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藩の誕生 [歴史]

 


 


 歴史に興味を持ったのは中学の社会科の担当教師の影響だと思います。記憶が薄れお名前が思い出せないのですが、授業が終わってから八女市の装飾古墳の見学に連れて行ったりしてもらいました。60年安保の盛り上がりの時代でしたので、組合活動にも熱心な方のようでした。自転車通学が多分3年生は許されたと思いますので、3年生だと思います。そうだとすると1959年です。


 


 歴史小説では「藩」が単位のものが多く、藤沢周平の海坂藩(うなさかはん)という架空の藩などがあります。『藩とは何か』で藤田達生氏は、藩の誕生を彦根藩と藤堂藩だとしています。しかし、江戸時代は藩と呼ばれるのは稀で、「国」または「家中」と呼ばれていたという。


 


「藩の誕生とは、一般的に国替・入国→織豊系城郭・城下町の移転→新田開発による郷村の 整備という順でおこなわれ、都市と村落社会との間で人や物資の大規模な循環創出を伴う、 かつてない規模で地域社会の景観を一変させる歴史的事業だった。近世城郭は、城下町と一体で設計され、城下町には武家地・町人地・寺町というゾーニングが施される。その前提として、上水・下水の確保などの生活インフラの整備があった。また街道の城下町への引き込みもおこなわれたが、それには藩内外の人と物資の移動も念頭に置かれていた」


 


『藩とは何か』では、「都市プランナー藤堂高虎の津城下町建設に注目」し、高虎の貢献について述べています。


織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)とは、「織田信長・豊臣秀吉およびその配下の諸大名が建設した城郭の総称。瓦屋根や石垣、天守閣などが特徴」(デジタル大辞泉)


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