久しぶりに太宰府へ [リハビリ]
蒸し暑いですね。家にいるのもなんだし、久しぶりに太宰府にでも思い立ち、コミニュティバスで都府楼駅まで。時刻表を見間違い、いつもとは違うルートで。電車に乗り換えようとしたら普通が出たばかり。ようやく太宰府駅に着きましたが、もう来るのじゃなかったという雰囲気です。少しバテ気味です。体力低下ですね。それでも、折角来たのだからと言う貧乏人根性で池のほうにまわりました。今日はお客さんが少なかったです。
帰りのバスの中で、老夫婦とおぼしき二人が大声で「米がない」と。買い物帰りのようです。カウンターで袋に入れるときにご主人が急がせたからだと責められています。返事の声が聞こえてきません。今晩のご飯は大丈夫でしょうか。うちもこんな会話が増えました。二人で言い合えるだけましかも
成果がないから徒労・歩く [リハビリ]
私は1日3回程度歩きます。午前1回、午後1回と夕方の犬との散歩です。雨の日を除いて歩くことが仕事みたいです。なんのために歩いているかというと、少しでも歩く力をつけたいのと体力の回復です。でも、歩く力はここ4年程度で20分から30分程度。体力の回復は少しあったようですが、計測不能です。同病者の辺見庸氏は次のように述べています。
「思索と徒労歩くことは、格好よくいえば、反復的な思索なのです。でも同時に、しんどいことでもある。なにがしんどいかというと、進歩がないことです。進歩がないことをくりかえさなければいけない。しかも、進歩はないけれど、退歩はある。階段ののぽりおりの練習を三日もしないと、またやりなおしになるわけです。双六のふりだしに戻る、だね。病院でもやる。病院で手術したり、しばらく寝ていると、また歩けなくなるし。うん、徒労は徒労なんだよ。ただね、徒労という窓口から世界を考えたり、自分の行為や自分の生を考えたりすることは、あながち悪いことではない。だから成果を期待するものがないということはいい。すっきりしていいよ。」(しのびよる破局より)
歩いていて、こんなことをしていてもと思うことはよくあります。でも、歩きながら考えることが沢山あります。そして、自然の変化を体感します。それは、生きてることを実感できる時間です。発病前は生きてることを実感することもなく、時間を費消していたように思います。それは、社会の関わりの充実感もありますので、それは、意味があったと思います。歩いていても、人との関わりが少なくての思索ですので、あまり楽天的にならないことが多いです。そのときは、カメラで風景を撮ります。瞬間のトキがそこにあります。二度と遭遇しない過去との出逢いです。
第五福竜丸展示を見に行く [リハビリ]
最近、体力の衰えをさらに感じます。リハビリもやめまして毎週病院に行くこともなくなり、運動量も全体的に低下しているようです。それではどうするかということで、外出してみることにしました。新聞に載っていて第5福竜丸の展示が福岡アジア美術館で今日までということででかけてみました。西鉄福岡駅から久しぶりにバスで中州を渡り、歌舞伎もしている博多座前で下車。美術館は隣です。会場はDVD上映、ガイガーカウンターなどの展示のほか沢山の写真がありました。広島・長崎の写真。福岡空襲の写真。帰りもバスでもう1箇所行きたいところがあったのですが腰が痛くなりあきらめました。どうしても姿勢が悪くいけません。東京の展示館のホームページは下記です。
電車に乗るときに待合室にいるとお年寄り夫婦みたいな感じの方がペアで。二人とも腰が曲がっていて男性が女性の手を引きながら入ってきました。座るとすぐに男性が切符がないと言い出し、女性が改札入ったのだからあるはずというが、ないといって改札口に戻り始めましたが、やかでズボンにあったと戻ってきました。似たような会話が我が家もよくあります。
リハビリ制限の影響 [リハビリ]
障害者(児)を守る全大阪連絡協議会などが実施した「医療リハビリテーションの打ち切りに関する実態調査」報告書を読みました。現在7割の人がリハビリテーションを受けています。リハビリテーションの打ち切り・回数制限については表のとおりです。
リハビリを打ち切られた人のうち、リハビリ提供機関から打ち切りの理由説明があった人が70.8%、なかった人が29.2%となっている。
リハビリ提供機関からの打ち切り説明理由については、
「症状改善がないにもかかわらず、日数制限や症状固定を理由に、一方的にリハビリテーションが打ち切られていることがうかがえる。その他の内容として、「必要性がないと言われた」「他の利用者の増加に伴って」「病院の方針。多分PT不足」「家庭内労働でも十分リハビリになるため」などと記載がされているが、いずれも、病院側の都合で打ち切りになっていることがうかがえる。」
