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読書量が少なくなった [読書]

 


 


もう3月も終わろうとしています。図書館も3月は休みのようです。移動巡回はやっているようです。ところが移動巡回は月2日の145分です。昨年から図書館も、移動巡回も利用していません。それは自力では行けなくなったからと読む進む量が極端に遅くなって、必要がなくなったからだと思います。遅いながらも読んだことで感じたことを記します。


 


今年読んで良かったのは『残酷な進化論』と『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』です。『残酷な進化論』では、人間の都合の悪い進化もあると言うし、今の人間が進化の到達点ではないという。「自然淘汰が働くためには、死ぬ個体が必要だ」という。


『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』では、「規則性、連続性から老いを眺めると醜悪にみえるかもしれないが、老いのすべてが醜悪なわけではない」であり「標準化された尺度はない」という。それゆえ研究の対象になりえなかったという。たが、それでは発展がないように思われますが、現実に違いない。


3月には自費出版の本が3冊も届いた。社会との接点が少ない年寄りにはありがたいことです


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『詞華集 郵便ポストのナイチンゲールな夜』を読む [読書]

 


 


「詞華集」とは何か。「美しい詩文を集めた書物。アンソロジー。」とネットの辞書は説明しています。古い『広辞苑第4版』も同じ説明です。の作者は「尚 泰二郎」氏です。


「美しい詩文」の定義が正しいとすれば、次の作品は美しいのだろうか。


 


「老化/爪の先から、何かがとめどなく、剥がれ落ちてゆく。」


 


幼児は何かを獲得していくように見えるが、年寄りは、何かを規則的に剥がしていくのでなく、不規則に剥がしていく。それを美しいと見る人もいるのだろうか。「美しい」という定義から始めなければならないのかもしれません。


精神科医竹中星郎氏は次のように述べています。


「個別性は一面で収斂に、一面で多様化に向かう。規則性、連続性から老いを眺めると醜悪にみえるかもしれないが、老いのすべてが醜悪なわけではない」とし「標準化された尺度はない」と述べています。多くは醜悪なのだろうか。


 


「温暖化/突如として地球が真っ二つに割れる。」


地球が危なければ大国の宇宙軍が他の星に侵略していくのであろうか。


 


この詞華集は「生きるヒント」「不運な日」「愛の賛歌」「糞尿譚」の四つの章で構成されています。


 


「死者


 あなたが生きたのはどんな時代だったのか。


 いくつもの迷路を抜けてあなたに辿り着き、


 世代を超えもういないあなたと繋がりたい。」


 


いくつものことについて問題意識を投げかけています。それを必要とするものが見えてくるようです。


 


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絵になるということか [寛容な社会]

 



 



313日付の西日本新聞の「電話での投稿」みたいな欄に、87歳の女性が、足が悪く、トイレットペーパー買う列に並ぶのが無理だという。そして、陳列棚がからっぽの映像をテレビは流して、不安を煽っているように思えるという。供給できる在庫はあるというのにデマ情報で買い込むのはなぜか。私の身内の者が東京で仕事帰りにスーパーを覗いたらやはり空っぽだという。悪循環です。



オイルショック時の記憶が残っている人たちも少なくないのだろうか、デマと言われても信用できないのでしょうか。たしかに在庫がないのだから。



 テレビがおかす過ちというのか、限界というのか、空っぽの棚がなによりも分かりやすいから流すのではないか。今の時期だと入学試験の合否発表があります。合格した人の笑顔を流し続けます。



 年末年始の渋滞情報と海外からの休暇帰りの子どもにインタビューする絵は何年も使いまわせるような同じ絵柄です。そこには、正月でも何もない家庭の子の絵は映らない。限定された情報しか伝えることができないのではないか。そのことが共有される社会になりうるのか。情報を発信する側の工夫も求められているのではないか。



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『詞華集 郵便ポストのナイチンゲールな夜』を読む [読書]

 



 



「美しい詩文を集めた書物。アンソロジー。」とネットの辞書は「詞華集」のことを説明しています。古い『広辞苑第4版』も同じ説明です。上記の作者は「尚 泰二郎」氏です。



「美しい詩文」の定義が正しいとすれば、次の作品は美しいのだろうか。



「老化/爪の先から、何かがとめどなく、剥がれ落ちてゆく。」



幼児は何かを獲得していくように見えるが、年寄りは、何かを規則的に剥がしていくのでなく、不規則に剥がしていく。それを美しいと見る人もいるのだろうか。精神科医竹中星郎氏は次のように述べています。



「個別性は一面で収斂に、一面で多様化に向かう。規則性、連続性から老いを眺めると醜悪にみえるかもしれないが、老いのすべてが醜悪なわけではない」とし「標準化された尺度はない」と述べています。



 



「温暖化/突如として地球が真っ二つに割れる。」



地球が危なければ大国の宇宙軍が他の星に侵略していくのであろうか。



 



