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頼り過ぎた時 [支え合う社会]

 

 

 テレビの「サワコの朝」に出ていた女優の南果歩さんが「キャンサーギフト(がんからの贈り物)」というのを紹介されていました。ネットで「がん患者が幸せを感じられるきっかけとは 福原麻希=医療ジャーナリスト」というのでは次のように紹介されています。

 

「『キャンサーギフト(がんからの贈り物)』という言葉がある。がんと診断され、治療を受けているとき、患者は病気や副作用の症状だけでなく、先が見えない不安から身体も心もつらかったり苦しかったりする。だが、自分の人生や病気の経験、周囲の人々の存在や言葉を意識することで、これまで見えなかった何かに気付いたり、感謝するようなできごとが起きたりすることがある。」

病気をどう受け容れて生きるかということなのでしょうか。乗り切った南さんの活躍を祈りました。予測できない病気や障害を宣告されたときに、人は混乱します。その後、時間をかけて受け入れることで新たな闘いのステージに生きることができるようになります。それは一直線に進むのでなく右往左往することが多いと思われます。受け入れた段階で新しい生き方が見えてくるのではないでしょうか。

 

 がんの宣告とは異質なのかもしれませんが、不必要に怒って、あとでみじめな気持ちになったことがあります。一度だけではありません。

 

「ふだん不必要に怒らないようにするには、他人に期待したり頼りすぎたりしないようにすることが一番です。自分がこの世に命を授かったこと、直接、間接に自分を支えてくれてきた無数の人たち、自然・・・そうしたものへの感謝の気持ちをいつも持っていれば、他人のせいにしたりせず、心が穏やかになってイライラした気持ちは減るはずです」(『人間の本性』丹羽宇一郎著)

 

 私の反省としては感謝の気持ちが少ないからではないかと思っています。すでに時すでに遅しという感もありますが、改めて確認しておきたいと思います。何に感謝しないといけないのかがよく分かっていないのでしょう。

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新聞連載小説 [読書]

 

 

国民の一部だろうが、停電が続き、熱中症にかかりそうなのに、内閣改造に嬉々としている姿を見たくはなかった。

 

『逃亡者』は注目の作家中村文則の西日本新聞連載でした。新聞連載は苦手で、毎日読むことになれないし、あらすじを記憶に残せません。今は平野啓一郎さんの連載ですが、いずれも、単行本になるのを楽しみにしています。

 

「小説『逃亡者』連載を終えて  中村文則  日本社会は今後ますます息苦しく・・・抵抗の小説として」(2019911日西日本新聞)」で次のように述べています。

 

「日本社会は今後ますます無関心に、差別的に、全体主義的に、息苦しくなっていくと感じます。現在の流れに対する、抵抗の小説でもありました。それと同時に、とても個人的なことを書くことにもなりました。社会の流れに対し自分の非力さを思う日々ですが、もしこの小説の全体からでも、一部からでも、何かを感でていただけたら作者としては嬉しいです。(一部引用) (なかむら・ふみのり作家)

 

 息苦しさはありますし、小泉氏が出てくれば喝采する心境にもなれません。その姿は既視感と重なります。それが民意なのでしょうか。

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不登校の原因は [自殺]

 

 

アジアの中で香港や韓国では自らの意思を声にだして言う人たちが多いように思う。西日本新聞の読者の川柳に「香港を日本の若者何と見る」というもありました。日本では「同調圧力」に負けてしまうことが多いと言われることもあります。それぞれの国で生きることに挑戦し続ける若者たちがいることに敬意を持つことから始めようではないかと思う。

 

「コラム 風向計 大切なのはこの子の命 田代芳樹 2019/9/6西日本新聞」では、そんななかでも声をあげた人のことを取り上げています。

 

「新学期が始まった。「また学校か」と、もやもやしている児童生徒もいるかもしれない。休み明けの後は、いろいろな意味で子どもがプレッシャーを受けやすい時期だ。

 気をもむ親子に、ぜひ知ってもらいたい話がある。

 もう26年前になる。大学の教官がまとめた不登校の研究成果を記事にした。登校を嫌がる子どもは、過保護や放任主義の家庭に多い。こんな内容だった。

 すると、掲載日に読者から厳しい指摘の電話が来た。

 「不登校の児童や生徒は家庭に問題があることが多いと記事に書かれていますが、子どもや親の声を直接聞いたことがありますか」。自らも子どもが不登校で悩んだ時期があった女性は涙声になった。(一部引用)

 

 不登校が「家庭に問題がある」と矮小(わいしょう)化されることに、居ても立ってもいられず電話をかけてきたのだという。

 不登校のことを最初は本人に行きなさいと責めたという。すると、娘は死に向かおうとしたが、親として命があればという思いに至ったという。その頃は、不登校でなく「登校拒否」と呼ばれていたという。9月も半ばを過ぎました。自ら命を絶つ子どもは少なくなったのでしょうか。

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文化の問題も [寛容な社会]

 

 

