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残ってきたもの [歴史]

 


 


知らなかったことですが、博多松囃子が「博多どんたく」の始まりと関係しているのは知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城(現在の東区名島)松囃子を仕立てたのが始まりでだとういう。名島城の近くに神宮皇后の三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったという伝説がある石があります。名島に一時期短期間住んでいたことがありましたので見たことがあります。もちろん、帆柱が化石になるわけがありませんが。禁止令が出たのは小早川秀秋の時だそうです。


「博多どんたく」は53日・4日です。舞台が町中に設けられ市民のグループが踊りまわりまわります。3日か4日に雨が降るというジンクスがあるようです。


 


 


「コラム デスク日記2020/2/16 西日本新聞 社会面 手嶋 秀剛 


 「通りもん」と言えば博多の老舗の菓子が有名だが、もともとは「博多どんたく」に繰り出す素人芸の余興隊のことだ。江戸時代、新年の祝いに博多の町衆は松囃子(まつばやし)を仕立て福岡城に入った。松囃子に浮かれてついてきた、町人たちの仮装や山車が「通りもん」の始まり。現在のどんたくパレードも先頭は博多松囃子で、後に続くどんたく隊を通りもんに見立てている。


 どんたくの起源とされる博多松囃子だが、大通りのパレードだけでは真骨頂は伝わらない。松囃子は福博の商店や会社などを一軒一軒訪ね歩き、祝って回る祭事だからだ。(以下略)」


 


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