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差別の反対は? [障がい者問題]

 

 

映画『夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年』の監督である今井氏の「記録映画『夜明け前』の先へ 今井友樹 記録映画監督(2019年「すべての人の社会」8月号日本障害者協議会)を読みました。映画を製作した「きょうされん」の藤井氏との会話が紹介されています。

 

「そこで私は監督の打診を受けました。 その際、藤井さんに言われた言葉が強く印象に 残っています。藤井さんは私に「差別の反対はなんですか? 」と質問を投げかけました。私はとっさに「平等」と応えました。藤井さんは言いました。「たしかに平等"はひとつの正解と言えるかもしれない。しかし40年以上障害者福祉に取り組む 我々にとって、差別の反対は無関心"です。世間 の無関心に届く映画を作って欲しい。そう訴える藤井さんの言葉を聞きながら、私は自分自身もまた無関心な世間の中で生きていることに気づかされたのです。

私の妹は、中学生の頃からてんかんの発作を繰り返してきました彼女の障害どう向き合うか。 私はこれまで家族の問題であると捉えていまし た。一方で、藤井さんをはじめ障害者福祉に取り組んで、いる皆さんは、社会や国の問題として解決 しようと取り組んでいます。」

 

 

ここを読んで思い出したのは、ひとつは、国際障害者年が提唱された頃の知的障害者施設の団体の研修会に招かられたときに、「てんかは病か、障害者なのか」という質問をされました。当時、精神障害者やてんかんなどは「精神衛生法」という法的根拠しかありませんでした。それは隔離収容を基本とする社会防衛法だと私は認識していました。質問には、障害者でもないのにというニュアンスがありました。程なくしてWHOが「国際障害分類試案」が発表され、障害者として位置づけられました。

ではもうひとつの、当事者サイドはどうか。個人的な意見ですのでご了承ください。当事者側の団体としては、てんかんという「病気」のことをよく知ろうということで医師の講演会をやっていました。てんかんということをひた隠しにして生きている方が少なくなく、講演会会場の受付で名前を書くのを拒む人もいました。そして、病人ではあるが障害者ではなないという差別感情も底流にあったと思います。今では、社会の進歩に合わせて、社会も、当事者も変わったと思います。周辺と当事者側にもあった空気は活動の方向性も縛るものだったと思います。

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