9日の『鶴瓶の家族に乾杯』は福島県南会津町でした。ゲストはキムラ緑子さん。お祭りが近いということで地域の交流が濃いことを示していました。江戸時代から続いているこども歌舞伎、伝統芸能が地域で脈々と受け継がれているのに会津地方の伝統の積み重ねにキムラ緑子さんは感動。見ている私などごく一部しか目にしていないのに深い感動が込み上げてきました。伝統を受け継いできた力の奥深さを感じさせてくれました。「ハンパない底の深さ」が。

 次のコラムは最近の幼児虐待ですが、南会津町地域ではどのように考えられているのでしょうか。なにかそこに知恵があるのかもしれないと想ったりしました。 

 

「コラム 春秋 2019/9/4 西日本新聞 オピニオン面

『抱き締めてくれないの?』。久しぶりに会った父親は幼い息子の訴えを無視する。父親の大事なレコードを手にし、気を引こうとする息子。父親は「触るな」と叱りつけた。両親の不仲でぎすぎすした家庭。誰にも愛されなかった少年は、音楽に救いを見いだす…

▼公開中の映画「ロケットマン」だ。数々の名曲を生み出した英国の歌手エルトン・ジョンさんを描いた作品。スーパースターへの階段を駆け上った半生は、愛を求めてもがき続けた苦難の道のりでもあった(以下略)」

 

 コラムは幼児虐待の話へと続くのですが、愛されなかった子どもがいる現実は動かしがたい。いや、愛されなかった不幸が問題なのか。いろんな背景があるのだろう。警察と児相の連携がとれないのはどうにか良い方向にならないのだろうか。地域の知恵はなかったのか。誰の責任ということではなしに・・・。失ったモノは「寛容さ」かもしれないと

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「だれでもトイレ」で良いか [支え合う社会]

 

 

トイレの話ですが、明るい話です。

 

「コラム 気流

前に小欄で「トイレは観光資源だ」と訴えたからか、TOTO(北九州市)の広報マンが、またまた 最新のトイレ情報を持ってきくれた。広島県廿日市市の世界遺産・厳島神社がある宮島に81日にオープンした「おもてなしトイレ」木造2階建ての1階が観光案内所とトイレに分かれ、2階は休憩スペース。注目すべきは、男女ゾーンとは別に広く取った共用ゾーンにある「だれでもトイレ」。想定利用者は異性の子供連れや高齢者の介助のほか、体と性が一致しないトランスジェンダーという(以下略)」(201996日西日本新聞)

 

トランスジェンダーの人も利用できるというのが特徴か。ネットで調べるとトイレのある場所の建物が「おもてなしトイレ」とされ、男女共用のトイレが「だれでもトイレ」とされています。

機能別に整備されています。

①車いす優先 2か所

⓶ベビールーム 1か所

③キッズトイレ 1か所

④だれでもトイレ(男女共用型)1か所

 

福岡市営地下鉄などは多機能トイレとして一般用以外のものとは別にある形になりつつあるように聞きます。福岡市の場合はオストメイト対応を意識しています。しかし、名称があいまいでは分かりずらいように感じます。国の推奨基準とネーミングがあるかは調べてみます。

 

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「カッコいい」年寄りは [高齢者]

 

 

平野啓一郎氏の「『カッコいい』とは何か」によれば、テレビの「月光仮面」が始まったのは1958年(昭和33年)だという。我が家にテレビがやってきたのは翌年だと思う。「月光仮面」や「名犬ラッシー」「快傑ハリマオ」などが記憶にあります。でも、「カッコいい」という存在ではなかったというか、「カッコいい」という感覚が私の中に育っていなかったように思う。

 

あれから60年余。916日は「敬老の日」の対象になりました。私の街では75歳からお祝いの対象になるようです。後期高齢者医療証も届きました。足をひきづるようにして歩いている年寄りがいました。それは私の姿でした。どのように今からを生きていくかという問いが、ガラスに映った我が姿が問うています。「カッコいい」年寄りになれるか。

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「心のトゲ」 [平和]

 

 

 新聞に小説『ラッコの家』を刊行した古川真人さんの作品紹介があり、見出しには「優生思想への嫌悪感 心のトゲと向き合う」とあり、実生活でも目の見えない兄と2人で暮らしているという。読んでみたくなり注文した。時代の流れが障害者などいわゆる社会的弱者を優生思想に侵食されているような気がします。

 

 そんな折にあった出来事に不穏な空気を感じた出来事がとりあげられていました。

 

「コラム 風車 新聞社の軍歌

先の参院選中、安倍総理の演説にヤジを飛ばした連中が警察官から注意を受け、その場を排斥された。小さなことかもしれないが、この空気が昭和初期の治安維持法時代を彷彿させる。 マスコミとくに新聞社はこの空気を危険と考え、木鐸を強く叩かなくてはならない。新聞社が政権や内閣に迎合し始めると、時代は一気に全体主義に移行し始める。先の大戦も新聞社が国民を煽ったことは否めない。その証しが新聞社制作軍歌である(以下略)(中洲次郎)」(201996日西日本新聞)

 

