争が終わっても配給制度が続いたものとしてタバコ・酒などがあったという。


 


小さな囲み記事ですが、体験を伝える方法として期待したいと思います。


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藩の誕生 [歴史]

 


 


 歴史に興味を持ったのは中学の社会科の担当教師の影響だと思います。記憶が薄れお名前が思い出せないのですが、授業が終わってから八女市の装飾古墳の見学に連れて行ったりしてもらいました。60年安保の盛り上がりの時代でしたので、組合活動にも熱心な方のようでした。自転車通学が多分3年生は許されたと思いますので、3年生だと思います。そうだとすると1959年です。


 


 歴史小説では「藩」が単位のものが多く、藤沢周平の海坂藩(うなさかはん)という架空の藩などがあります。『藩とは何か』で藤田達生氏は、藩の誕生を彦根藩と藤堂藩だとしています。しかし、江戸時代は藩と呼ばれるのは稀で、「国」または「家中」と呼ばれていたという。


 


「藩の誕生とは、一般的に国替・入国→織豊系城郭・城下町の移転→新田開発による郷村の 整備という順でおこなわれ、都市と村落社会との間で人や物資の大規模な循環創出を伴う、 かつてない規模で地域社会の景観を一変させる歴史的事業だった。近世城郭は、城下町と一体で設計され、城下町には武家地・町人地・寺町というゾーニングが施される。その前提として、上水・下水の確保などの生活インフラの整備があった。また街道の城下町への引き込みもおこなわれたが、それには藩内外の人と物資の移動も念頭に置かれていた」


 


『藩とは何か』では、「都市プランナー藤堂高虎の津城下町建設に注目」し、高虎の貢献について述べています。


織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)とは、「織田信長・豊臣秀吉およびその配下の諸大名が建設した城郭の総称。瓦屋根や石垣、天守閣などが特徴」(デジタル大辞泉)


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『韓国現地からの報告』を読んで [読書]

 


 


韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

  • 作者: 伊東 順子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 新書



韓国に住む伊東順子氏の内側から見た韓国や日本の姿が取り上げています。韓国の文化というか、歴史の違いを学ぶことができました。日本で報道される韓国の姿は矮小化されたものであることが分かります。


 


本の最後近くになって伊東氏を含む撮影クルーの話がありました。柳川市の旧暦3月に行われる「さげもん」のエピソードです。


旧藩主立花邸の「御花」に到着した時、撮影クルーのレポーターが泣き出した。「日本では、こんなに女の子が大事にされてきたんですね」と。韓国では、レポーターが子どもの頃は、女の子が生れたら通夜みたいでお祝いしてくれなかったという。儒教社会の韓国と日本との差はそんなにあったとは思えません。日本では女性ゆえの不自由さが続かないための祈りみたいなものがあったのではないかと著者は述べています。通夜みたいなことはなかったと思いますが・・・。


 


私は「さげもん」を柳川で見たかどうか記憶が定かではないのですが、母が作っていたのを思い出します。柳川の隣りの旧瀬高町の生まれでしたので、旧柳川藩でもあり作った経験があったのだと思います。


「さげもん」とは


「柳川の雛祭りで飾る「さげもん」とは、江戸末期頃より、女の子が生まれると初節句のお祝いとしてお雛様の代わりに古着の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりだと言われています。小物には、鶴、亀、えび、三番叟といった縁起の良い小物がさげられ、一つ一つ袋ものになって物を入れることができます。竹の輪に、77連に49個の小物と、中央に大きな柳川まりを2個さげて全部で51個。人生50年と言われていた時代に一年でも長生きしてもらいたいという親の願いが込められています。縁起ものを吊るして、初節句の女の子の幸せと健康、無病息災、良縁を願って飾る「さげもん」。親から子へ子から孫へ受け継がれ、地域みんなで祝う風習が今なお続き、心温まる思いやりと地域の絆を大切にしています」(「柳川市観光協会HP」)


