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かずをかぞえるな・ものいうな [脳梗塞]

 

辺見庸氏の『自分自身への審問』の次の件に衝撃を受けました。少し長いですが引用します。


こんな風景にもでくわしました。右手を胸に抱えるようにし、右脚を重く引きずりながら歩く中年女性。彼女もぼくと同一系統の病気のようです。顎を上げ歯を食いしばって左手の杖を支えに必死の形相で歩を進めようとするのですが、いかんせん一寸刻み五分刻み、なかなか前進しません。前を行くのはどうやらその女性の夫とおぼしい男で、時々 立ち止まってはどうしても遅れがちの彼女を振り返って見やります。妻の歩行練習に付き添ってきたのでしようか。ぼくは羨ましいと思い、男がどんな優しい面立ちをしているものか視線を向けてみたのでした。しかし、男は明らかに疲れきった黄色い顔をして眉間に皺をよせているのでした。腐りかけた玉葱をぼくは想起しました。彼女のほうはまるでもがくようにして彼に近づこうとしています。と、男がある幽かな動作ともいえない動作をしたのです。前進するのに夢中で彼女には男の仕草が見えていなかったようですが、ぼくは見逃しませんでした。軽い舌打ちです。多分至近距離にあっても聞こえなかったであろう「チェッ]の破裂音がぼくの耳には轟音のように伝わってきました。泥の川を必死で渡るようにして男に近づこうとする女と女に覚られぬように舌打ちした男。双方のわけのいずれも、ぼくにはわかる気がします。そして、憂悶の情堪えがたいほどにいや増すものだから、「物言うな」と一言己に命じてから、さっきの女とほとんど同じ動作でよろけながら黄昏てくる家路についたのです。
さて、右のような風景の襞の一つ一つを丁寧になぞりながら、つまり、それぞれがいま生きることの薄ら哀しいわけを突き合わせたり解析したりしながら、ぼくは残りの生を一人の老いた身体障害者として私小説ふうに生きればよいのでしようか。あくまでも静かに、謙虚に、羞じらいながら隠棲し、世界について大言壮語せず、悪態をつかず、毒づかず・・。
そして、これまでに果たそうとしてできなかったささやかな夢の一つか二つ(たとえば、極寒の地にダイアモンド・ダストを見にいくとか)を残り少なくなった生の間に秘やかに果たして、薄い笑みを浮かべてひとり逝くこと。いまでもそうした夢に魅入られていますが、どうもそれはちがうような気がします。
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病者である女性と日々付き合っている男では温度差があります。そして、同じように感じることは不可能です。私たちは間断なく痛みがありますが、家族にとっては想像するしかないわけですので、つい忘れたり、感じ取れなくなります。越えられない溝がそこにはあります。舌打ちがあっても、非難されるものではありませんが・・・

それと後半の部分でも考えさせられます。もうこんな状態だから「隠棲」しておとなしく生きておけばいいように思いますし、大したこともできません。「大言壮語せず、悪態をつかず、毒づかず」というのも許されないのかと思う。誰が許すのかも含めて考えさせられます。

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