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消えたノーマライゼーション? [障がい者問題]

 

 

 気になっていることのひとつが、プロテニスの中継で一流選手でもうまくいかないとラケットを叩きつけるのが気になります。作った人に対する敬意が感じられません。

 

 もうひとつ気になったのはノーマライゼーションの行く末です。

日本障害者協議会の『すべての人の社会』で、障害者権利条約特別委員会元議長のドン・マッケイ氏と日本障害者協議会代表の藤井克徳氏の対談が掲載されています。

 そのなかで次のようなやりとりに注目しました。

 

「発展的に消えたノーマライゼーション

藤井:ここからは内容面について23伺います。権利条約を読むと、日本ではなじみの 「ノーマライゼーション」という言葉が一度 出てきません。日本人の多くは、あれほど普及したノーマライゼーションという言葉が入っていないのはどうしてなのかな?と素朴な疑問を 持つのですが、この辺の議論はどうなっていた のでしょうか。

マッケイ:そのことについては、特別に議論があったかどうかもあまり覚えていません。けれども、 私が思うのは、このノー マライゼーションという考え方を受け入れるのは難しいとした障害者団体 もあったのではないかと 思います。「ノーマライゼーション」と言うと、 もともとノーマルではなかったという響きががあるわけです。すなわち障害者はノーマルではないから、ノーマルなもの、普通なものにしようという意味に取られてしまうこ とがあります。それは障害者団体が嫌う考えです。障害者はノーマルではないというのではなく て、社会にある障壁を取り払っていき、社会の側を調整していくということが権利条約の全体にかかっていましたので、そういう話にならなかった のではないかと思います。(略)」

それに対して藤井氏は次のように指摘しています。

 

「藤井:私の推測ですが、権利条約の全体を貫く考え方に、「インクルージョン」がありますが、 ノーマライゼーションはこのインクルージョン に包含されたのかと思います。つまり、ノーマライゼーションをより進化させたのがインクルージョンでは、こう考えるのですが、いかが でしょうか。」

 

ノーマライゼーションは乗り越えられ、インクルージョンという到達点を示しているように感じました。インクルージョンが到達点なのか分かりませんが。

 

 

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通常学級へ [障がい者問題]

 

 

なつかしい名前がありました。ベトナムがアメリカと戦っていた頃によく聞いた名前です。

 

「ドクさんが行事に参加、ベトナム

マラソンで枯れ葉剤被害訴え2019/1/13 16:03 共同通信社

 【ホーチミン共同】ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(37)が13日、ベトナム南部ホーチミンで、チャリティーのマラソンイベントに参加した。(以下略)」

 

ドクさんはどんな教育を受けられたのでしょうか。

  

「(声)障害児就学、悩んで通常学級へ 47歳 2019116日朝日新聞」の投稿を読みました。「 通う予定の小学校の先生方と1年以上前から定期的に話をしました。もし支援学級を希望すれば1人のクラスです。娘は、保育園でみんなと一緒に過ごす生活が普通でした。お友だちが大好きです。だから、たった1人のクラスに入れることは、娘を苦しませることになると思い、通常学級を希望しました。現場が大変な思いをするだろうと分かっていたので、すごく悩み苦しみました。」とあります。現場を知るだけに悩まれたと思います。学校側からは支援学級をとの意向が示されたという。だが、国連の障害者権利条約でも、障害児と共に学ぶ教育を基本においておると理解します。

 

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障害者が遠慮しなければならないとは [障がい者問題]

 

 

JRの職員の責任ではないが、ここまで遠慮しなければならない「バリアフリー」とは何か。

JR九州では無人駅が増えています。手伝いを頼むことはできたとしても事前の連絡など不便さは避けられません。高齢化社会、支援が必要な人が増えていくと思います。

 

「(声)交通機関のバリアフリーもっと 18歳特別支援学校生20181219日朝日新聞

 「だれもがいつでも乗れるJRに」(2日)を読み考えさせられました。私も車いすを使っていて、JRの駅で乗車をお願いした時に「時間の都合上お手伝いすることができない」と言われ、電車の時間をずらしたことがあります。仕方のないことだと思っていました。

 ですが、投稿を読んで、大切な約束がある時、私たち車いすの人はどうすればいいのかと考えさせられました。自分だけでなく約束の相手にも迷惑がかかります。これはバスも同じで、乗りたい時間にノンステップバスが来ないことが多いです。

