近所の目 [寛容な社会]
■「コラム デスク日記 2020/7/22 西日本新聞 塩塚 未」は考えさせられた。
「『新潟の実家が帰って来るなって…』。浮かない表情の妻に理由を尋ねると、そんな答えが返ってきた。今夏、妻の妹が持病の治療のため入院予定で、妻はおいやめいの世話を兼ねて久々の帰省を計画していたが、やんわり断られたようだった。
理由は新型コロナウイルスの感染拡大。ただ、県境をまたぐ移動の自粛は解除されているし、『人手が必要』という状況。個人的には『帰省しても構わないのでは』と思ったが、妻は『田舎だしね。近所の目もあるのよ』とため息をついていた(以下略)」
田舎で育っていますので田舎の情報伝達の早さは身に沁みています。かつての「隣組」や「共同風呂」での伝達網は衰えたとはいえ、健在ではないでしょうか。
■自主避難先は
熊本豪雨では死者のうち高齢者が85%を占めているという。新聞の電話投稿欄に高齢者の方が、市から自主避難先の案内があったが、車はなく、歩いて1時間はかかる。避難はあきらめたという。一歩踏み込んだ支援はできないものか。
■ボラティア 尾畠さん
スーパーボラティアという肩書はマスコミがつけたものでしょうか。今回の豪雨被害にも元気な姿を見せたという。熊本では、地震の折にボラティアさんに助けてもらったお礼としてボラティアとして参加したという高校生がいました。こうした善意だけじゃなく公的責任も問いたい。
後ろに迫れり [読書]
あるテレビで食堂の主が「脳梗塞で 3回目はないよ」と言われて昼の営業だけにしたと語っていました。「魔の3回目」などと言われているそうですが、1回目.2回目と重なってきて症状が悪化するということのようです。深く理解しているわけではありませんが。
私もまた今度あれば3回目ですので他人事ではありません。
そんなことを思いつつ読んだ本が『徒然草/無常観を超えた魅力』です。そのなかの一節です。
「『死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり』と言う。これは死というものの予測不能性を、たいへんうまく比喩している。そうして死ということを本気で自覚するならば、たとえ親が老いていようが、子どもが幼かろうが、主君に恩があろうが、他人に情があろうが、そのようなものは顧みる暇はないはずだ」
この後に「庶縁」を断つべきだというそうです。ふと「楢山節考」を思いました。私のように病がある人だけでなく、みんなに共通することなのかもしれませんが、少し寂しい。
高齢者・障害者の避難は [生活]
■熊本豪雨 死者は高齢者85%
熊本日日新聞によれば「避難の難しさ」があるそうだ。障害者含めた対応の検証が必要ではないかという。施設の避難はどうだったか。障害者への情報伝達と避難体制なども検討されないといけないのでは。高齢化率が高いところで死者も多いというので容易なことではない。年寄りは夜が早い。夜間の見通しを早目に通報するなども検討すべきかと思います。
■七夕
話題としては遅い七夕。幼い日、近くの竹を切り、願いごとを書いた。貧しい家庭だったがそこだけは忘れてはいなかったのが不思議だ。それから今まで未熟さのために後悔ばかりの日々でした。さりとて、取り戻しはきかない。後悔の中に七夕があります。書くことで心が軽くなったように思えて。
蓮の花とスイレン [街で]
「ハスとスイレン見頃 福岡市舞鶴公園2020/7/20 西日本新聞
舞鶴公園の堀に浮かぶスイレン
うっすらピンク色がかった花を咲かせたハス
福岡市中央区の舞鶴公園の堀で、ハスとスイレンが同時に見頃を迎え、行き交う人の目を楽しませている。薄いピンク色がかったハスは、人の背丈ほど伸びた茎の上にふっくらとした花をつけ、薄い黄色のスイレンは水面すれすれに浮かぶように咲いている。(以下略)」
ハスの見頃は7月末ごろまでだそうです。スイレンとは知らなかった7年前の舞鶴公園で撮ったものです。アマ写真家らしい方が撮っていました。ハスの花は夏の到来を告げています。舞鶴公園は福岡城跡地で、かつてプロ野球「西鉄ライオンズ」の本拠地「平和台野球場」があり、今は史跡鴻臚館の跡地の発掘がされています。陸上競技場もあり、師走の福岡マラソンのスタートゴールになっています。大河ドラマ「軍師官兵衛」で一躍有名になりました。
当直1人でいいか [介護]
□先の豪雨被害での介護職員の奮闘記が掲載されています。
「泥水1メートル超…「必死だった」当直1人、高齢者9人の命守った女性2020/7/17西日本新聞」として
「熊本県南部を襲った4日未明の豪雨では、災害弱者であるお年寄りが暮らす施設も危険にさらされた。芦北町のグループホーム「千花」では、平屋が約1メートル10センチ浸水。1人で当直中だった職員中浦まゆみさん(59)は水位が増していく恐怖の中、認知症の70~90代の入所者9人をテーブルの上に乗せるなど冷静に対応し、全員が無事に救助された。(以下略)」。
職員の奮闘で事なきを得たことに安堵しましたが、そもそも夜勤一人というのは酷な体制だと思う。介護報酬ででるのが1人分なのだろう。高齢者9人に対して1人の配置のようですが、ネットでは一人配置には問題があるとされています。最低基準の底上げが必要に思います。国は「全世代型社会保障制度」として公費負担でなく、共助、自助に比重を高めていこうとしています。税負担の在り方を見直すべきだと思います。