詞華集は「生きるヒント」「不運な日」「愛の賛歌」「糞尿譚」の四つの章で構成されています。



「死者



 あなたが生きたのはどんな時代だったのか。



 いくつもの迷路を抜けてあなたに辿り着き、



 世代を超えもういないあなたと繋がりたい。」



 



全体に通じるのはエロティシズムへの憧憬なのでしょうか。


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「一軒家」の問いかけ  [高齢者]

「一軒家」の問いかけ    下川悦治

 

「秋の風

 

 若者たちのほとんどが

 出ていってしまったあとの

 わびしい山村、離島にも

秋は深まっていく

 

出ていくものがどうしても持ってゆけなかった

多くのもの それは

先祖以来の古いしきたりだけではない

めぐってくる故郷の季節  (以下略)」

 

「定本 黒田三郎」のなかの「十一月」からの引用です。若い時に購入し積読していたものです。「出ていくものがどうしても持ってゆけなかった」ものを垣間見るのがテレビ番組「ポツンと一軒家」です。林業など生業がたちゆかなくなり、出ていった人たちもいますが、リタイア後故郷に戻ってきた人もいます。多くは跡を継ぐ者さえ分からないのに先祖からの「遺産」を耕し続ける人もいます。番組としては、狭い道路や舗装していない道路が強調され、わざとらしくも見えるのが難点だという人もいます。それでも、大河ドラマや「世界の果てまでイッテQ!」の時間帯に高視聴率を得ているという。支持される理由としては、私たちの世代では「捨ててきた?田舎への郷愁・寂しさ」それと「申し訳なさ」が募るのではないかと思いました。一軒家に近い集落の人たちがこの番組をよく見ているのと道案内をしてくれるのにも感心します。なにより都会とは異なるのは一軒家には仕事がある。多くは農業だが、竹細工や炭焼きなどと新しい入植者の持ち込む仕事がある。手を伸ばせば仕事がある安心感は大きい。

「福岡詩人会議 筑紫野 152号より」 

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仔羊の恐れ [認知症]

藩とは何か-「江戸の泰平」はいかに誕生したか (中公新書)

藩とは何か-「江戸の泰平」はいかに誕生したか (中公新書)

  • 作者: 藤田 達生
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/07/19
  • メディア: 新書

 

藤田達生氏によれば、藩は、家康が国替えによって西進することにより広まったという。

 

「小著では、藩の誕生のメインストリームとして、家康によって築かれた東国政権が、国替

によって段階的に西進することで藩が広く浸透したことを重視する。繰り返すが、藩誕生の

前提として国替ありきなのだ。

あわせて、諸藩における参勤制度や海防体制の整備も重要である。前者では街道・宿駅の

整備、伝馬・飛脚制度の誕生、後者では遠見番所(とおみばんしょ)の設置や浦触(うらぶれ)制度の成立といった、藩領を越えた全国的ネットワークの創出を経て、幕府主導のもと藩が全国に拡大したものと想定する」(『藩とは何か』藤田達生著)

 

藤田氏の説は大方の説になりうるのかどうか分かりません。「藩」とは江戸時代の初め頃から存在していたと思っていました。公用語としての「藩」と呼ぶことのひとつの見解です。

 

こじつけですが、認知症が公用語になったのには意味があったのでしょうか

ある人によれば、認知症は医学的な用語から離れて「望ましくない老い」として広まっているという。それを「隠喩としての『認知症』」(竹中星郎著『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』参照)となっているのではないかと指摘しています。ある会話で「ニン」になった人の話題になりました。最初何のことだか分かりませんでしたが、繰り返される話でそういうふうに呼ぶのだと分かりました。そこには、もう終わりになった人という感じがしました。認知症の当事者が意見を述べる時代になっています。認知症の人の問題として当事者の声をすくいあげることが大切ではないか。役に立たない老人の上に認知症の恐れ。人生の最期には荷が重い。

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家族という新しい言葉 [支え合う社会]

 



 



私の家族は濃密な家族ではありません。5人いたきょうだいは生き残ったのが今3人です。結婚してからは疎遠な関係です。風変わりな家族だと思いますし、ラインでつながる関係などありません。過日、玄関先に姉夫妻が立っていて驚きました。もう3人だけになってしまったという会話でした。いろんな形の家族があると思いますが、家族という言葉が定着したのは明治中期以降だそうで比較的新しい言葉だという。身近に家族だが奥が深い。最近の映画界の動きについて次のように触れています。



 



「時代と共に伸縮する「家族」



広島市現代美術館でアカルイ カテイ展



韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が今年の米アカデミー賞4冠に輝いた。裕福な家庭に入り込む貧困家族の物語だが、日本映画を振り返っても常に家族はテーマの一つだった。家族の絆の解体を モチーフにした小津安二郎、すばる文学賞受賞作を原作、団地に住む核家族の不穏な雰囲気を描き出した森田芳光の「家族ゲーム」カンヌ国際映画祭パルムドール受賞の「万引き家族」も記憶に新しい。果たして家族とは何だろう?今ではその意昧を深く考えずに当たり前と思いがちだが、明治中期以降に定着した比較的新しい言葉だという。(以下略)(小川祥平)」(2020221日西日本新聞)



