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菅公館址・榎社を歩く [リハビリ]

リハビリ外出

 朝日新聞に連載された「西鉄沿線ぶらり旅 」の二日市駅編で、榎社(えのきしゃ)が取り上げられていました。行ったことがなかったのでコミニュティバス(市が運営・100円)で西鉄都府楼駅まで往き、そこから二日市方面に歩きました。外は結構暑いからと妻に言われていましたが、なんとかなるだろうと思っていましたが、10分も歩くと汗だく。たんぼの稲穂は取り入れを待つばかりという感じでした。通古賀(とおのこが)の立体交差を右折すると朱雀(すざく)○丁目という表示があり、間もなく榎社に。迷うことなく到着しました。ここは、「菅原道真公が京から左遷され、903年に亡くなるまで2年間暮らしていた館があった場所」(朝日新聞)だという。「現在は天満宮の飛び地境内。道真公の世話をした浄妙尼(じょう・みょう・に)も祭られている」(同前)。彼岸花が咲いていた浄妙尼の祠から入り、
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正面に。すぐそばが西鉄電車の線路です。神幸祭りが終わったばかりだったようです。

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近くのマンション入り口に、大宰府条坊の「推定朱雀大路」のタイル張りの案内表示があります。振り返ると大宰府政庁址につながります

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。この近くに「有名な陰陽師(おん・みょう・じ)、安倍晴明が開いたと伝えられる井戸「晴明の井」がある」(同前)ということでさがしたが、見つかりませんでした。もうくたびれていてあまりさがさなかったのですが。

 

帰りは二日市駅に。都府楼駅からより二日市駅からが近いように感じました。二日市駅周辺も発掘調査があっていました。万歩計で6000程度でした。

  
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180日の壁 [リハビリ]

時々行く散歩コースを少しはいったところに始めていきました。彼岸花が川筋に咲いていて、公園には遺跡の説明板がありました。この辺りの丘陵地帯に大宰府の役人たちの墓地があったそうです。昔は随分寂しい場所だったのではと思いましたが

 
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180日とは、リハビリを病院で受けられる最大期限を指しています。反対が強くいろんな条件が付与されましたが、基本的な変更はされていません。それを落合恵子氏は「180日の壁」と表現しています。「週刊金曜日」の選挙結果特集のなかの「小さな声がかき消される2大政党制これを「民意の勝利」と言えるのか」のなかにありました。

 

「官僚依存の政治のていたらく。その間に、年間三万三○ 以上のいのちが自死で消え、年金記録も消されたまま。後期高齢者医療制度にお年寄りは苦しみ、生まれる家庭が金持ちかどうかで、長い一生すら決まってしまうような格差社会はより拡大した。子どもと高齢者の中間世代は、マイホームを夢見ることができた親の世代を羨み、職を失い、貧困に喘ぐ。帰りたい郷里の目抜き通りは、シャッターが降りた昼なお人影のない通りと化した。福祉は崩壊し、「180日の壁」の前に、リハビリを必要とするひとさえ、病院を出ていかざるを得ない酷い仕打ち。しかも、病院を出た後、どこに行けばいいのか。

[障害者自立支援法]の、なんという仕打ちか。それでも、「血税」は吸い取られていった。そうなのだ、血税という言葉がかつてないほどの実感をもって、わたしたちを打ちのめした。この、どうしようもない閉塞感に、ひとりひとりの有権者が動いたのである。」

 
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落合氏の指摘にほぼ同意します。これだけのことをしておいて、選挙で勝てるという傲慢さはどこから出てきたのか。

 
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書で挑戦 [リハビリ]

病乗り越え再起の書展 前原市の松尾さん 23日まで伊都郷土美術館

2009年9月16日 02:18 カテゴリー:九州 > 福岡
脳梗塞を乗り越え個展を開いている松尾至さん(右)と、作品づくりを支えた平嶋一臣さん

 「右手が駄目なら、左手があるさ」。3年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、利き手の右手と右足が不自由になった前原市篠原東の松尾至さん(71)が、仲間の激励を受け、50年間続けてきた書に左手で挑戦。前向きに生きる決意に満ちた作品29点を展示した個展が15日、同市前原東の伊都郷土美術館で始まった。23日まで。

