秋の空は [高齢者]
「ある日ある時
秋の空が美しいという
ただそれだけで
何かしらいいことがありそうな気のする
そんなときはないか
空高く噴き上げては
むなしく地に落ちる噴水の水も
わびしく梢をはなれる一枚の落葉さえ
何かしら喜びに踊っているように見える
そんなときが」
『定本 黒田三郎詩集』からです。
最近、毎月訃報に驚く。人生100年時代というがいずれも70歳前後の方です。そんな私には「いいことがありそうな」気配は感じられません。単調な暮らしに変化があったのは,先日、息子が帰ってきて2泊したぐらいです。たんたんと着実に時は過ぎていきます。温暖化もあり、秋を感じる時間が短くなりました。慌ただしく黄葉も過ぎていきました。この国の総理は9月の気候行動サミットの国連演説を断られていたという。石炭火力発電の推進策を決めたからではないかとも。この国のマスコミはどの程度伝えたのでしょうか。年寄りの記憶にはない。
実態を調べてみて [医療]
2019年11月30日西日本新聞の投稿欄に「病院の統合案 現場理解せず 89歳」として、
厚生労働省が公立・公共病院の再編・統合案を公表したなかで、実態が知らないでの案ではないかと指摘されています。
「整形外科領域を例にとると、対象には福岡県内の肢体不自由児診療施設や脊髄損傷(脊損)治療施設も含まれている。それぞれ専門的な治療が必須で、長期の治療観察を必要とする」
として、案に反対するとしています。同感です。
肢体不自由児診療施設とされているのは、肢体不自由だけでなく神経系など幅広い専門的な診療とリハビリテーションがなされていると思います。脊損についてはよく知りませんけど、近所の方が転居してリハビリテーションをされるなど広域の方が利用されていると思う。
こうして安易な案が省庁で出されていくことに行政の怠慢というか、劣化を示しているのではないか。
遠くにありて [テレビ]
僧侶の相談が人気があるという。仏教の教えの中にある言葉が人を励ましてくれるのだろうか。社会福祉のソーシャルワークの社会分析と改革の力とどういうふうに違うのか興味深い。
テレビ東京の「家について行ってイイですか」という番組を時々観ます。東京だったと思うが故郷北海道の旧炭鉱町に50年ぶりに「帰る」という内容でした。東京では実家周辺の様子を想像しながら暮らしています。実家は既にないし、廃坑になった田舎がさびれているのに、賑やかだった頃の雰囲気を楽しんで想像しています。50年ご無沙汰している秘密が明かされます。
私の田舎は田園地帯です。既に実家もなく、思い出すことは幼い日々のことだけです。思い出の中の故郷と現実のギャップは大きそうです。それでも確認してフルサトに帰って良かったと語るテレビの出演者でした。自分の田舎も思い出の中にろ過されているのかもしれませんが。
「定年考」 [職場]
「定年考
やめた人間は後ろをふりかえりたい気持ちと長い間いたところから離れた悲哀とが半々である。知らぬ顔をしてくれるのがいちばんありがたい」(『老いの練習帳』)
人によって知らぬ顔されるのが嫌な人も多いでしょう。知り合いなどは月1回程度昔の仲間とゴルフに行くのだという。そんな人たちは終身雇用の人たちです。
働く環境が変わり、終身雇用の定年による退職を迎える人も少なくなっているのではないか。非正規雇用の拡大は働きたいという希望を「人格」として認めない仕組みかもしれません。
しかし、定年とは強制的に退職を迫る理不尽なシステムだという意見があります。だが、毎年契約更新されるスポーツ選手の場合のような査定があるわけではない。希望すれば再雇用される仕組みも悪くはない。日本の高齢者の働く率は高い。内閣府「平成30年度版高齢社会白書」2017年度によれば 男で65~69歳の人で54.8%の人が働いています。外国の率は65歳以上の男性労働力率(2016年) アメリカ 24.0% カナダ 17.9% イタリア 6.7% フランス 3.9%となっています。社会保障の状況などを勘案しても高すぎるように思います。イタリア・フランスの人たちの老後の生活はどんなものでしょうか。
「くまモン」 [街で]
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、1月、初めて人間ではない?とされるものが登場したという。
「コラム 春秋 2019/11/21 西日本新聞」
「▼仕事は地方公務員。熊本県営業部長兼しあわせ部長と言えば、お分かりだろう。同県PRキャラクター「くまモン」である。(略)
▼県職員時代、誕生に関わった宮尾千加子同県立美術館長によると、くまモンが生まれた背景には、地元の強い危機感があったという
