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「息ができない」 [寛容な社会]

 



 



「最古最大のマヤ遺跡か、メキシコ 紀元前1000年ごろの建造物(共同通信) - Yahoo!ニュース 」はピッグニュースです。マヤ遺跡かどうかは今後調査されるでしょうが、建造物の大きさなどから豊かな文明があったことを示していると思います。自由で平等な社会だったと分かればいいですがね。



 



今日の話題は、「コラム 春秋 2020/6/5西日本新聞 」はアメリカの人種差別抗議行動を取り上げています。



 



「▼60年以上たった今も米社会は理不尽な差別に覆われ、虐げられた人たちの怒りが爆発した。中西部で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件。抗議行動は全米に拡大した。トランプ大統領は、一部の破壊、略奪行為を強く非難し、軍の投入をちらつかせてデモを威圧する。一方、発端となった事件や根底にある人種差別問題には目を向けようとしない



▼デモが燃え上がった背景にはコロナ禍も。仕事を失った貧困層は困窮を深め、感染しても満足な医療を受けられない。白人警官に押さえつけられた黒人男性が残した言葉「息ができない」は、差別や格差に苦しむ人たちに共通する悲鳴だ(一部引用)



 



 日本のテレビも詳しく伝えていますが、今までと違うのは、非暴力の抗議行動を求めていることです。亡くなった黒人の弟さんが兄は暴力を望んでいないとし、暴力的行動では解決しないと説得する黒人の次世代に差別を温存させないためにも、非暴力をという説得を続けていました。感動的でした。非暴力しか道がないことを知った国民の新しい力の広がりを感じさせてくれます。大統領選にどういう影響を与えるのでしょうか。



いすれにしろ、非暴力でしか人種差別が解決しないということを知らしめたことは大きい財産だと思う。しかし、日本国内からの連帯の声があがっていないのだろうか。


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ディパーチャーズ [寛容な社会]

 



 



三権分立のことは、民主主義の基本だと習いました。検察庁幹部の定年延長を閣議決定で決めてしまうということについて多くの人が違うと思ったのは教育のせいでしょうか。



本日の話題は映画「おくりびと」の話です。海外名『ディパーチャーズ』は本木さんの演技も秀逸でしたけど、納棺師という仕事の背景も大きかったと感じています。主人公の転職のきっかけはチェロ奏者だった楽団の解散です。コロナ禍で仕事を奪われた地方交響楽団の現在の苦境と重なります。検察庁問題の悪臭とはあまりにも異なる世界だと思いました。



 



「コラム 春秋2020/2/22 西日本新聞  



『ディパーチャーズ』に感動しました-。7年前、安楽死の取材で訪れたオランダ。女性研究者に話を振られて戸惑った



▼拙い英語で会話を続けると「死者への敬意」とか言っているふうだ。そこで言葉の断片がつながった。ディパーチャーズ(旅立ち)は日本映画「おくりびと」の海外版の題名だった



▼この映画が米アカデミー賞を受賞したのは2009年の今日。元チェロ奏者の男性が「旅のお手伝い」と記された求人広告を勘違いし、死者を送る納棺師になる物語だ。娯楽映画にはなじみにくいテーマにほれこみ、作品化に奔走したのが元アイドルの本木雅弘さん。存在感ある役者ぶりは今、大河ドラマで楽しめる(一部引用)



 



ディパーチャーズ(旅立ち)という名は当然ながら「おくりびと」に通じます。納棺師は即物的です。これだけでは死が持つ意味を表現できなかったということでしょうか。



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ヒトは弱いのでは [寛容な社会]

 


 


「コラム 春秋 2020/4/22 西日本新聞」では、コロナ禍による差別について次のように述べています。


 


「▼感染患者を受け入れた病院の医師や看護師の子供が保育園への通園を拒まれる。感染した女子高校生を「私ら高齢者にとっては殺人鬼に見えます」と発信した市議も。情けなく、腹立たしいが、特効薬のない病におびえる心の弱さの裏返しか


▼感染症と闘う医師たちを描いたカミュの小説「ペスト」にこんな一文が。「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」。外から忍び寄るウイルスだけでなく、内なる恐れが生む偏見や差別との闘いにも負けたくない。(一部引用)


 


心の弱さを言う時に気を付けてもらいたいことがあるのではないでしょうか。心の「強い人」と「弱い人」をどうやって線引きするのでしょうか。看護師の子どもが通園拒否になる可能性はあります。イギリスではウイルスで休みの学校が医療関係者などの子どもさんを学校で預かるため通学するのだという。行政が対応できる仕組みを示すのが政治だと思う。心の弱さだけの問題でなく、解決措置を提示してもらいたい。偏見・差別の問題を心という得体の知れない闇の中で解決してほしくない。人間もまた一様ではないことを前提にした施策を求めたい


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社会の「底荷」 [寛容な社会]

 


 


2020510日西日本新聞「随筆喫茶 これからを見張るカナリア 川野里子」では社会の「底荷」について触れています。随筆によれば「底荷」とは「船の重心を低くして安定させるための荷物を言う」という。庶民の暮らしが底荷だといってよいのかもしれません。社会には「見張る」役割が必要だともいう。それが弱っていると思う。記者クラブは政府の宣伝装置となり、検察庁幹部の定年を延長させるなど法に則らない「無法」が罷り通っています。見張り役の先導役のカナリアは生死を賭けています。


 


川野氏は次のように記しています。


「詩歌のみならず、芸術には五感を使って「見張る」という役目がある。 データや政治の言説に上る前に未来に浅瀬や岩礁のあることを感じ、人間がいかに生きようとしているかを感受する役目である。この見張り役が今、軽んじられていないか。