 もちろんJRの決まりや駅の方々の都合もあるでしょう。そのために、私は大切な約束がある時は、電車に乗る時間を1週間前までに駅に伝えておくことにしようと思っています。

 今は建物や歩道などでバリアフリー化が進み、障がいのある人たちが生活しやすい環境は整ってきました。ですがもう一度、公共交通機関の移動面を見直すことで、より住みやすい街づくりが進むのではと思いました。」

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「65歳の壁」司法判断は [障がい者問題]

 

 

「介護打ち切り訴訟二審も違法判断 高裁支部、岡山市側の控訴棄却

 65歳を境に障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に基づく無償の訪問介護を打ち切り、自己負担が生じる介護保険を優先させたのは違法として、脳性まひ患者の浅田達雄さん(70)=岡山市中区=が市に決定取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で、広島高裁岡山支部は13日、原告勝訴の一審岡山地裁判決を支持し、市側の控訴を棄却した。

  松本清〓裁判長は判決理由で、65歳以上の障害者は原則として介護保険の利用を優先すると定めた支援法に関して「65歳になったとして一律に不支給とするのではなく、必要なサービス内容や負担額を考慮し、支援法による給付が相当な場合がある」と述べた。

  その上で、介護保険の利用によって支援法に相当するサービスを受けているとする市側

欠く」と指摘。裁量権を逸脱し違法と結論付けた。

  一審岡山地裁は今年3月、市に決定の取り消しと慰謝料など107万5千円の支払いを命じている。

  控訴審判決を受けて、岡山市内で記者会見した浅田さんは「生きる権利と平等な介護を受けられる権利が認められ、人間の尊厳が回復した」と語り、原告弁護団長の呉裕麻弁護士は「市の解釈の誤りが一審より明確に示された」と述べた。

  岡山市の大森雅夫市長は「今後の対応を検討したい」とのコメントを出した。

 〓は隆の生の上に一 (20181213 2320分 更新)山陽新聞デジタル」

 

大きな問題だと思うが全国紙は私が知る限りでは伝えていません。関心の低さが出ています。

では、今回の訴訟について「『65歳の壁』はなぜ生まれるのか」でニッセイ基礎研究所の三原 岳氏は次のように説明しています。

 

7――岡山地裁の判決

65歳の壁」問題の見直しに向けた動きは行政サイドだけでなく、司法サイドから浮上する可能性にも留意する必要がある。今年3月に示された岡山地裁の判決では「65歳の壁」問題が一つの争点となっており、初の司法判断が下された。以下、判決文のほか、これに関する法学者による論文や新聞記事など参考にしつつ、論点や内容を考えてみよう。

裁判を起こしたのは脳性麻痺の男性。男性は障害者自立支援法(当時)に基づき、月249

時間の訪問介護を無償で受けていたが、65歳になる直前の20132月、岡山市の通告で障害者自立支援法の給付を打ち切られた。その後、同年7月に153時間の給付が認められた一方、残りの96時間分については介護保険サービスに切り替わった。ところが、介護保険法に沿うと、96時間分のサービスについては月15,000円の自己負担を求められたため、男性が岡山市に対して決定取り消しや損害賠償を訴えた裁判である。

横溝邦彦裁判長は判決理由で、原告の男性には重度麻痺があるため、介助なしに食事や入浴などの日常生活を送れなかったとして、岡山市の決定を取り消すとともに、慰謝料などとして1075千円の支払いを岡山市に命じ、原告側の主張をほぼ認めた。つまり、原告側の生活環境などを踏まえないまま、障害者福祉サービスの不支給を決めたことなどについて、「考慮すべきことを考慮せず、拙速な判断を行ったことが、本件処分を違法とする理由となっている」と考えられている。一方、原告側は介護保険優先の原則が違憲であると主張していたが、判決は法律の解釈・適用に関する判断とどまっており、憲法判断を避けた形となった。

地裁判決後、岡山市は控訴したため、裁判は現在も続いており、その結果が注目される。さらに同様の裁判は他の地裁でも起こされており、裁判の結果は「65歳の壁」問題の議論

に影響を与える可能性がある。」

 