▼九州新幹線鹿児島ルートが全線開業した2011年。鹿児島から福岡、関西まで直通新幹線で結ばれ、熊本は通過点になるとの懸念が募った。そこで、関西での熊本PR戦略の一部として企画されたのがくまモンだった」
くまモンの成功は私たちに何かを問うているように思います。
佐賀県と長崎県では諫早の干拓事業と新幹線問題は似ているように思う。地方が決めたのか、国会議員が決めたのか、自治体の意向はどれだけ聞き入れられたのか、国民の声は聴いたのか、佐賀空港のオスプレイ配置もまた似たような構造のように見えます。
熊本では新幹線で熊本が通過駅になるという危機感があったという。佐賀県と長崎県の危機感とはなんだったのでしょうか。諫早干拓に危機感はあったのかどうか。
名前にこだわるか [社会]
11月26日は「いいフロの日」という。語呂合わせのなかで11月は「いい」で始まるから確認はしていませんが〇〇の日が多いのではないかと思いました。し
名前が変わるのに郷愁にひたる人も少なくないのかもしれません。八幡製鉄所の名が消えるというのだ。
「この世ランドの眺め 昔々、あったげな 村田喜代子
『製鐵所』 、近代的な洋式高炉の製鐵所は、日本中ここしかなかったのでこれで充分。官営も八幡も株式会社も何もいらず、すっきり シンプルなこれだけ!三文字の社名は以後三十三年開通して、やっと昭和九年『日本製鐵株式会社』と変わった。昔はこんなに簡単だったんだ。このシンプルというか素朴さは、例えばこの私なら「村田」とか「喜代子」とかの名前もなく素性もなく、自分の顔を指でさして、「あ、た、し」と言っている感じ。歩きはじ
めた幼い子みたいで可愛い。明治から百二十年余、その世間知らずの可憐な「あたし」は、
戦後日本の鉄鋼業を育て上げ、役目を果たすと、やがて時の彼方ヘ飛んで行ったのだ。
「とくに淋しい気持ちはないですよ。人も企業も移り変わります」電話の人にそう言った。(一部引用)」(2019年11月22日西日本新聞)
最近は女子アナウンサーなどは結婚しても旧姓のままで通している人が多い。その方が愛着もあるし、離婚してまた旧姓に戻さなくて済む。女性が姓を変えなくてはならないとは限らない。オトコ社会のなかで女性の姓を使うことに抵抗がある人が多いと思うが、そうでもない人もいるはずです。人も、組織も、名が体をあらわしているのですから、社会環境によって変わらないといけないのではと思う。姓が誰か偉い人から与えられたり、住むところによるものであったり、それほど深刻になって決められたものでなかったりします。ある意味、記号みたいなものだと思うのですが、どうでしょうか。
大相撲九州場所も終わって [スポーツ]
ほぼ毎日朝6時25分からのEテレの「テレビ体操」をします。ラジオ体操含めて10分間ですが、そのなかに「みんなの体操」というのがあります。「みんなの体操」が始まってから20年という。私が「テレビ体操」を始めてから15年余ですので、始める5年ほど前につくられたことになります。「みんなの体操」は年寄りにもやりやすいように思います。
大相撲九州場所が終わりました。白鵬の圧勝です。新旧交代とはいかないようです。なんといっても休場者が多いことです。親方に言わせると稽古不足だという。親方が指導しているのに他人事のように聞こえてきますが、親方と弟子の関係は違うのでしょうか。それと立ち合いがうまくいかない。行司によっては手をつかないと認めないというが、統一ルールを決めることはできないのだろうか。今までの歴史もあるのでしょうが・・・。軽量の炎鵬の活躍が救いだと感じました。
郵便 [高齢者]
最近、郵便に対する信頼は揺らいでいますが、郵便そのものの役割は変わっていません。特に、年寄りの日常では大きな存在です。
「うちにいる日は郵便の来るのが楽しみである。もうそろそろその頃合いだと思うとなると、玄関脇の郵便受けあたりに神経を向ける。(略)
別にいいことがあるわけではない。たいていはダイレクトメールのたぐいであるが、それでも来た方がいい。封書やはがきが大型郵便物の間に小さくなってはさまっているのがいじらしい。日曜日は郵便がないからつまらない」(『老いの練習帳』)。外山滋比古氏のようにではないのかもしれませんが、近いものを感じています。しかし、多くは、中古住宅などの不動産や葬祭業などのふれたくないものもありますが、商品カタログなども多いですので、資源のムダのようにも感じます。それでも、それがなくなったらどうでしょうか。大型郵便物の間に挟まっている年金通知・医療費の通知などのハガキを見ます。外の空気を郵便は運んでくれるから待ち遠しいのでしょうか。土曜日も休みになるらしいが・・・。