SSブログ

夢を持ちたいのでは [職場]

 

 

 老年医学に「フレイル」という概念があるそうです。健康なお年寄りの次にフレイル(虚弱)という段階があり、次に介護が必要な身体機能障害だというのです。それによれば、フレイルという状態にいる年寄りからの意見です。

 

『人間の本性』丹羽宇一郎著で、新入社員の夢のない状況に危惧を持っておられるようです。

 

「なぜ夢を持てない若者が増えたのか

商社に勤めている私の友人から先日、こんな話を聞きました。10人ほどの新人を集めていろいろな話し合いをした際のことです。 「君たちはなんで商社を希望したの」と聞くと、「給料がいいから」という返答がけっこうあったそうです。さらに「海外で仕事をしたいという人はいるか」と聞くと、手をあげたのは女性一人だけだった。給料がよくて、3Kではない見栄えのいい仕事だから商社に入った。そんな就職の動機を知り、友人は内心「彼らに夢はあるのだろうか」と思ったそうです。」

 

 非正規雇用が中心になる社会で「見栄えのある企業」に就職したのに大事しなければバチが当たります。たしかに、夢を持ちたいが、夢を小さなものにしたのは、こういう格差社会を作り上げてきた結果なのではないでしょうか。たしかに、見栄えだけで入ってきていることに不安があります。そこに、後輩たちが驚くような先輩たちがいるのでしょうか。そのことが問われているのではないでしょうか。

033.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

差別の反対は? [障がい者問題]

 

 

映画『夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年』の監督である今井氏の「記録映画『夜明け前』の先へ 今井友樹 記録映画監督(2019年「すべての人の社会」8月号日本障害者協議会)を読みました。映画を製作した「きょうされん」の藤井氏との会話が紹介されています。

 

「そこで私は監督の打診を受けました。 その際、藤井さんに言われた言葉が強く印象に 残っています。藤井さんは私に「差別の反対はなんですか? 」と質問を投げかけました。私はとっさに「平等」と応えました。藤井さんは言いました。「たしかに平等"はひとつの正解と言えるかもしれない。しかし40年以上障害者福祉に取り組む 我々にとって、差別の反対は無関心"です。世間 の無関心に届く映画を作って欲しい。そう訴える藤井さんの言葉を聞きながら、私は自分自身もまた無関心な世間の中で生きていることに気づかされたのです。

私の妹は、中学生の頃からてんかんの発作を繰り返してきました彼女の障害どう向き合うか。 私はこれまで家族の問題であると捉えていまし た。一方で、藤井さんをはじめ障害者福祉に取り組んで、いる皆さんは、社会や国の問題として解決 しようと取り組んでいます。」

 

 

ここを読んで思い出したのは、ひとつは、国際障害者年が提唱された頃の知的障害者施設の団体の研修会に招かられたときに、「てんかは病か、障害者なのか」という質問をされました。当時、精神障害者やてんかんなどは「精神衛生法」という法的根拠しかありませんでした。それは隔離収容を基本とする社会防衛法だと私は認識していました。質問には、障害者でもないのにというニュアンスがありました。程なくしてWHOが「国際障害分類試案」が発表され、障害者として位置づけられました。

ではもうひとつの、当事者サイドはどうか。個人的な意見ですのでご了承ください。当事者側の団体としては、てんかんという「病気」のことをよく知ろうということで医師の講演会をやっていました。てんかんということをひた隠しにして生きている方が少なくなく、講演会会場の受付で名前を書くのを拒む人もいました。そして、病人ではあるが障害者ではなないという差別感情も底流にあったと思います。今では、社会の進歩に合わせて、社会も、当事者も変わったと思います。周辺と当事者側にもあった空気は活動の方向性も縛るものだったと思います。

029.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

お知らせ

29日の西日本新聞で知りました。画像は九州産業大学HPよりダウンロードしたものです

5966b85c400ea8462f814bcc50ebbd9e.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ムヒカは言った [寛容な社会]

 

 

日本障害者協議会の「2019年「すべての人の社会」8月号」からです。

 