 


 本の最後になって韓国が身近に感じられたラストでした。抱える歴史の違いなど学ぶことが多かった。


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戦争の記憶まで [平和]

 


 


 


 


NHKテレビで分身ロボットを活用してカフェで働く重度障害者の姿を伝えていました。


新しい発想での就労機会づくりに期待したいと思いました。コロナ禍のなかで雇用環境が厳しくなっています。何もかもコロナ禍の事業が延期・中止が多くなる中で、「平和を祈る8月」まで影響を受けています。それに関連した話です。


 


「記者コラム 花時計 2020/5/29西日本新聞 ふくおか都市圏版 小林 稔子 


 引き揚げの史実を伝えようと活動する福岡市の市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」に、約20年前の発足当初から参加してきた女性が今月初旬に逝去(享年90)した。1945年の終戦時に朝鮮半島に取り残された国民の一人で、15歳で引き揚げてきたという女性は3月末に開かれた同団体の会合に、体調が悪いなか参加されていた。その姿に活動への強い意志を感じた。取り組みの裾野は広がってきたが、長年目標としてきた展示施設の設立など道半ばのものもある。「どんなに無念か」。同じ引き揚げ者の言葉が重く響く(以下略)」


 


 原体験がある人たちが減っていく中でどのように歴史を継承していくか模索が進められているという。戦争体験者の無念さを次世代に受け継ぐ取り組みは「中止」「延期」はありえないのではないか。対応に知恵をしぼって対応しなければならないのではないか。選択幅は限りなく狭いのですが。オンライン方式でできることはあるのではないか。


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老いの感覚 [高齢者]

 


 


 コロナ禍で雇用も深刻なようです。非正規雇用 97万人減。休業420万人と新聞がつたえています。コロナ禍は初めての経験です。目に見えないウイルスということもあり、体験を具体的に把握するのが難しいように思えます。老いの問題とも通じるものがありそうです。


 


 今日の話題は「老いの自覚症状」です。


私の場合は、歩く時の靴を引きずる音から始まりました。今は背を丸めて歩いていることに気づいています。まさに限られた時間を生きているという感覚はあります。それが明日で終わるかもしれないのに、具体的なイメージが沸いてきません。湧いてでもなく沸いてを選択しました。竹中星郎『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』のなかでは次のように述べられています。自分の老いは想定できません。竹中氏の指摘をなぞらえています。


 


「鏡像と自我には深い溝がある。それにしでもなぜ老いは否認されるのか。老いはここからと線を引くことができないにもかかわらず、いつの間にか忍び寄る。ところが自分がどの ように老いるかはみえない。その老いは一般論ではなく、他ならぬ自分の老いだがそれがわからない。 そこからくる不安・抑うつも意識されることなく潜航する。


 老いは形がみえない。輪郭がなく、漠然としている。だが実体がないのではなく、しわ、白髪、病として姿を現す。そして死の現前化。それは生が限られた時間であることを意識しつつ、それが明日ではないと思うアンビヴアレントな状態を揺れ動いている。老いとは、まだ老いていないと保留しながら、このような対象なき不安・抑うつを生きることである」


 


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10万円給付の意味 [医療]

 



 



 新聞の電話意見欄に年金生活者が「特別定額給付金申請」を辞退せよという意見があるが、



今の年金では切り詰めた生活費でやっと食べていけるので分かって欲しいという趣旨の声が掲載されていました。今の年金制度だと月5万円程度の人もいるという。貧困層に特に厳しい消費税の増税は、お年寄の医療と福祉の改善だと説明されていましたが、ほんのわずかしか使われていなかったことがコロナ禍で明らかになったことを斎藤幸平氏は指摘しています。



 



「新しい社会をつくる機会に 哲学者 斎藤幸平さん」(2020524日西日本新聞)では、10万円給付の意味について考えさせられた。



 