このコラムでは、軍歌をつくったりして戦争を煽った過去が新聞社にはあるということにつながっているのですが・・・。その頃、戦争が始まれば情報を求めて販売部数が増えていったという。今や、インターネット社会で情報の迅速性からしても新聞に利点があるとは思えないが、構造的な問題だと指摘されています。経営的に苦しくなればという不安はありますが・・・。

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「ガイドランナー」 [障害者福祉]

 

 

大相撲が面白い。幕内前半は炎鵬という小柄の力士が相手との体格差をものともせずにやっつけます。動画再生数はトップのようです。後半は貴景勝の復活です。場所前のインタビューで怪我する前と後で人間関係が変わったみたいなことを話していたのが印象的でした。

 

視覚障害者のマラソンの話です。

見えないから「ガイドランナー」がいるのだと単純に考えていました。いろんな制約があるのですね。

 

「コラム 気流

視覚障害がある陸上選手の横を伴走する「ガイドランナー」。歩幅もペースも異なる、選手に合わせて、タイムを測ったり、ほかの選手の位置を知らせたりする役割を持つ。選手より先にへばれないから、選手よりタイムが速い人が理想という▽ガイドランナー歴7年の福岡県篠栗町の会社員、堀内規生さん(38)から聞いた。マラソンの自己ベストタイムが2蒔間40分台という堀内さんがこの世 界に入ったのは、都内でたまたまガイドランナーを見掛け て、「好奇心を持った」から だ▽福岡に戻って本格的に始めてみると、想像以上に厳し い世界だった。ガイドランナーは、あくまでも「選手の目の代わり」。選手を前から引っ張ったり、支えたりするのは禁止。言葉で励ますのも認められない。選手との相性だってある。だけど、やめられない。なぜか。続きは明日。」(2019911日西日本新聞)

 

堀内さんの相手の選手は2016年リオデジャネイロ・パラリンビックで、視覚障害女子マラソンに出場したメダリストの道下美里選手です。太宰府市体育館が新築されたときに見学に行きましたら、受付当たりに道下選手のパネルがありました。いつか新聞で、JRの水城駅を利用者されることがあると述べられていましたので納得しました。テレビで観ると小柄な方です。来年はパラリンピック。期待しています。

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「トレッドミル」記憶せず [街で]

 

 

 福岡県柳川市はクリークを使った川下りが観光名物です。それを西鉄電車の柳川駅まで延ばして乗下船ができるようにするという。2024年度目標だというが順調に進むのだろうか。

 

本日は「和製英語」の話です。

「キャッチボール」も和製英語だという。OLも外国では通用しないそうです。それなのに確実に和製英語は増えています。気になったのは新聞記事で「インバウンド(訪日外国人客)

とあるのに「コト消費」には説明書きがありません。「コト消費」は和製英語ではないけど一般化しているのでしょうか。「コト消費」のあとに大衆演劇などの例示はありましたが・・・。

それにしても和製英語だけでなく日々言葉が豊かになっていくのでしょうか。

 アン・クレシーニさんは大学教師で出身はアメリカだという。

 

「アンちゃんの日本GO アン・クレシーニ」(2019829日西日本新聞)では「こんなに外来語があるのに、なぜわざわざ新しい和製英語を作る必要がある? computerはコンビューターになっているし、cameraはカメ ラになった。同じように、全ての外来語をカタカナにしてもよかろう?」という視点から見つめます。

そしてランニングマシンを例示します。「例えば和製英語の「ランニングマシン」を考 えよう。英語で、treadmilという。 そのままカタカナにすると「トレッドミル」になる。「は?分からん ! 」と思う人は多いはず。発音も難 しいし、どういうものか想像しにくい。けど「ランニングマシン」は、 おそらく日本人の誰もが簡単に発音できるし「ああ、走る機械だ!」と 想像もできる。これは和製英語の魅力の一つだ。」

 

私はリハビリを兼ねて「ランニングマシン」を使用しています。「トレッドミル」とは何度聞いても記憶に定着しません。ランニングでイメージが湧きます。だが、私は走るのではなく歩くスピードです。

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できないことが増え [高齢者]

 

 

新聞の投稿欄(201995日西日本新聞)にパーキンソン病になり、人より自分は歩くのが4倍時間がかかるなど身体機能の低下があるが「できることはまだいっぱい」あるというのがありました。

 先日、雨の合間に歩いていましたら、同年代の人たちが歩いていました。以前は1回の散歩で8000歩程度歩いていましたが、今は調子が良い時でも3000歩です。確実にできることが減少しています。投稿者は「できないことばかりになった自分を嫌いになった」ことがあるという。近所には、犬が存命時の散歩を朝夕していましたので知られています。あの頃に比べれば衰えは顕著です。どんなに見られているのだろうかと他者の目が気になるともあります。

 高血圧・心疾患などの慢性疾患を併存したり、認知機能低下やうつなどの老年症候群などで虚弱になり、やがて身体機能障害なることの段階をフレイルというそうです。

 自分だけが大変だと思っていると、懸命に生きている他者が見えなくなりますね。

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