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孤独の差は [高齢者]

 


 


323日 22時からNHK総合「1人暮らし 高齢の親が迎える人生の決断!」をいつもは寝ている時間ですが観ました。娘からの同居の申し出に試しに3日間の同居をして、同居の方向で話が進むかと思われましたが、一人暮らしの自由さを理由に、話は頓挫します。


元気なうちはいいが、介護が必要な時にどうするつもりだろうか。余裕があるから大丈夫ということか。お年寄りの心理が見えにくいドキュメンタリーでした。


 例えば、介護が必要になった場合なんていわれても元気なまま終わるという思いがあるのか、わずかな残り時間ぐらい自由に使わせてよということか、それとも・・・。


 


 年寄り特有の心理を見たかった。ドキュメンタリーだからストーリーがあらかじめあるわけじゃないが・・・。


 


「老年期心性を取り巻く課題として喪失体験、孤独、孤立、死の現前化、適応を取り上げて以前に論じたことがある。()いずれもどの年代にも遭遇することだが、それぞれに老年期特有の問題がある。


 喪失体験では喪った対象に代わるものを手に入れることは難しい。孤独に耐える力を身につけているかが問われる。死は高齢者にとっておびえの対象ではなく、限られた時間の生という精神的拘束感をもたらす。これらは別個の問題なのではなく、どの角度から老いを捌くかの切り口である」(『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』竹中星郎著)


 


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『背高泡立草』を読む [読書]



【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草

【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草

  • 作者: 古川 真人
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2020/01/24
  • メディア: 単行本

 

 朝ドラの主人公の息子が白血病との闘いになっていて、ドナー探しが難航しています。ドナー登録の詳しいことは「骨髄バンク」のホムペ―ジに掲載されています。これを書いている日の報道によれば、池江選手がプールで泳いだという。嬉しいことです

 


古川真人氏の芥川賞受賞作『背高泡立草』を読みました。先祖が暮らした家がある島の草刈りの場面と、そこで暮らした漁師の先祖の話が丹念に描かれています。作者は福岡市生まれ・舞台は九州北部の島。本の帯には「草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから」とあります。今を生きている人たちが後を引き継ぐものがいなくても草を刈ったり、農作物を育てるという気概が絶えないことの証明のようです。先祖からの贈り物に感謝しているのかもしれません。


セイタカアワダチソウはアメリカ原産であり生命力が強いものだという印象があります。


あっと言う間に日本各地に広がりました。そこで、日本を支配下に置くアメリカと重ねた詩を読んだ記憶が甦ってきました。


 


方言が沢山出てきます。博多弁や筑後弁でも使うものもあれば、九州北部共通の方言もあるように思います。言葉も含めてていねいな描写に驚きました。


 


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