「編集後記

81日、参院選後初めての臨時国会が召集され、初当選した重度障害者の舩後靖彦氏・ 木村英子氏ら重い身体障害を持つ当事者が、 介助者とともに初登院したと報じられている。 早くもネットでは心ない批判が出ているらしい。 大阪の知事は、「視覚障害者の職員は一人で 通勤している」と、自己責任を求める発言をしている。()

最近、やまゆり園事件、京都アニメーションの事件、虐待、いじめ、ひきこもりなどなど、どうしてしまったのだろう。私は、これらの事件や現象の源流には、やはり、優生思想や成果主義など、人の命や人権が軽んじられ、世の中についていけない人たちの叫びではないかと思えてくる。 世界一貧しい大統領といわれた、ウルグアイ のホセ・ムヒカは言う。「みんな幸せになるために 生まれてきた」 (内田邦子)

 

 大量殺人事件は国の動きと無縁ではないのではないかと考えさせられる。無関係だと言う人もいるでしょうが、北欧の国では大量殺人事件を政府として調査したことがあったと記憶しています。人の命が軽んじられているのは難民の数を見ても分かるでしょう。2018年で約7,080万人もいるという。核廃絶を求める高校生の平和大使が署名を届けているのに、アメリカは核兵器の実験を再開し、各国が勝手に動き始めようとしています。人の命は

軽んじられています。人の命が軽んじられたら国として毅然とした態度を示して欲しい。そのことで、人権に対する深い理解をしていくことになるのではないか。最近は人種差別の発言がなされても非難されることが少ないように思う。

023.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

問わなくなって [寛容な社会]

 

最近、想うことのひとつに、愛国心があります。日韓もありますが、日中もあります。日韓では世界2位の座を譲った日本のプライドが影響していないでしょうか。愛国心などはいつのまにか備わっていて、特別に考えりはしません。高村薫氏は次のように問うています。

 

 

「問いを立てなくなると、問い自体が消えてしまいます。クローン技術を生命に応用することの是非などは、私たちが生命とは何かという 問いを忘れてしまったところに出現してきた問題でしょう。

もちろん、社会は多くの圧力に満ちていますから、生きることは依然として楽ではありません。私たちは日々不安や迷いにさらされるなかで、何らかの解決を求めてネットを開きます。そこにある大量の情報のなかから適切なものを選び取るのもたいへんな労力だけれども、ともかくそうして何となく埋め合わせてしまう。しかしそれも、すぐにべつの情報に流されてしまい、またネットを開く。そういう繰り返しに疲れ果てた末に、宗教に解を求める人も機会も増えてゆくのではないでしょう」(『生死の覚悟』高村薫 南直哉著)

 

生きることが楽になるというのは想像できません。気楽に生きている人はいるのかもしれませんが、その実、大変ではないかと思う。『さまよう遺骨』という本では、核家族化などで独居が増え、亡くなっても遺骨の行き先が決まらないという。せめて、自分の墓代は貯金しておこうと貯め続けても、遺骨を葬る人がいないことも少なくないのだという。自分たちの「弔い」の文化が時代に適応しなくなっているようです。ですが、問うこともなく過ぎた先には、無縁仏として合葬されればいいほうではないか。独居老人が増えたのは好き勝手になったわけではないだろう。高度成長期に「金の卵」ともてはやされた労働者が、働き、団地に住まい、老いてしまった結果なのではないか。定年後あるいは早期退職して田舎に戻る人たちもいます。「ポツンと一軒家」の住民にも先祖の遺産を守ろうとしている人たちがいます。この番組が支持される理由のひとつではないか。

 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

おばちゃんの力 [街で]

 

 

「コラム デスク日記 2019/8/20西日本新聞 社会面 」からです。うどん居酒屋というものが分かりません。社会の流れとは無縁に近いところにいる年寄りです。

 

「最近、福岡では深夜営業のうどん居酒屋が増殖中だ。店員も客層も若く、接客が爽やかで、他にはなさそうな挑戦的なメニューもあり、ついつい長居してしまう。とはいえ、おばちゃんたちが店を回している昔ながらのうどん屋の活気は、やっぱり格別だ。

 週末の昼時。どれだけ混んでいても客の人数に応じて、てきぱきとしかるべき席に誘導し、必要にして十分な声で注文を通し、熱々の丼を軽快に目の前に届けてくれる。その要領を得た動きにいつもほれぼれする。(以下略)(塚崎謙太郎)」

