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誰にも障害者になる可能性が [脳梗塞]

 

 

「『おこもり小屋』に炎赤々と 畑地区で伝統行事「どんど焼き」 [福岡県]

 

 雪が一部残る豊前市畑(はた)地区で11日夜、竹やわらなどで建てた「おこもり小屋」と、古いお札やしめ縄を一緒に燃やす伝統行事「畑のどんど焼き」(市指定無形民俗文化財)があり、無病息災と五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。

 山あいにある地区の保存会メンバーが先月29日、いろりがある小屋を完成させ、住民が飲食や歓談を楽しみ、近くの小学校の児童も訪れるなど交流の場となっていた。火のついた棒を手にした子どもたちが小屋に火を放つと、竹のパン、パンという音とともに勢いよく燃え上がり、夜空を赤く染めた。=2017/02/12 西日本新聞朝刊=」

 

私が育った地域では「おこもり」は、同級生が集まり、米を持ち寄って食事会をして泊まることでした。地域で異なるのかもしれません。

 

脳梗塞になった人の投稿です。

 

「(声)障害者にも心地のよい社会に 45歳 2017212日朝日新聞

 

 毎日、同じ時間の電車の中で、2人の障害者の方を見かけます。ダウン症と発達障害の方と思われます。お一人はたまに奇声をあげ、もう一人は時刻表を見てはぶつぶつつぶやいています。過去の私は敬遠し、同じ席に座らないことが多かったと思います。

 ですが、今は違います。なぜなら、私自身が脳梗塞(こうそく)を患い、障害者になったからです。リハビリと家族や友人、パートナーの支えでだいぶ回復しましたが、「感覚障害」という後遺症があります。痛みやしびれなど目には見えず、私の苦しみを分かってくれない方もいます。ひどい見方をされることもあり、とても悲しくなります。

 脳梗塞に襲われるまでは、私は自他共に認める健康体でした。障害と健常は、表裏一体なのです。いつ何時、何があってもおかしくありません

 「障害者差別解消法」が施行されて、この4月で1年になります。いま一度、周りを見渡し、障害者と健常者が心地よく暮らしていけるよう、社会全体で動いてもらいたいと強く思っています。

 

私も似た後遺症です。

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痛みを感じられないの [脳梗塞]

森元首相が不適切発言=長野で羽田元首相に関し

 自民党の元首相は27日、長野県信濃町で開かれた会合で、衆院長野3区選出の民主党の元首相に関し「半身不随で動けない」と発言した。羽田氏は脳梗塞(こうそく)で入院したことはあるが、現在も政治活動を続けており、森氏の発言は不適切と批判が出そうだ。
 森氏は、自民党が開いた「ふるさと対話集会」で「小沢(一郎民主党幹事長)さんも羽田さんも私も同期。長野県も偉い。半身不随で動けない人にちゃんと(票を)入れるんだから。それはさておいて、それだけ人情豊かなところだ」と述べた。
 (2010/02/28-01:38)時事通信

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茶化しているのでしょうか。脳梗塞でも、体が不自由でも、がんばっている人たちは沢山います。そして、この発言をほとんどの新聞、テレビが取り上げなかったことにさらに差別構造の実態を感じました。 これは、脳梗塞と後遺症と闘う人たちに対する人格否定だと感じました。

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リハビリ革命になるか [脳梗塞]

脳卒中 念ずれば動かしてくれるリハビリの新装置

 脳と機械を結ぶブレーン・マシン・インターフェース(BMI)技術を使って、脳卒中患者の機能回復を図る新しいリハビリ方法を慶応大のグループが開発に成功し、効果が確認された。体を動かそうと念じると、機械がその脳波を読み取り、強制的に体を動かす。こうした訓練で、脳からの命令が筋肉に伝わりやすくなるようにする。

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http://www.asahi.com/science/update/0919/OSK200909190076.html

 


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秀樹とヒデキ番外編から [脳梗塞]

 『週刊朝日』の西城秀樹さんのエッセイを読みました。「NO梗塞アカデミー」というイベントに参加したときのことなどが書かれています。そこでの講演の中から、再発率が1年で10%。10年でいうと2人に1。そして、服薬中止が4人に1人だという。
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そうですね。私も5年経過しますが、血圧測定を毎日していますが、今のところ安定しています。ただ、服薬を続けるのは面倒ではありませんが、「効果があるのか」と思うことがありますね。病院に行っても血圧のことだけで、日々、困っている筋肉痛などについては「そうですか」で終わります。別の病院にでも行けば良いのでしょうが、そこがどうなのか分かりませんし、今の病院は近いので助かりますが。服薬をやめる人たちにはいろいろな理由があるのかもしれません。

脳卒中協会などの調査では「20074月、全国の40歳以上の脳梗塞発症経験者206人(男性178人、女性28人)を対象にインターネットで「脳梗塞患者意識調査」を実施した。調査結果によると、患者のおよそ5人に1人が自己判断で通院を、4人に1人が服薬を中止していることが分かった。また、3人に1人が生涯服用の必要性を理解していなかったという」

