生死を分けたもの [平和]
先の東京オリンピックの「東洋の魔女」伝説には、下記のようなエピソードがあったという。当時の大松監督に関わるエピソードです。
「戦争と夏の記憶 松林要樹
全日本女子バレーの監督だった大松博文は兵站を無視した作戦として有名なインパール作戦の生き残りだ。日本軍の遺体で築かれた白骨街道を通って帰還した大松は、練習でスパルタ式にシゴキ上げたという。
大松が属した烈師団長の佐藤幸徳は、作戦の続行を訴える牟田口廉也中将の命令に反して前線から独断で撤退した。上意下達の軍隊ではあり得ない行動だった。佐藤の決断がなければ、大松は戦死し東京五輪のメダルはなかったかもしれない。(一部引用)」( 2019年8月18日西日本新聞)
こういう話は有名人だけでなく山ほどあるのではないか。歴史上の出来事に対して仮定の話を持ち込むことは避けたいが、先のインパール作戦という3万人の死者をだし、餓死も多かったという。食糧や武器が必要量の1割しか持っていかないという作戦だったという。今も語り継がれる戦争の無慈悲。戦場のあちこちで繰り返されたのでしょう。先日、テレビで取り上げた特攻に9回出撃し、9回生還した人がいたという話。戦死したということになっていたという。それでも生き残ってきたという。こんな話も最近になって分かったことだと思います。