■脳梗塞で利き手不自由 仲間激励 左手で創作再開

 松尾さんは「書の制作をしていて心のリハビリになった。同じように体が不自由になった人たちに元気を出してもらいたいとの思いで、個展を開いた」と話している。

西日本新聞よりhttp://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/122208

 


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リハビリ外出・筥崎宮放生会 [リハビリ]

 
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毎日、同じところを歩いているのもあきてきますので、時々、出かけることにしています。今日は、博多の秋を告げる筥崎宮放生会(はこざきぐうほうじょうや)(18日まで)を30年ぶりに訪ねました。地名としては箱崎が定着していますが、元は筥崎らしいです。筥松という地名もありました。「放生会 万物の生命をいくつしみ、殺生を戒める神事。筥崎宮放生会の起源は919年。1週間の人出、約100万人といわれ、700の露店やお化け屋敷がにぎわう」(西日本新聞)

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筥崎宮の正面に「元寇(げんこう)の国難に「敵国降伏」の宸(しん)筆を筥崎宮(楼門に掲額(けいがく))に贈った亀山上皇」(西日本新聞)のものがあります。

月曜日の午前なので少ないかと思いましたが、意外と多いのでびっくりしました。往きはJRを使い、箱崎駅で下車。筥崎宮の裏側から入り、参道を通り、地下鉄駅から天神に。近所を歩くと1万歩というのは大変ですが、外出するといつのまにかという感じになります。それが一番いいとろです。結局、買ったのは梅が枝餅とう太宰府天満宮でいつもは売ってるものでした。

 
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イチローが9年連続200本安打達成したそうですね。スゴイ。

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             テレビから
  
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海はリハビリ病院 [リハビリ]

 古希で、脳梗塞発症から10年で、700回のダイブをした人の紹介など、体の不自由な人たち、障がい者などのダイビングをしている人たちを描いた『

海の介護人ものがたり

海の介護人ものがたり

  • 作者: 椎名 勝巳
  • 出版社/メーカー: 中央法規出版
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本

』(椎名勝巳著・中央法規)には、愉快な人物像が描かれています。陸でのリハビリでできないことが水中では可能なようです。

 

「脳梗塞とは、脳の血管が詰まって脳細胞が壊死するために起こる障害である。動脈が閉塞し血行が途絶えると脳の神経細胞は五分で死んでしまう。チャバ姉の場合はラクナ梗塞といって高血圧のために脳のなかの細い動脈が傷んで血管の内腔が狭くなり詰まって起こる障害である。病状が落ちつくまで六か月かかった。リハビリ病院に送られたが、スタッフと衝突して居心地が悪い。リハビリ嫌いに拍車がかかってしまった。夜逃げのように脱出して家に帰ったこともある。結局三度も病院を転々 とした。リハビリが回復の近道だとわかっているのに、PT の態度やOT のやり方が気に食わない。うつ状態も重なって人嫌いはエスカレートするばかりだった。左半身にマヒがのこり、左手とその指、左腕、左足とその指、左足のマヒがひどい。歩くときは、右手のステッキで身体を支え、左足を睡から押し出すように踏み出す。健常者の三分の一ぐらいのスピードになる。
一緒に歩くときは「お先にどうぞ」が日癖である。あるいは「あたしはのろいから先に

いかせて下さい」となる。ぼくがチャバ姉をサポートするときは、左の肘を軽く支えて歩いているが、普段かなり遅いぼくだが、彼女はそれにも増して驚くほどのろい。いったん損傷を受けた脳細胞は決して回復することはないが、生きている機能まで共倒れにしてしまう手はない。実際にリハビリ病院をサヨナラしたチャバ姉は、自己流のリハビリシステムで一人で汗をかいていたのである。」