「英国は、集団免疫戦略をやめただけでない。巨額の財政出動を約束し、国債発行で、個人の生活補償に踏み出そうとしている。日本も遅きに失したとはいえ、10万円給付を決断した。政府は、この数十年間にわたって支配的だった 新自由主義の緊縮政策からの決別をついに迫られるようになっているのである。 この間、政府は新自由主義以外の代替案はないとして、無駄の削減を目指して改革を推し進めてきた。なかでも医療は緊縮政策の格好のターゲットであった。保健福祉体制の解体・縮小である。日本でも保健所の体制か弱められ、新型肺炎患者による医療崩壊を現実の脅威としている。つまり、非常事態に噴出した医療崩壊や貧困といった社会問題は、非常事態だから発生したのではなく、日常では不可視化されていた矛盾や不平等が可視化されたにすぎない。だが、ここには、新しい社会をつくり出す好機がある」



 



 例えば、斎藤氏が指摘する「保健所の体制」が弱められたことがあります。検査が進まないのはせいぜい「目詰まり」を起こしているからだという表現しか使い切れなかったマスコミでした。それが保健衛生機能だと言い切れなかったように記憶しています。小さな政府というが、それがコロナ禍で実態がさられさた。国民生活に直結するところが削られ、大企業の減税は1980年代中ごろから増えています。



私が住む県では、かつては保健所、福祉事務所と別々にありました。今は保健福祉環境事務所となり、「医療、福祉、介護、子育て、健康、くらしの衛生、環境についての業務」とされています。人員の比較をしないといけませんが、情報を手にしていません。斎藤氏は保健所機能が弱められた結果「新型肺炎患者による医療崩壊を現実の脅威としている」と指摘します。


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漢字忘れ対策? [高齢者]

 


 


 コロナ禍のひとつに、解雇、雇い止めが1万人超したと厚生労働省が発表したという。そんなものじゃないと思うが、どうだろうか。統計のごまかしに厚生労働省も加担してきているのでどうかと疑いたくなります。


 


さて、先日からの話です。「誤嚥性肺炎」という用語が3日ほど出てきませんでした。時節柄肺炎の徴候に敏感になり、可能性が高いものとして記憶を耕してみましたが、出てきませんでした。記憶の底にはあるはずだとさぐりを入れてみましたが浮かんできません。テレビに出てくる人たちの名前を思い出して記憶から消えていないと確認しました。「誤嚥性肺炎」が突然、蘇ってきました。いつも思うのは記憶からは消えていない。検索機能が的確に働かないからだと。記憶からは簡単には消えていないと思いました。


 


 コラムは万年筆で書くことで漢字忘れ対策にしようとしたらという話です。


 


「コラム デスク日記 2020/5/25 西日本新聞 社会面 石田 禎裕 


 入社30年。新人1年目こそ原稿は手書きのみだったが、2年目はワープロが登場。やがてパソコンへと進化した。キーをたたいて文章を作成する毎日。それが現代人の漢字忘れを招いたと指摘されて久しいが、私もそうだ。


 加えて年のせいか、少し前まではすぐ思い浮かんでいたごく簡単な漢字さえ出てこないことが増えてきた。そこで思い出したのが、昔買った万年筆。久しぶりにインクを入れ、日記めいた日々の記録を書くことで漢字忘れを少しでも克服しようと考えた。いざ始めてみると、紙にインクでさらさらと書くという行為自体が楽しくなってきた。筆圧をかけず、ペン先を滑らせて文字を書く気持ち良さは「ステイホーム」時のいい癒やしになった(以下略)」


 


 


 


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『若い読者に贈る 美しい生物学講義』を読む

 


 


若い読者に贈る美しい生物学講義 感動する生命のはなし

若い読者に贈る美しい生物学講義 感動する生命のはなし

  • 作者: 更科 功
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 


 


 