 

 私が好きなのは、麵の固さを選べる店です。座席に畳敷きがあるのも助かります。そこにはおばちゃんが多く働いておられます。注文を取るのも早いが、よく通る声で注文を告げるのも威勢がいい。最近、固めんのうどん店が多いのですが、私はやわ麵がいいです。一時期は讃岐うどんでしたが、年のせいかもしれません。

 

 

 

017.JPG

 

 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

お知らせ 報道 [お知らせ]

001.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「『カッコいい』とは何か」の話 [読書]

 

 

「『カッコいい』とは何か」という平野啓一郎氏の本をようやくネット書店に注文しました。

過日、「提論 【「カッコいい」とは何か】 平野 啓一郎さん2019/8/5 西日本新聞 」を読んだことも購入すねる動機になっています。

 

 「『カッコいい』という感覚は、「カッコ悪い」と表裏一体である。私たちが、「カッコいい」服を身にまといたいのは、積極的に「カッコよく」なりたいだけでなく、「カッコ悪い」と思われたくないという不安の故でもある。

 「カッコ悪い」という宣告は、個人に対しては屈辱な一種の暴力だが、しかし、政治の「カッコいい」化戦略に対しては、健全な批評としても機能する。かつては、日本の新聞にも掲載されていた風刺画などはその一例である。社会的に、「カッコいい」とは何かを言語化すべき時だろう。」

 

 平野氏は「カッコ悪い」というものは健全な批評としても機能化するという。そのひとつの例として新聞の風刺画があるという。私が購読はている新聞は掲載されています。たまたま見た日には「あおり運転」が題材に。テレビはこれでもかというぐらいに繰り返し報道されましたが、私にはその半分くらいを沖縄の今や貧困問題などを伝えたらと思いました。社会的に「カッコいい」を言語化する必要は分かりますが、ヒントが本の中にあるのではないでしょうか。私にも理解することができたら読み終わったらご紹介したいと思います。

 そこで思い出したのが18日放送の「ポツンと一軒家」で標高1400メートルの宿坊で働く90歳を過ぎたお婆さんが「カッコいい」と思いました。

014.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

放送案内 [お知らせ]

☆NHKEテレ ハートネットTV 
 明日27日(火曜日)20時から放送!
 「隠して生きるしかなかった
   ~ハンセン病家族・知られざる被害...
  https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1124/
 > ハンセン病患者に対する国の政策の過ちを認めたハンセン病国賠訴訟から18年。家族もまた被害を受けたと訴える「ハンセン病家族訴訟」がこの夏、決着した。裁判では、国の誤ったハンセン病隔離政策によって家族も被害を受けたことを認め、国に賠償を命じた。しかし未だ差別の被害は後を絶たず、多くの家族が怯えながら暮らしている。裁判で明らかになった差別の実態と、家族の被害を生んだ私たち社会にある差別の問題を考える。
 出演者ほか
【出演】東北学院大学准教授…黒坂愛衣,弁護士…徳田靖之

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「お盆玉」というのは [高齢者]

 

 

新聞のコラムからです。

 

「コラム 気流

正月の「お年玉」に倣って、お盆に帰省する子や孫に渡すお小遣いを「お盆玉」という。本紙では、( 2010年の読者川柳で「お盆玉、財布はいつか閑古鳥」、 と初めて登場しているので、思っているより世の中に浸透しているのかも▽あおぞら銀行が5574歳の男女約2千人に聞いたアンケートでは、「お盆玉」の知名度は前年比4ポイント増の41%。その平均額も300円増の6100円だった。いずれも毎年上昇中。(以下略)」(2019815日西日本新聞)

 

いつからそうなったのか、ランドセルを祖父母に買わせ、高額化していきました。今度は「お盆玉」で消費拡大を狙っているのでしょうか。孫は可愛いでしょうからお年寄りの財布への仕掛けとしては有効なのでしょうか。そんなときに思い出すのが、幼い頃、紙芝居の小父さんから10円のアメを買えなかったので、後ろの席から見るしかなかった。私のところでは、祖父母はその頃他界していました。いたとしても「お盆玉」などなかった時代の話ですが・・・。お年寄り「受難」は特殊詐欺ばかりではなさそうですが・・・。

 

011.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。