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私も「お先にどうぞ」という癖がついた。元々遅かったのにさらに遅くなったのでマイペースを確保するのにはそういったが楽なのですが。

  

著者の東京ダイバーズ http://www.tokyodivers.co.jp/


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大刀洗に行くつもりが [リハビリ]

8月は歩くのも少なかった。そのせいか、お腹はさらにダブダブになり、危険信号が出ています。暑いからと弁解していると大変なことになりそうで、午後所用がありましたが、曇っているので急遽出かけて少し歩いてみようと思いまして、大刀洗に向かいました。先日、銀行の現金輸送車が強奪されたばかりなのでどうかと思いましたが、駅の前に戦争資料館みたいなものがあるというので、行ってみようと思い立ちました。西鉄電車で20分ほどで小郡駅に到着、甘木鉄道で大刀洗まで行こうと駅に向かいましたが、ちょうど1両の電車が発車していきました。時刻表を見るとあとは30分後。1時間に2本程度です。それでは、少し待とうと歩いていると案内図に「大原の戦跡」があるというので、そちらに向かった。西鉄の線路をわたり、小郡市役所横でした。公園になっていて碑があるだけですが、昔の地理を想像させます。

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ウィキペディアでは「筑後川の戦い」として紹介されています。

「後醍醐天皇が征西将軍として九州に派遣した8歳の皇子・懐良親王と、彼を奉じた菊池武光は、高良山・毘沙門岳に城を築いて征西府とした。延文4/正平147月、懐良親王、菊池武光、赤星武貫、宇都宮貞久、草野永幸ら南朝勢約4万は筑後川の北岸に陣を張り、大宰府を本拠とする北朝・足利勢の少弐頼尚、少弐直資の父子、大友氏時、城井冬綱ら約6万と対峙し、両軍合わせて約10万の大軍が戦った。戦いの苛烈さについては頼山陽も詩に歌っている。この戦いで足利側の少弐直資は戦死、南朝側の懐良親王や菊池武光も負傷し、両軍合わせて26,000余が討死にしたといわれる。この戦いに敗れた足利軍は大宰府に逃れ、九州はこの後10年ほど南朝の支配下に入ることとなった。戦いののち、傷ついた菊池武光が、刀についた血糊を川で洗った場所が、筑後国太刀洗(たちあらい)であるという伝承がある。現在の福岡県三井郡大刀洗町である。」

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戦跡を見た後で駅に戻ると、ちょうどまた電車が出たばかりでし、体力的にも厳しいので電車で帰りました。汗をかきました。今日からまた歩き続けたいと思います。

 
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脳梗塞のあとで [リハビリ]

脳疾患の患者に希望を 全国の離島巡り235島目 小川さん馬島・藍島に

2009年8月20日 01:17 カテゴリー:九州 > 福岡
全国離島巡りで234、235島目となる馬島と藍島を目指す小川さん

 2度の脳の病気を克服し、全国の離島巡りをしている静岡市の小川清さん(65)が19日、234、235番目となる小倉北区の藍島と馬島に渡船で渡った。全国の脳疾患の患者に勇気を与えたいと、2006年から離島を巡り始め、渡航可能な全国の284島の制覇を目指している。

 小川さんは学生時代から旅行好きで、旅行代理店に就職。しかし02年に脳梗塞(こうそく)、04年に脳内出血を患い、下半身がまひ。「元気になってまた旅行に行きたい」という一心で、歩けない状態から少しずつリハビリを始め、自主的に毎日スクワット100回、病院の地下1階から地上10階までの階段の上り下りなどにも励み、走れないものの歩けるまで回復した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/116238

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元気な方がおられますね

 


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在宅生活のリズム [リハビリ]

 

60歳まであわただしく生活してきました。脳梗塞でその生活が突然変更され、幸か不幸か、生きながらえることが出来ています。何もしないで一日を終えることの苦痛になれるのに相当な月日がかかったように思います。ブログを書いたり、本を読んだりしながら、今はそれなりに1日が過ぎてゆきます。