三原氏は現場の判断が尊重されるべきとしていますが、そのことを含めて論議が期待されます。

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手助けがあれば [障がい者問題]

 

 

終日、家で過ごすことが多い。夕方頃になるとそれでも疲れが出てきます。何かをしているということでしょうか。大相撲も終わり、月曜日の昼のワイドショーは貴景勝の独壇場。

さて、障害者の雇用問題も論議が深まらないまま忘れ去られるのでしょうか。

新聞の投稿欄からです。

 

「(声)支援あれば障害者もっと働ける 20181126日朝日新聞

 私は精神障害者保健福祉手帳2級で、就労を希望しています。私にとって就労のハードルは高いです。しかし、企業側が働く現場である程度サポートをしてくれたら、多くの障害者が働けると思います。

 私は今、地域活動支援センターに通所し、就労に向けて作業をしています。センターの利用にも条件があります。自力で通所することが可能という条件ですが、私はやむを得ないことだと思います。以前、企業で働いていましたから、ある程度のパフォーマンスを出さないといけないことも分かっています。

 そのうえで、企業の方にも、障害者といってもそれぞれ症状が違うことをご理解頂きたいと思います。また、就労しても長く勤務が出来ないという現実があります。精神障害者の場合、1年で半数近くが離職しています。こうした部分も、ぜひ、対策を考えて欲しいと思います。みんなが働きやすい職場こそ、働き方改革がうまくいった会社ではないでしょうか。」

 

報道によれば、自治体の採用と言っても事実上、身体障害者に限っている場合が多いという。だが、身体障害者といっても視覚障害者・聴覚障害者は採用されているのでしょうか。

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問題はどこに [障がい者問題]

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ある本に、後期高齢者の単身世帯に交番から電話があり、亡くなったときの連絡先を教えてほしいという。その方は交番に出向かれたというが、詐欺電話の多い社会では無防備に思えましたが。

 

障害者問題に対する新聞の投稿で、国への失望の意見です。人事院のホームページで確認して驚きました。

 

「(声)国の障害者向け選考試験に失望 58歳 20181125日朝日新聞

 私の子どもは、知的障害者です。障害者の雇用を巡って、よりによって官民の模範たるべき中央省庁が、法定雇用率を軒並みごまかしていたと知り、大いにショックを受けました。

 このことが世間に知れ批判を浴びたためか、急きょ、国家公務員の選考試験を行うことになったようです。しかし、人事院のホームページで受験案内を見て、驚きました。知的障害者とその他の障害者と、筆記の試験問題が同じなのです。

 受験案内には「高等学校卒業程度の問題が出題されます」ともあります。これでは、知的障害者にとって、オリンピックのレベルの選手と100メートル競走をするようなものです。

 結局、国は障害者のことを分かっていないということです。今回の水増し問題で、障害者雇用制度を担当する厚生労働省の職員は処分されないそうです。4年前、厚労省所管の「労働者健康福祉機構」が障害者雇用率を水増ししたことが発覚して問題になりましたが、厚労省自身がきちんと反省して仕事を点検していたら、今回のことは起こらなかったのではないですか。 障害者を人間と思っていない、としか考えられません。」

 

 デスクワークを念頭に置いているようにも思えます。幅広い職種での受け入れを検討すれば、こんな試験にはならないと思います。

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点字資料が間に合わない [障がい者問題]

 

 

障害者団体の会合をしている時に点字資料が間に合わないことが多い。ひとつは、資料を点訳するのに時間がかかるので間に合わない。ふたつめは、会議資料が当日より4日程度(私の場合)前にはできていないと間に合わない。三つ目は、会議資料のどの範囲まで点訳したらよいのかの判断。膨大なものになる負担と視覚障害者の理解をそこなう分かれ目の判断が難しい。

 

「見えない人=点字」という誤解

「見えない人の特別でなさ」について、ひとつ例をあげましょう。彼らの触覚についてです。 「見えない人は点字を触れるんだから、何でも触れば分かるんだろう、すごいな」。私 も見えない人と関わるまでは、そんなふうに思っていました。見えない人といえば点字、点字といえば触覚。見える人はついついそんな方程式をイメージしがちです。(略)

