仔羊の恐れ [認知症]
藤田達生氏によれば、藩は、家康が国替えによって西進することにより広まったという。
「小著では、藩の誕生のメインストリームとして、家康によって築かれた東国政権が、国替
によって段階的に西進することで藩が広く浸透したことを重視する。繰り返すが、藩誕生の
前提として国替ありきなのだ。
あわせて、諸藩における参勤制度や海防体制の整備も重要である。前者では街道・宿駅の
整備、伝馬・飛脚制度の誕生、後者では遠見番所(とおみばんしょ)の設置や浦触(うらぶれ)制度の成立といった、藩領を越えた全国的ネットワークの創出を経て、幕府主導のもと藩が全国に拡大したものと想定する」(『藩とは何か』藤田達生著)
藤田氏の説は大方の説になりうるのかどうか分かりません。「藩」とは江戸時代の初め頃から存在していたと思っていました。公用語としての「藩」と呼ぶことのひとつの見解です。
こじつけですが、認知症が公用語になったのには意味があったのでしょうか
ある人によれば、認知症は医学的な用語から離れて「望ましくない老い」として広まっているという。それを「隠喩としての『認知症』」(竹中星郎著『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』参照)となっているのではないかと指摘しています。ある会話で「ニン」になった人の話題になりました。最初何のことだか分かりませんでしたが、繰り返される話でそういうふうに呼ぶのだと分かりました。そこには、もう終わりになった人という感じがしました。認知症の当事者が意見を述べる時代になっています。認知症の人の問題として当事者の声をすくいあげることが大切ではないか。役に立たない老人の上に認知症の恐れ。人生の最期には荷が重い。
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