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生涯服用までは知りませんでした。本当なのでしょうか。

 
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神経つなぎかえ その前に早期治療を [脳梗塞]

脳梗塞、神経回路つなぎ替えて反対側で機能補完

 脳梗塞(こうそく)で体の機能の一部が失われても、左右反対側の脳が神経回路をつなぎ替えて「肩代わり」し、機能を補うことを、自然科学研究機構・生理学研究所(愛知県岡崎市)の鍋倉淳一教授らがマウス実験で突き止めた。効果的なリハビリテーションに役立つと期待される。読売新聞

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早く効果的なものになればと願っています

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テレビから


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「葉酸」で脳卒中予防 [脳梗塞]

 

朝日新聞の土曜日に連載される日野原重明さんの随筆の今回のテーマは葉酸。それによると

98 年から、パンなどの穀類に微量の葉酸を添加することを米政府は義務付けています。3 億人を対象にした米国民の死亡統計によると、98 年以降の4 年間、白人女性の脳卒中死亡率は人口10 万あたり175 人から、同155 人にまで減少しているのです。米国民の脳梗塞死亡率が減少したのを見て、英国やニュージーランド、オーストラリアでも葉酸の重要性が叫ばれるようになりました。」という。

脳梗塞が減れば、認知症もすくなくなるであろうと述べています。

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個人的には、長生きするよりも、認知症になったり、寝たきりになるのが恐い。今の世の中、長生きで良かったと思えることはあるのでしょうか。

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腕を支えているもの [脳梗塞]

 

辺見庸氏は健常であることの奥に暴力的な行動源があるようだと指摘しています。

 健常であるということと暴力の関係。ぼくの経験に照らしても、健常幻想は暴力を誘引するか暴力に誘引されやすい。倒れてからは暴力の発生源には自己の健常幻想があるのではないかと考えたりしました。いまのぼくは誰かに殴られそうになっても、暴力で対抗するどころか相手の拳を避けることも走って逃げることもできない体になってしまいました。小学生にでも突き倒されるような体にね。倒れる以前は、少々 の喧嘩ならだれであれ簡単には負ける気がしなかったものですが。そんな身体的な自信・・過信ですね、がものの考え方にも大なり小なり影響していたようです。(略)この否応ない劣性の自覚は大きい。大袈裟にいえば、いままで生きていて最も大きい思想的(あるいは詩的)変化が起きているともいえます。それがどんな変化かはうまくいえませんが、多分、悪い変化ではないと思います。他者を制するということを、たとえどんな形であれ前提しなくなりましたから。制したい、制することができる、と思わないのは断然よいことのような気がします。健常者には病者の内奥になかなか想像力が及ばないものだーとは、実は倒れてからの実感です。『自分自身への審問』より
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暴力的ということは決して力で制することではありません。重度・重複障がい者というなかには、他者に暴力的に立ち向かうように見えることがあります。でも、他者を制することではなく、自らの表現として体を使うことがあります。辺見氏のように脳卒中などで不自由になると、様々な制約のおかげで当たり前のようにやれていたことがいくつかの条件のもとに行われていたのだということを知ります。私の場合肩甲骨周りに違和感がありますので、右手が痛みます。腕が肩によって吊り下げられていることを実感したのは発病後です。こうして、他者を制しない思想が見えてくることは病が与えてくれた視点でもあります。

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かずをかぞえるな・ものいうな [脳梗塞]

 

辺見庸氏の『自分自身への審問』の次の件に衝撃を受けました。少し長いですが引用します。


こんな風景にもでくわしました。右手を胸に抱えるようにし、右脚を重く引きずりながら歩く中年女性。彼女もぼくと同一系統の病気のようです。顎を上げ歯を食いしばって左手の杖を支えに必死の形相で歩を進めようとするのですが、いかんせん一寸刻み五分刻み、なかなか前進しません。前を行くのはどうやらその女性の夫とおぼしい男で、時々 立ち止まってはどうしても遅れがちの彼女を振り返って見やります。妻の歩行練習に付き添ってきたのでしようか。ぼくは羨ましいと思い、男がどんな優しい面立ちをしているものか視線を向けてみたのでした。しかし、男は明らかに疲れきった黄色い顔をして眉間に皺をよせているのでした。腐りかけた玉葱をぼくは想起しました。彼女のほうはまるでもがくようにして彼に近づこうとしています。と、男がある幽かな動作ともいえない動作をしたのです。前進するのに夢中で彼女には男の仕草が見えていなかったようですが、ぼくは見逃しませんでした。軽い舌打ちです。多分至近距離にあっても聞こえなかったであろう「チェッ]の破裂音がぼくの耳には轟音のように伝わってきました。泥の川を必死で渡るようにして男に近づこうとする女と女に覚られぬように舌打ちした男。双方のわけのいずれも、ぼくにはわかる気がします。そして、憂悶の情堪えがたいほどにいや増すものだから、「物言うな」と一言己に命じてから、さっきの女とほとんど同じ動作でよろけながら黄昏てくる家路についたのです。
さて、右のような風景の襞の一つ一つを丁寧になぞりながら、つまり、それぞれがいま生きることの薄ら哀しいわけを突き合わせたり解析したりしながら、ぼくは残りの生を一人の老いた身体障害者として私小説ふうに生きればよいのでしようか。あくまでも静かに、謙虚に、羞じらいながら隠棲し、世界について大言壮語せず、悪態をつかず、毒づかず・・。
そして、これまでに果たそうとしてできなかったささやかな夢の一つか二つ(たとえば、極寒の地にダイアモンド・ダストを見にいくとか)を残り少なくなった生の間に秘やかに果たして、薄い笑みを浮かべてひとり逝くこと。いまでもそうした夢に魅入られていますが、どうもそれはちがうような気がします。
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病者である女性と日々付き合っている男では温度差があります。そして、同じように感じることは不可能です。私たちは間断なく痛みがありますが、家族にとっては想像するしかないわけですので、つい忘れたり、感じ取れなくなります。越えられない溝がそこにはあります。舌打ちがあっても、非難されるものではありませんが・・・

