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優生思想のひとつの背景

 


 


下記の引用の説明から始めます。古川真人著『ラッコの家』に収められているなかの「窓」と作品からです。視覚障害者の兄を介護することで食べていける立場にある稔の思いです。


作家志望の相田の作品に嫌悪感をもったことについてふれたものです。


 


「なにごとにも不自由することの多い兄を介護する者として、いつまでも変化のない生活を自分が送れる。そう、自分は願っているのではないか。助けることを理由に、相手の自由な人生の可能性を認めない。それは、社会の維持を理由にして不要と決めつけたひとびとを殺し傷つけた。相模原の事件が起きたのとおなじ願望を根に持つのではないか。


 稔は、あきらかに自分が飛躍した発想を抱いていることを自覚していた。しかし、この助けることを口実にしてひとを支配したいという願望こそ、自分が相田の書こうとしていた小説を読んだときに、胸の奥から《いやだ!》という声を発した感情の正体であると悟ったのだった。」


 


 旧優生保護法による中絶に対する補償費が支払われています。それとは別に国の責任を問う裁判も始まっています。障害を理由にした中絶は、優生思想を広げる役割を果たしてきたと思います。ところが、今は、新出生前診断での中絶も増えているという。障害者が不幸しか産まないのだという思想と現実感が、中絶の思想を支えています。そういう意味では優生思想は根強く支えているのではないか。


 


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