「若い読者に贈る・・・」のタトルに魅かれて買った訳ではありません。著者の更科功氏の『残酷な進化論』を読んだからです。生物学は最も苦手の部門ですが、『残酷な進化論』では、途中で読むのをやめるということはありませんでした。この本の最後の「死ななくては、自然淘汰が働かない。そして、自然淘汰が働かなければ、生物は生まれない。つまり、死ななければ、生物は生まれなかったのだ」ということに、理解しないままに納得したような気分になったからです。


 


 「若い読者に贈る・・・」で気になったことのひとつが杉の話です。先日、縄文杉よりもっと背の高い杉を発見するテレビを観ました。屋久島にも発芽してから1年、2年ほどの段階で死んでしまう杉があるだろうと更科氏はいう。「スギの平均寿命は、おそらく1年以下のはずだ。スギより私たちヒトの方が長生きなのだ」という。縄文杉よりも高い杉の神秘性にひかれる人も少なくないはずだ。


 帯には「全世代必読の1冊」とありました。


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考え方の示唆が [行政]

 


 


自粛という名の国民に犠牲を強いる政策に憲法の視点から明解に述べています。2020524日西日本新聞「聞きたい新型コロナ」憲法を研究する鹿児島大准教授 渡辺弘さんは営業自粛と補償を巡る問題を次のように説明しています。


 


「地域経済に重くのしかかる、営業自粛と補償を巡る問題でも、政府の対応には疑問符が付く。財産権について定めた憲法29条は、私有財産を公共の福祉のために用いるには正当な補償が必要だと定めている。感染症対策も公共の福祉のために行うのだから、生じた損失についても同様に、憲法は政府に補償を命じていると解釈すべきだ


それなのに、自粛要請の法的根拠となる新型コロナ特措法には補償の規定がなく、政府も損失補償はしないという姿勢は変わらない。売り上げが減少した中小企業に最大200万円、個人事業主に最大 100万円を支給する持続化給付金の申請が始まったが、緊急事態宣言が解除された県でも遊興施設やスポーツ施設を中心に自粛要請が継続している。」


 


 テレビから伝わる営業自粛の影響では、固定費の支払いなどまさしく自転車操業が多いことか。ギリギリの単価で商売されていることに気づかされました。順調に売り上げを伸ばしても、ぎりぎりの商売が多いことか。私なら自粛の要請の勝手さに腹が立ったでしょう。パチンコ屋さんの報道の仕方は再検討の必要があるのではないか。要請と言いながら強制でしかない。それに対して、憲法の条項を示された渡辺氏の説明はすごく理解できました。新型コロナ特措法には補償の規定がないというのは欠陥法であり、「スピード感をもって」対応を改善してもらいたい。


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コピーにたどりついても [高齢者]

 



 



ネットで次のニュースに出会いました。



 



「特別給付金申請…各地のコンビニで“コピー難民”が続出 “代行係”引き受けた男性の話に心が洗われる5/23() 19:15配信 まいどなニュース



 新型コロナウイルスの経済対策として、各地で特別定額給付金の申請が始まり、コンビニエンスストアなどには免許証や健康保険証などの身分証明書のコピーをする人が続々と訪れています。でも…写真印刷やカラー印刷もできる最近の高機能コピー機は扱いに戸惑うこともしばしば。そんなお年寄りたちに偶然出くわした男性が自ら「案内係」を買って出たというエピソードがネット上で「心が洗われるよう」と話題を呼んでいます(以下略)」」



 



 高機能コピー機使ったことがありません。とまどいそうです。



 私の体験です。24日に申請書が届き、同居人数分の欄の記載欄は市役所から記入されていました。健康保険証・通帳表の2枚分のコピーをパソコンのプリンターでコピーしようとしたら6色の2つのインク切れでコピーとれずにアウト。取り替えて今度こそはとするが1色インク切れ。妻の車でまた行きました。



後で考えたのですが、もし歩いていくなら3つのコンビニまで15分以上かかります。坂道です。高齢者は貼りつけ部分は免除したらと思ったものでした。私も高齢者ですが。


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