見えない人の中で点字が読める人はわずか一割程度しかいないのです。この低識字率の理由のひとつには点字を習得することの難しさがあげられます。英語を小さいうちに学んでおくとLRの発音が上手にできるようになるなんて言い ますが、同じように、点字も小学校高学年くらいまでに習わないと、なかなか速く読めるレベルに達することができないと言われています」(「目の見えない人は世界をどう見ているのか」)

誰もが読める訳ではないという。さらに「読めたとしても自分で点字を打つとなるとさらに大変だという。」という。

 

 

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家族任せか [障がい者問題]

 

 

障害者や高齢者の介護などだけでなく、生活支援を家族に頼っています。今から読む本は「障害のある子が『親なきあと』にお金で困らない本」というものです。同じ著者の前著は「障害のある子の家族が知っておきたい『親なきあと』」だそうです。福祉先進国では障害者の範囲も広いし、生涯年金が支給されるところもあるようです。家族が及ばないところを補うのは「国家と社会」の責任だという。

 

「そもそも家族とは、どの人にとっても一時点ではなく、長い時聞にわたりかかわり続ける存在です。その中では、障害のある人や高齢者など介護や介助を必要とする家族を抱えることや、ひとり親家庭の中で子を養育する場合もあるでしょう。家族のだれかが失業することもあります。家族生活とは、常に万全なものなどはありえないのです。そのようなある意味の「不安定さ」を内在する家族を支えることこそ、国家や社会による『家族の保護』の本来的な意味合いなのです」(『右派はなぜ家族に介入したがるのか』)

 

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「福祉的な態度」 [障がい者問題]

 

 

詩人の大岡信氏と谷川俊太郎氏の対談によれば詩人は「普通人以下」と見られてきたのではないかという。

 

「谷川俊太郎

詩人の発生にはそういうのと、もう一つは労働歌のように人間と人間の協力関係のなかでの発生とがあるとは思うんだけれども、とにかくそういうプラクテイカルじゃない人間が詩人の一つの起源だと考えると、その人間を普通人以下と見る見方と、神に近いものと見る見方とがあって、日本ではどうも普通人以下に見る見方が主流だったよう気がする。歴史的にもその見方がつながっていて、詩人てのは世捨てぴとであるとか、すねものであるとかで、それは大正時代の文士なんてのにもつながっているよね。」と(「詩の誕生」)

 

障害者はどう見られてきたのでしょうか。

 次の一文を読んだときにハッとしたものです。

 

「つまり、健常者が、障害者のある人と接するときに、何かしてあげればいけない、とく にいろいろな情報を教えてあげなければいけない、と構えてしまうことです。そういう「福祉的な態度」にしばられてしまうのは、もしかするとふだん障害のある人と接する機会のない、すなわち福祉の現場から遠い人なのかもしれません。」(「目の見えない人は世界をどう見ているのか」)

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重度障害者の家族 [障がい者問題]

 

ある会議で重度障害者の受け皿として入所施設か、グループホームという話になりました。入所施設は地域移行の目標を掲げるなどの建前で、受け皿として期待はできませんので、必然的にグループホームへの期待感があります。ところが、グループホームの現状はなかなか厳しい。次の投書には障害者の家族の実態に対する思いの理解が欠けているという。地域移行は、精神病院から地域にという目も掲げられています。精神障害者の家族も、発病が成人期になってからも多いので高齢化しています。家族が受け皿になるのは困難です。地域の受け入れ態勢づくりは努力されていますが、なかなかこちらも厳しい。家族と本人との意向を反映した地域づくりは進まないのでしょうか。

 

 

「(声)重度障害者の家族に目を向けて 52歳 2018916日朝日新聞

 24時間の酸素吸入と夜間の人工呼吸器が手放せない夫を、私は介護している。両手が動かせず足でパソコンを扱う彼の仕事を手伝って20年以上。しかし、彼の体に限界がきて3年前に仕事を辞めた。

 すると知人らは言った。どうして連れて来てくれないの、と。夫に会いたいという気持ちから出た言葉だとは分かるが、悲しかった。脳性小児マヒの彼は車いす生活で、緊張すると首が勝手に動く症状のため頸髄(けいずい)を2度手術した。転倒などで再び首を痛めたら呼吸が止まると言われている。緊張の毎日だった。

 家族介護者は、当事者本人のことが第一で自分は後回し。でも、自らの健康や将来の不安とも闘っているのです。」

 


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