リハビリ打ち切りによる影響
回答者がみずから、リハビリテーションを必要と考えているかどうかについて、必要が78.8%、必要ないが8.8%、わからないが11.5%、無回答が0.9%となっており、圧倒的多数が今もリハビリテーションが必要と考えている
介護者等の負担
リハビリテーションの打ち切りによる介護者の身体負担について、増えたが31人(55.4%)、増えていないが12人(21.4%)、わからないが13人(23.2%)と、回答者の過半数が増えたとこたえている
(3)自由記述の特徴
①退院後は、介護保険にて訪問リハビリに移行。失語症などは、長期にリハビリを必要とする。脳卒中後遺症は、受傷後一年以内にリハビリを行うことにより、その後の状態にかなり影響を及ぼします。入院制限があると、リハビリ途中で退院を余儀なくされます。
②病院でのリハビリを打ち切られたため、福祉施設のリハビリに通うようになり、経済的負担が増えた。また、歩行に必要な装具をつくりかえるにも不便になった。
③リハビリが必要な成人障害者は、リハビリがあってこそ日常の生活がやっと維持できているのだと思います。リハビリを減らすことは、全体的な医療費の削減につながらず、むしろ、増加させるのではないかと思います。
④脳性まひなどの二次障害の予防や進行防止などのために、継続してリハビリテーションが受けられるような保健医療の点数の制度を設けてほしい。
⑤20歳を過ぎたら、リハビリを継続していくしかありません。半年に一回、一年に一回でも見てもらえることが何よりです。
リハビリ打ち切り調査 [リハビリ]
医療リハビリテーション打ち切りに関する実態調査」報告書 5/7 障害者(児)を守る全大阪連絡協議会HP http://www.normanet.ne.jp/~s-renkyo/
> 昨年12月20日までの四ヶ月間、障連協、大阪府保険医協会などでとりくんだ
「医療リハビリテーション打ち切りに関する実態調査」の報告書が完成しました
会議があり天神まで出ました。暑かったです。目の周りが痛かったり 頭痛がありそうで 血圧が上がっているのかもしれないと思いながら出かけました。アメリカて゜「トヨタのポンコツ」という報道があったとのこと。私もポンコツになっていますが、直接言われれば気分が良いものではありません。トヨタに自覚症状があるかどうか それが問題でしょう。いつまでも自動車がもうかるわけでもないでしょう。
朝日新聞川柳に
3万の自殺者見捨てて大騒ぎ
インフルエンザのことでしょうが、見捨てているように思える人もいるようで
世界からの孤絶 [リハビリ]
昨日は博多どんたく・港祭りは事前の予報を裏切り雨でした。晴れのつもりででかけることにしていましたが、雨なのにでかけるのを止めませんでした。日々 あわただしく動き回った習性から、痛みもあるのに、わざわざ出かける自分にあきれながら、それでも、街の空気を吸うことで、社会の中にいるように錯覚しています。それは、再発率の高い脳梗塞であることから、いつ動けなくなるかもしれないというものもありますが、内的に突き動かすものがあります。
先日から紹介しています辺見庸氏の『しのびよる破局』に触発されているのかもしれません。辺見氏も脳梗塞で私よりひと月早いようです。そうした生活にふれてますが、このなかの「世界からの孤絶」には、昨年の二つの無差別殺傷事件の背景についてふれています。「容疑者が日常的になにをやっていたかというと、携帯電話をもっていて、ゲームをやっていた。かれにとっては、世界の切り口がつねに携帯電話やゲーム機のモニ夕ー画面なのです」という。「かれは携帯電話を二台もっていて、1台の携帯電話に別の携帯電話からメールを送信していた。つまり、自分で自分にメールするわけです」とその心情を
「ふと机の上にある自分の携帯を見て、だれからもメールがこないときに、自分でメールを入れたい衝動、無意識の衝動みたいなものが、ぼくのなかにもあるような気がするのです。「がんばれよ」とか「おい、元気だせよ」とか慰めのことばとか、あるいは… きみを心配している人間がいるんだ]とか。 本当はそういうメッセージをじかに欲しいけれども、ないときに自分で自分にそれをやってしまう」ということではないかと。それは、人間が社会的な生き物であることの証左でもあるのですが、それは、充たされることが少なくなっています。秋葉原の容疑者も書き込みに対する反応がなかったと語っています。その仮想空間にもいる場所がなかったと言うのでしょうか。だから、犯人を弁護したいという話ではありません。辺見氏も繰り返しそのように述べています。何を失ったのか。そんなことを考えながら、人が生きてる意味と可能性について思いめぐらしてみました。