□精神保健福祉相談増
「精神保健福祉「電話相談」が前年度比6万人増 厚労省が18年度地域保健・健康増進事業報告公表 CBニュース」と伝えています。ますます重要になってきています。
国民感情が許さないとは [寛容な社会]
「すべての人の社会 2020年7月号日本障害者協議会」では、「名古屋地裁棄却の判決一生活保護引き下げ違憲訴訟一“いのちのとりで"を守るために 雨宮処凛」として生活保護の重なる削減で生きていくのが困難だとして違憲訴訟を起こした。6月25日に全国に先駆けての判決は「棄却」。経過はこうだ。
「2012年12月、第二次安倍政権が発足し、真っ先に手をつけたのが「生活保護基準引き下げ」だっ た。それ以前から、集団リンチのような「生活保護バッシング」が日本中に吹き荒れていた。煽動したのは自民党の政治家たち。きっかけは12年春、ある芸人の母親が生活保護を利用していると 報じられたこと。「芸能人のちょっとしたスキャンダル」で済むはずだったこの話を、当時野党 だった自民党・片山さつき氏は問題視し、厚労省に調査を依頼。「一芸人の家族のこと」が一気に 政治問題のトップに踊り出した」(雨宮氏)
そして削減がされた。
それに対しての判決は「『国の財政事情』や『国民感情』をふまえたものであり、原告の主張は採用できないと退けたのだ。 これが通るなら、一政党が政治的な目的をもって国民感情を煽ったら、最後のセーフテイネットを切り崩せてしまうということになる」
「国民感情」を持ち出したら司法の問題ではなくなるのではないか。憲法判断を「国民感情」に委ねるとしたら、戦争でさえ、「国民感情」があれば許されることにならないか。「国民感情」をどのようにして判断したのか。こんなことで決められる政治とは何か。マスコミは大々的に取り上げるべきではなかったか。今から暑くなっていく。熱中症のおそれが高くなります。コロナ禍で仕事を失った人たちが大量にいます。生活保護が「国民感情」で決まるのならどういう結末になるのでしょうか。
ちぐはぐ [社会]
「デスク日記 2020/7/17 西日本新聞 社会面 河野 賢治
読者からはがきが届いた。新型コロナウイルス流行で介護施設が面会中止になり、施設で暮らす妻と会えなくなった夫の記事への、感想がつづられている。差出人は85歳の女性。「私も同じ思いをしました」と記されていた。(以下略)」
似たような話が耳に入ってきます。コロナはお年寄りにはより厳しいものですね。
サンマの初セリで1匹5980円だという。なにかちぐはぐな現実です。地球温暖化、核兵器廃絶はまったなしの課題か。
今年の博多山笠 [歴史]
・「コラム 春秋 2020/7/15西日本新聞 」によると博多祇園山笠の始まりは次のようなことだという。
「▼ユネスコ無形文化遺産の博多祇園山笠は博多の総鎮守である櫛田神社の奉納神事。起源は諸説あるが、1241年に臨済宗の僧、聖一国師が施餓鬼(せがき)棚に乗って祈祷(きとう)水をまき、疫病の退散を祈願したのが始まりとされる
▼勇壮な「舁(か)き山笠」や豪華絢爛(けんらん)に福博の街を彩る「飾り山笠」など、ほとんどの行事は諦めなければならなかった。ただ、すべてがなくなったわけではない」
起源については先の説が通説だとされています。私が聞いた話では、昔、飢饉があり、施餓鬼台にのって食糧を配ったというものがあります。
今年は主な舁き山笠が中止になりましたが、飾り山笠は櫛田神社に今年分が飾られているようです。
・市民の苦痛だということでは、香港のことが気になります。そういう前に日本のことが心配だよという声が聞こえてきそうです。どちらも共通するのは長期政権です。アメリカでは4年で決着がつきそうです。巻き返しがあると思いますので、予断を許しませんが。
要は国民の思いですが・・・。
止まない雨は [生活]
・やまない雨はないはずですが、2週間近くも断続的に雨が降ってきます。数十年に1度の豪雨というが、7年で16回もあったという。国は復旧予算をつけるが、農作物が冠水してものにならないのは、こういう雨に対応するやり方の開発とそれへの転換の支援が必要ではないか。今の復興策は時代から外れてはいないか。素人考えなのですが・・・。
※命名された豪雨には責任はないが、なにやら恨めしい。
「デスク日記 2020/7/6 西日本新聞 社会面 佐々木 直樹
雨の名は季節を映す。今の時季の雨には、七夕に関する名称が付けられている。七夕前日の6日に降る雨を「洗車雨(せんしゃう)」と呼ぶ。織り姫に会うために、ひこ星が牛車を洗っている水しぶきが落ちてくるのだとか。2人が年に1度再会する当日に星を隠す雨は「催涙雨(さいるいう)」という。近年、名付けた先人の風流さを吹き飛ばすほど大雨災害が続発する。(以下略)」
名付けられた時代の雨は風流だったのでしょう。温暖化をもたらしたものも人類ですから不問にはできない。
歴史案内板 [歴史]
市民団体の地道な取り組みです。歴史好きにはたまらないものです。
「『秀吉、筥崎宮に本陣』 電柱に博多の歴史案内看板2020/7/12 西日本新聞 ふくおか都市圏版 手嶋 秀剛
筥崎宮(福岡市東区箱崎1丁目)前の電柱に、豊臣秀吉が九州を平定した際に、同宮を本陣としたことなどを紹介する看板が設置された。博多の歴史を案内する電柱看板を通して、まちおこしに取り組む市民団体「ハカタ・リバイバル・プラン」(立石武泰会長)が作製した。(以下略)」