老いの感覚 [高齢者]
コロナ禍で雇用も深刻なようです。非正規雇用 97万人減。休業420万人と新聞がつたえています。コロナ禍は初めての経験です。目に見えないウイルスということもあり、体験を具体的に把握するのが難しいように思えます。老いの問題とも通じるものがありそうです。
今日の話題は「老いの自覚症状」です。
私の場合は、歩く時の靴を引きずる音から始まりました。今は背を丸めて歩いていることに気づいています。まさに限られた時間を生きているという感覚はあります。それが明日で終わるかもしれないのに、具体的なイメージが沸いてきません。湧いてでもなく沸いてを選択しました。竹中星郎『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』のなかでは次のように述べられています。自分の老いは想定できません。竹中氏の指摘をなぞらえています。
「鏡像と自我には深い溝がある。それにしでもなぜ老いは否認されるのか。老いはここからと線を引くことができないにもかかわらず、いつの間にか忍び寄る。ところが自分がどの ように老いるかはみえない。その老いは一般論ではなく、他ならぬ自分の老いだがそれがわからない。 そこからくる不安・抑うつも意識されることなく潜航する。
老いは形がみえない。輪郭がなく、漠然としている。だが実体がないのではなく、しわ、白髪、病として姿を現す。そして死の現前化。それは生が限られた時間であることを意識しつつ、それが明日ではないと思うアンビヴアレントな状態を揺れ動いている。老いとは、まだ老いていないと保留しながら、このような対象なき不安・抑うつを生きることである」