それと後半の部分でも考えさせられます。もうこんな状態だから「隠棲」しておとなしく生きておけばいいように思いますし、大したこともできません。「大言壮語せず、悪態をつかず、毒づかず」というのも許されないのかと思う。誰が許すのかも含めて考えさせられます。

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脳梗塞の専門医がない [脳梗塞]

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昨晩の九州管内のNHK番組で「地域医療は守れるか」として「宮崎県北部15万人の命を守る県立延岡病院が大きく揺れた。眼科・精神科・消化器内科に続き、今年4月から神経内科も休診になった。医師が退職後、その補充ができなかったからだ。背景には、医師の数が年々減り続ける一方、救急患者の数は増え、残った医師たちの勤務環境が厳しくなる状況があった。神経内科休診に危機感を抱いた自治体や地元、医師会が動き出した」NHKHP

延岡地域では神経内科の医師が県立病院からいなくなり、他の病院が連携することになったが、専門医はいない。他の疾患でも似たような状況が各地にあるのでしょう。腎臓の透析も延岡では似たような状態だという。命に関わります。精神科もないと精神障がい者はどう地域で生きていけるのでしょうか。地域偏在が大きいとしていましたが、圧倒的な医師不足ではないかと思うのですが。

知事はテレビによく出ていますがこんな話をほとんど聞きませんがとりくんでいるのでしょうか

 
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経済効率だけでなく [脳梗塞]

 「風景の耐えられない軽さ」という辺見庸氏の随筆を読みました。(「

「脳出血で倒れて入院していたころ、私と一緒につらいリハビリをしていた五十歳台とおぼしい男がある日突然、声を絞りだすようにして独りごちた。怪しい呂律だったが「こうまで苦労して生きていく価値があるのかなあ・・」と聞こえた。言葉が耳朶に残り、いつしか私も同じような独言を呟くようになった。「この世の中に頑張る意味ってあるのかなあ

リハビリのつらさを言いたいのではない。生き続ける労苦が周りの風景とつり合わなくなってきた、何だか甲斐がないな、という気分がため息をつかせるのである。久方ぶりに復帰した社会は、清貧も精励も美徳ではなくなっただけでなく、あざけられかねない。」

 
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同じように脳梗塞になった私は以前に比べるとまず走れなくなりました。元々歩くのは遅いほうでしたが、今では追い越されるのが普通で追いつくことはまれです。ところが久しぶりに追いつく体験をしました。4日のどんたくと作業所の販売を見に行きました福岡市の地下鉄七隈線・別府駅の通路。歩道に出るためのエレベーターに向かう男性がいました。右手を抱えるようにして足を引きずっています。同病者なのでしょう。エレベーターまでは結構な距離があります。発病前なら気にはならなかった距離ですが。エレベーター前で追いつきました。乗り込むのは二人だけです。他の人は階段を利用しています。同年代のように見えます。降りるときに「開」を押して待ちました。彼はありがとうございますと言って降りられました。私には、同病者としてのエールがありますし、彼よりも私が軽いのだという卑しい気持ちもありました。

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発病前迄は気づかなかったのですが、体が不自由な人たちを結構見かけます。地下街で松葉づえ2本で行く人を見ると外出するエネルギーに励まされました。地下鉄につながる私鉄もエレベーターの設置工事が進められていますが、私の自宅最寄り駅にはありません。階段を利用しなくても外には出れるのですが、駅前のバス停があるためか、階段を不自由そうに利用する人が多いようです。私がリハビリに通った病院の方も利用しています。

地下鉄七隈線は当初利用予測を大幅に下回り経営的な問題が指摘されていますが、バリアフリーの交通機関としての名声もあります。着工前に1年間設計協議が続けられた成果が取り入れられています。それで、私も、彼も、外出する可能性が広がっています。その意味を広く知ってもらいたいと願います。私が外出しても経済効率は上がりませんが。

 
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