 



観た映画は「万引き家族」と「家族ゲーム」だと思うが、記憶にはあまり残っていません。新型コロナウィルスが蔓延している事態での家族とは何か。最後の拠り所になるのでしょうか。


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身体の力を [寛容な社会]

 


 


 日本障害者協議会やきょうされんなどがウィルスの影響で毎日の利用者が減らざるを得ないことで施設の運営費の不足になることへの補填や障害者・職員のマスクの確保などを要望したという。心配なのは入所施設の衛生管理です。狭い空間ですので対応が難しいのではないか。今のところ施設での感染は報道はされていません。


 


「ムギマキ通信 東直子


ウィルスが持たない言語を使って


新型コロナウィルスに関して、毎日状況が変わり、不安にならずにいられない。大きなイベントが次々に中止になり、その後の影響が心配である。莫大な金銭的な損失という物理的な影響ももちろんだが、精神的な喪失感、虚無感も計り知れない気がする。何年も前から準備していた主宰側。チケット、 宿、交通手段を整えて待つ観客。その日の喜びに向かっていた心が、すべて無になったのである。


人と人が協力してなにかをなしとげるということは、人間が生きることの根源的な喜びである。今は、人と人が触れ合うことすべてに対して、怖れを抱かなくてはいけなくなった。(以下略)」(202033日西日本新聞)


 


続けて特効薬がないらしいから一人ひとりの身体の力を高めるしかないという。免疫力が低いとされるお年寄りには負担が大きい。だから、不安感が広がっているのでしょうか。東氏は読書をするという。私はどうするか。免疫力は低下しています。体を動かすことが必要ではないか。部屋の中でも歩くしかない。次にやはり読書しかない。その他には何かあるか。読書感想を書くことにもトライしてみようと思う。


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「村の女は眠れない」 [経済]

 



 



テレビの朝ドラの再放送が夕方にあっています。国会中継などで放映されないことも多いので必ずあるわけではありませんが。今は有村架純主演の「ひよっこ」です。主人公の父も東京に出稼ぎに出ていますが、消息不明となります。主人公は集団就職で東京に出て父の行方を捜しています。



 



その時代を描いた詩が「村の女は眠れない」です。



 



「高度成長の人柱



O一五年の今、これだけは言いたいと思うことを書いておく。



草野比佐男氏の作品に「村の女は眠れない」という詩がある。



女たちは東北で生きている。一九六O年から七0年代にかけてのこと。



なぜ、女たちは眠れないのか。



男たちは、いないのだ。妻や子をふるさとにおいて遠い都会へ出稼ぎに行っている。



男と女―――抱きあって確かめ合い、満たされて眠る。それがない。



なぜ、男たちは都会に出ていくのか



在所では仕事がないのだ ()



戦争が終り、やっと「強制の死」からまぬかれる時代が来たとき、男たちはふるさとを



離れた土地でいのちを終え、眠れない女たちは、片身の人生を生きつづけねばならない。



(一部引用)」(『昭和とわたし』澤地久枝)



 



「村の女は眠れない」はこれもNHKで取り上げられます。初回でなく再放送がEテレでありました。高度成長期の建設現場などで働いていました。高度成長期そのものは私みたいなものでも雇ってくれるなどいいとこもありましたが、農村から男たちと若者を都会に吸収していきました。テレビで詩の朗読があったと思います。衝撃的でした。詩としても、出稼ぎの実態にも・・・


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「人間は過ちを犯す」 [寛容な社会]

 



 『伝えたい想い』という「徳田靖之弁護士活動50周年記念講演録」(非売品)という本を読む機会をいただきました。一度、春日市のクローバープラザで講演を聴く機会がありました。その時は「田舎の弁護士」だと言われていたのが記憶にあります。徳田氏はハンセン病問題で有名ですが、障害者問題のことで知りました。大分県障害者差別禁止条例制定やJR無人化問題もありますが、徳田氏の関わりが深まるのは、障害者を抱える母が無理心中を図った事件のことだとあります。背景に、相談機能が欠けていることを痛感し、支援機関を立ち上げた頃から仄聞していました。個人的には薬害スモン訴訟に関与されていたことが同時代の方だと思いました。



 



「講演録」を読んで目を開かせてもらったのは「人間は過ちを犯す、そこから喜びに満ちた進化がある」の章です。人間というのは「過ちを起こすんですね。もう人間の営みである以上、過ちを犯すことは避けられません。それが人間だといいと私は思います」と語られています。



徳田氏とは同世代ですが、過ちといっても比較できるほどのものではないことを繰り返し強調したいと思います。おこがましいですが、私は75歳となり人生の来し方を思うこともあります。過ちはたくさんありましたが、私にとって大きなものがいくつかあります。謝ってすむものではないですが、関係者には申し訳ない気持ちで一杯です。ああすればよかったと何度繰り返したでしょうか。徳田氏が言うようには「進化」できなかったことを含めて、過ちを含めての人生だと思えたことに感謝します



 


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