老いを生きる
老いて困ることは「できなくなることが増える」ことです。なんとなく頭で分かったつもりなのに、とまどい、慌てます。それは、三世代家庭であれば老いていく姿を見ることができるのに、今の家庭構成では経験することがありません。見ることはできたとしても、年寄りの心理までは分からないでしょう。そんな気持ちで読み始めた『精神科医がみた老いの不安・抑うつと不安』の冒頭は次のように始まります。
「『老いを生きる』ことについてはさまざまな著書、講話がある。ということは答えは一つでないということだろう。東洋大学学長を務めた堀秀彦は人生を登山にたとえて、登るのはくたびれるが、下るのは危なっかしいと言った。老いの下りは一段一段じっくり見据えて降りることだ。あと何段あるかは考えない。すぐ次の一段、つまり今日と明日が安全に過ごせるよう考える。4、5日先を見通そうとすると足もとがおろそかになる。次の一段が最後かどうかはわからない。「そうなればしめたものだ。俺はとうとう死んだのかと、その時はじめて気がつくことになる」と。」
まず、多くの人が老いを語っているというが、私は読んでいない。語っているが体験としての老いを知る機会がなかったといえよう。日常の体験としての老いを体感していないと言ったが良いのかもしれません。
「老いの下りは一段ずつ見据えて降りる」ということも感覚的には分かりますし、降りる感覚だと思います。だが、降りるだけなのかと疑問が残ります。読み終わったら感想を書きたいと思います。