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ひとつの命に [平和]

 

 

 9月になりました。数日すれば後期高齢者になります。医療証も届きました。病弱な子どもであった私が、この年まで生きていることが不思議な気がします。今は、なにごとにも時間がかかるようになり、体の不調もあります。多分多くの人に支えられてきたのだと思いますが、鈍感なものですから、感謝しなければならない人にしていないかと思います。残された命をどう生きるかということも考えないといけませんが、下記のコラムには寂しさを・・・・。

 私にできることはほとんどありませんが、気持ちだけは平和を祈り続けていたい。

 

8月が終わりました。そして、ひとつの朗読劇公演もまた終わったという。戦争体験者の貴重な財産を残して・・・。

 

「コラム 春秋  2019/9/1 西日本新聞 オピニオン面

 戦時中、東京の国民学校に転校してきた男の子のことがずっと気になっていたという。すぐまた転校してしまい、淡い思い出が残った。「家が同じ方向でしたから…」と女優渡辺美佐子さん

1980年、民放テレビの対面番組から「もう一度会いたい人は?」と聞かれた時、彼の名前を言ったそうだ(先月のNHK「ラジオ深夜便」などから)

▼対面番組のスタジオには彼の両親がいた。疎開した広島で勤労奉仕中に原爆で…と知らされた。「転校続きで友だちはほとんどなく、あの子が生きていたことを知っているのは家族と親戚くらい。でも捜してくれた人がいた。ありがとうございます」

▼後年、原爆朗読劇の話が持ち上がった。資料の一つに「いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録」というのがあり、もしやと思い321人の名を見たら、あった。「水永龍男」

▼朗読劇は85年に始まった。子や親を失った人の手記で構成し、毎年夏はこの劇に専念した。水永君のことが渡辺さんの心の支えになった。10年ほど前からは、戦争を知る世代の女優仲間と一緒に活動してきた(以下略)」

 

  私の地元にも巡回公演があったと記憶していますが、見逃しています。対面番組は記憶していません。朗読劇は1985年に始まったそうですが、今年で出演者の高齢化により終了することにしたという。受け継ぐ世代のことを考えると、今の平和運動の課題そのものです。体験者から「橋渡し世代」にバトンは渡されました。世界の動きは核兵器の実験が再開されています。状況は不透明です。そんななかでも、高校生平和大使の署名活動は続いています。

世界の知恵がこの難問を解決してくれるだろうか。

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