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宮城まり子さんが残したもの

 



 



「コラム 風向計 ネムノキに託した愛情 田代芳樹2020/4/7 西日本新聞」では過日亡くなった宮城まり子さんの業績を紹介しています。



「その女性は記者会見で怒りの表情を浮かべ、思いを吐き出した。『こんなに天井が低く暗い場所で、子どもたちが全身全霊を込めた作品を展示することはできません』」と福岡市のデパート会場で話したという。三十数年前いえば、障害者団体もまだ試行錯誤の時代でした。



 



「歌手、俳優として活躍していた宮城さんは1957年、雑誌の取材を通じて障害児のことを知り、60年に脳性まひの子どもの役を演じたのを機に施設建設を決意する。



 当時は障害者に対する学校教育の場が十分に保障されていなかった。



 79年に養護学校が義務化されるまで、重度の障害児は就学免除、就学猶予の措置が取られ、学校で学ぶことさえできなかった。



 すべての子どもには『学ぶ権利があり、義務がある』」。



 



 その頃は、障害者団体でさえ、学ぶ権利と主張するところは少数だった。その意味でも先駆者だったと思う。あれから40年ほど経過し、世代交代も進んでいます。障害者権利条約を日本の制度に乗っけて、展開するというところではこれからの課題です。知的障害者・精神障害者への理解と対応は特に遅れています。障害者差別をなくしていく努力が続けられています。


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