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問わなくなって [寛容な社会]

 

最近、想うことのひとつに、愛国心があります。日韓もありますが、日中もあります。日韓では世界2位の座を譲った日本のプライドが影響していないでしょうか。愛国心などはいつのまにか備わっていて、特別に考えりはしません。高村薫氏は次のように問うています。

 

 

「問いを立てなくなると、問い自体が消えてしまいます。クローン技術を生命に応用することの是非などは、私たちが生命とは何かという 問いを忘れてしまったところに出現してきた問題でしょう。

もちろん、社会は多くの圧力に満ちていますから、生きることは依然として楽ではありません。私たちは日々不安や迷いにさらされるなかで、何らかの解決を求めてネットを開きます。そこにある大量の情報のなかから適切なものを選び取るのもたいへんな労力だけれども、ともかくそうして何となく埋め合わせてしまう。しかしそれも、すぐにべつの情報に流されてしまい、またネットを開く。そういう繰り返しに疲れ果てた末に、宗教に解を求める人も機会も増えてゆくのではないでしょう」(『生死の覚悟』高村薫 南直哉著)

 

生きることが楽になるというのは想像できません。気楽に生きている人はいるのかもしれませんが、その実、大変ではないかと思う。『さまよう遺骨』という本では、核家族化などで独居が増え、亡くなっても遺骨の行き先が決まらないという。せめて、自分の墓代は貯金しておこうと貯め続けても、遺骨を葬る人がいないことも少なくないのだという。自分たちの「弔い」の文化が時代に適応しなくなっているようです。ですが、問うこともなく過ぎた先には、無縁仏として合葬されればいいほうではないか。独居老人が増えたのは好き勝手になったわけではないだろう。高度成長期に「金の卵」ともてはやされた労働者が、働き、団地に住まい、老いてしまった結果なのではないか。定年後あるいは早期退職して田舎に戻る人たちもいます。「ポツンと一軒家」の住民にも先祖の遺産を守ろうとしている人たちがいます。この番組が支持される理由のひとつではないか。

 


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