メールがゼロだった場合にどういう反応を示すのか、忙しい人たちにとってはそんなことはないでしょうが、メールがない人もいます。でも、メールも気持ちを伝える手段としては相当機能不全ではないかと思うのですが。いろんな形での人のつながりが不可欠なような気がします。
PPJから見ると [リハビリ]
私が住んでいるところの近くには「ヒトツバタゴ」(別名/ナンジャモンジャ)という天然記念物が今咲いています。日本、朝鮮半島、中国にあり、日本では愛知県、岐阜県、対馬のみだそうです。近くの公園は対馬から贈られたと記されています。
パーフェクト・ポンコツ・ジイサン。
これをPPJと呼ぶそうです。辺見庸氏が『』で述べています。
「ぼくは長く生きすぎたし、本当にあっという間の出来事だったともおもう。いま、毎晩のように、もうそろそろ終わろうかなあと何度もおもうけれども、生の慣性の法則のようなものをなかなか断ちきることができなくて、1日にただ一日を足していくように過ごしている。それが、本当に不思議だとおもっている。二○ ○ 四年の三月に脳出血で倒れて、その後遺症でスムーズに歩くことができない。つづけて二○ ○ メートル以上歩くのは、かなりしんどくなっている。それと、その翌年にはがんになった。翌々 年には別のがんにもなった。PPJ だね」と。発病は私が1月遅れですが同年齢です。間違いなくPPJの一人なのです。決して宣伝する必要もありませんが。
「でもね、意識としての人間が、他からどのような存在理由、存在証明もあたえられずに、どのような人生の目的もなしに〈 世界にただひとり遺棄されている〉 という実存主義的感覚は、PPJ になってみてはじめて実感しえたね」としていますが、近い感覚はありますが。「もっといえば、〈 他者の目で見た自分を終生演じつづける〉 といった、ボードレールだけではなく、だれしもよくある心的呪縛からやっと解かれた気もする。」となるとあまり理解できません。雰囲気的には感じますが。
PPJにも日常があります。昨日病院で血圧が高いですねと言われれば少し気にはなるが、高くて困ることは別にないと思ったりします。ただ、再発して介護の負担を妻にかけるのだけは避けたいと思うだけですが。
筑紫野市に [リハビリ]
詩碑
入り口に
ミゼットは下記のウィキペディア参照ください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:DAIHATSU-MIDGET-DA5-01.jpg
博物館は下記で
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/index.htm
昨日は高校野球で長崎の清峰高校が優勝しました。小さな町の県立高校です。地元大賑わいのようでした。 九十九島漁協はいりこを差し入れ続けているという
絶望からの復活 [リハビリ]
朝 8時半NHK
4月1日(水)
リハビリ 心が動けば身体も動く
継続して取材をしているリハビリの問題、今回はリハビリ患者の多くが直面する“こころの問題”にどう向かい合うかをリポートします。
出演は、NHKスペシャル「闘うリハビリ」にも出演した藤田太寅さん(自ら脳出血に倒れ、今なおリハビリに取り組み中)と、歌手の綾戸智絵さんです。
病に倒れる前に当然のようにできていたこと、例えば料理をすること、洗濯をすることなどができないという事実に、多くの人が苦しみ、リハビリを続けていく意欲さえ失ってしまうことがあります。
こうした苦しみをどうすれば乗り越えられるのか、実際にこの悩みを克服した2人の方のケースを紹介します。
自分や家族がいつ直面するかもしれないリハビリにどう向き合えば良いのか、そのヒントをお伝えします。
見終わりました
感動しました。患者同士で応援団を組んで響きあう形で復活していく姿に。個展を開いた方も。5年間かかったということやこの先死ぬまで続くかもしれない痛みに絶望する姿に涙している日々からの復活です。国はリハビリを180日以内で打ち切ります。こんな仕打ちを作った「構造改革」 専門家が脳卒中の法律があっていいのではという指摘。考えてみる必要があるように思いました。