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生活の変化はあるが [社会]

 

 

 朝はパンとコーヒーですが、昼と夕飯はお米です。しかし、糖質制限の時代の流れでは分が悪いようです。気持ちだけでも少なくしようと減らしていることが多いです。新田の開拓は江戸時代の藩の収益拡大策としても大切にされたのだと思いますが、今は、時代の流れとはいえ、諫早干拓の是非が問われています。しかし、弥生時代は博多周辺の地域で米作が始まったという定説がありますが、最新の研究では縄文時代の高度な文化があきらかになりつつあり、変わりそうな気配があります。それにしても、大陸から伝わった米が生活の中心にあり、経済活動の目安だったということでしょうか。だが、九州は不作だという。再開゛の影響もあるのではないか。

 

「コラム デスク日記 2019/12/11西日本新聞  岩尾 款 

 一方、不作になると塗炭の苦しみを味わった。作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんが江戸時代の筑後地方を描いた小説「水神」では不作の年、農民が山に入ってワラビの根や松の皮を食料にする場面がある。かんがいのためせきを築く実話が基の小説。米を求める努力は飢えの恐怖と表裏一体だった。

 今年、九州の米はまれに見る不作。佐賀では「これじゃ経費も出らん」と農家の嘆きを聞いた。ただ消費の減少もあって米不足にはならなさそうだ。豊かさの証左か、伝統の変容か。先人は米余りの現代をどうみるだろうか。(一部引用)

 

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