朝の生活のひとつに、NHKの連続ドラマがあります。現在は「つばさ」。コメディータッチですが、脇役が充実していて楽しく見れます。ベテランの個性と主人公のからみが面白いです。

これが終わるとメールチェックなどして散歩に出かけます。

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変わり映えのしない毎日です。夕方、隣りのおばあちゃんがデイサービスのバスで帰ってこられます。その後に、犬と私の散歩が始まります。これが家での生活です。

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希望をつむぐ [リハビリ]

散歩用の靴に穴があきました。もう4年以上ですから当然かもしれません。買いに行きましたが、あまりにいろいろあって迷いました。雨が止んでなんとなく痛みも軽いように感じますが・・・
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  今日の新聞に脳梗塞になって今までよく行っていたカラオケにも行かなくなったご主人とまた一緒に歌いたいという投稿がありました。このように気力や生きがいをも奪うことがあります。そして、「死にたい」と思ってしまう人も少なくないとのことです。次のような調査があるそうです。 
 脳卒中患者七十六名に対する調査では、そのうち三十三名が死にたいという願望(希死念慮)を持ったことがわかりました。その調査の中で、希死念慮は必ずしも[死」という言葉では現われないことも明らかになりました。「何もする気がなくなった」、[人生をつまらなく感じた]、「生きる希望を失った」、[気落ちした]なども、言葉を換えた希死念慮のサインであることもあるのです。発症後の精神症状と希死念慮との相関は明らかでした。「発症後どんな気持になりましたか」との質問に、「何もする気がなくなった」と答えた群では32名中22名(69 % )が希死念慮を抱き、そうでない群では四十四名中十一名(25 % )が希死念慮を抱いていました。「人生をつまらなく感じた」と答えた群では、三十一名中二十名(65 % )、そうでない群では四十五名中十三名(29 % )が希死念慮を抱いていました。
「生きる希望を失った]群では二十六名中二十一名(81 % )、そうでない群では五十名中十二名(別%)が希死念慮を抱いていました0 [気落ちした]群では、六十名中三十二名(53%) が、そうでない群では十六名中一名(6 % )が希死念慮を抱いていました。これらはいずれも有意差がある、すなわち統計学的にも意味があることでした。(リハビリテーション物語 岡本五十雄)
 

それは、突然の生活環境の変化を受け入れるまでのひとつの過程かもしれないと体験的に思います。それほどの変化をもたらすのに注意不足ではありましたが。

図はアニメの殿堂ですが本当は使い方がよければ産業育成としてはいいと思いますが

今の発想はいい天下り団体ができるという官僚が喜ぶ施設ですね。散歩していると自民党のポスターに「責任政党の自民党」「無責任な野党」と書かれています。こんなもので責任政党と威張るのがおおかしいですね

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リハビリバンド [リハビリ]

患者 歌で励まし10年超 「手洗いのススメ」 「リハビリロック」 南区の病院バンド 25日の新曲披露へ猛練習

2009年7月3日 08:31 カテゴリー:九州 > 福岡
那珂川病院の音楽療法室で練習するバンドのメンバー

 ♪つめの間にぶどう菌(中略)指の間もよく洗おう(「手洗いのススメ」より)

 福岡市南区の那珂川病院に勤務する医師や看護師のバンド「Mid‐River」が、感染症防止やリハビリのコツなどをテーマにしたユニークな曲で、10年以上患者を励まし続けている。

 バンドは同病院の外科医、大国貴史さん(53)や作業療法士の東成幸さん(55)をはじめ内科医、事務次長、看護師長、理学療法士などさまざまな職種の7人で編成。1996年、クリスマスに自宅に帰れない入院患者のために、大国さんら4人でコンサートを企画したのが始まりだ。院内の音楽療法室を拠点とし、院内や町内会で演奏。作ったオリジナル曲は20曲を超える。http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/106342


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