このコロナ禍の後の世界は激変するだろう。しかしこの後の世界がどうなろうとも人間の世界であり続けることだけは確かだ。短歌大会の日、私はカメラだけがある暗闇に向かいながら一つ一つの作品が見張りであり底荷であることを思っていた。 (一部引用)


 


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10万円の使途は [寛容な社会]

 


 


野茂英雄さんがアメリカに進出してから25年になるという。アメリカに渡ろうという発想が出てくることにも敬意を持ちますか、好成績を残しています。偉大な人の話とは違いますが、「たかが10万円 されど10万円」とも言うべきか、国からの「特別給付金」と呼ぶのは・・・。収入が減っていない人の10万円とは。元は税金ではないか。押し戴くモノかどうか。


 


「コラム 時代ななめ読み


収入減ってない人の10万円 2020/5/3 西日本新聞 オピニオン面 永田 健 」についての方法と選択肢を挙げています。


 


永田氏はつぎのように述べています。


「一方、私自身は現時点で新型コロナのせいで収入が減ってはいない。公務員、年金生活者など一定数の読者が私と同じ境遇だろう。『まだ収入が減ってない人』は10万円をどうしたらいいのか。選択肢を整理してみた。」として


 【選択肢1 受け取って貯金する】


 【選択肢2 受け取って「応援消費」する】


 【選択肢3 受け取らず国に返上する】


 【選択肢4 受け取った上で寄付する】


4つの選択肢を挙げています。


収入が減らなかった人たちの対応を問うていますが、例えば年金が10万円以下程度の人に


もどうするかと問うことは酷なことではないのか。ある知事が県の公務員には返上を求めたのと同じではないか。消費税も10%に上がっています。私は受け取ります。どう使うかは内緒です。


 それにしても大企業の減税が続いたのですから、その都度、返上論議がおきてもいいのではないかと思いましたが。


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10万円は申告制? [寛容な社会]

 



 



NHKニュースだったと思いますが、ケアラー連盟の調査として、介護をしている人がウイルスに感染したら誰が代わりをするのかという答えに「考えていない」みたいな回答が多かったように伝えられたように記憶しています。ネットで検索しても出てきません。ケアラーというのは「無償の介護労働」を指すと記憶していましたが、どうでしょうか。



例えば、医療的ケアが必要な障害児には付きっ切りの介護が必要ですが、どうしても役割としてお母さんが担っていることが多いそうです。国としての支援が求められます。



 



 ウイルスショックの話として、国は30万円給付の手直しで一律10万円という記者会見をしました。まだ、ヒト揺れありそうですが、財務省は反対のようです。希望者に支給せよという。テレビの街でのインタビューでは、うちは収入減にはなっていないので不要だという人もいました。国民が支援したいところに寄付するという文化が広がるきっかけになれば意義ある10万円になるかも。税金の支払いに使うという人も「そういう形で国庫に返す」という人も。



 もう一つ気になる動きですが、越境パチンコです。営業自粛の福岡県から熊本北部の店に客が流れているという。テレビではパチプロだからやめるわけにはいかないという声も。感染覚悟なのでしょうか。


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逆上がり・跳び箱ができない障害 [寛容な社会]

 



 



 精神科医で、てんかん治療でも著名な兼本浩祐氏の『発達障害の内側から見た世界』を読み始めました。冒頭部分しか読んでいないのですが、逆上がり・跳び箱ができなかったことと、発達障害の発達性強調運動障害のひとつの影響でもあったことに気付いたというのです。私も逆上がり・跳び箱ができなかったので、それだけでも共感でき、そのことが障害と関係している可能性があることを知り、幼少期を振り返りました。逆上がりは多くのクラスメイトができるようになり、放課後の鉄棒でひとり練習した光景が浮かんできます。跳び箱はなぜか忘れましたが、運動会では跳べたけど、それ以外ではほとんど跳べませんでした。日頃はどうせ跳べないとあきらめていました。運動会の時には何にも考えずに思いっきりやりました。跳べた時の感触を今でも覚えています。



本を読み始めた日に緊急事態宣言が全国対象になり、1人10万円の支給が具体化されつつあります。自治体からは歓迎の言葉もありますが、「朝礼暮改」だという声に真実味を感じました。西日本新聞の4月17日版は「コロナ対策政権迷走」とあり、その横に識者の談話の見出しが「国を頼らず長期戦覚悟を」とあり、仰天しました。識者に見出しの責任はないでしょう。発言の趣旨は、自治体は国の対策を待っているのかもしれないが、非常時であり、国は当てにならないという。こんな時に頼れない国とは存在価値があるだろうか。ドイツのメルケル首相は「困ったことがあれば連邦政府に連絡を」という意味の演説をしています。わが国には魂がないのでしょうか。


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「バッターがいない」   [寛容な社会]

 

「自粛」という名の規制に翻弄されて精神構造が傷み始めているようだ。政権の失政を非難する発言があるが、集団の声が聞こえてこないのだ。自粛という名の規制もあるようだが、集団の力がなくなりつつあるのかもしれません。ネットでの真っ当な意見でもそこで立ち消えているようだ。作家 池澤夏樹氏は次のように述べています。

 

「もともと作家はテレワークが本来の姿である。世界のどこにいても執筆はできる1人に会っての打ち合わせだって最小限ですませられる。だからこの事態の影響も少ないはずなのに、なんとも働く意欲が湧かない。ピッチャーとしてマウンドに立ってボールを投げようとしても18メートル先にバッターはいない」(新型コロナと文明 会うことを奪われる苦悩 作家 池澤夏樹 西日本新聞4月12日)

 

 テレビの「笑点」では無観客からスタッフのみの形式になりましたが、「バッター」がいない感は否めません。台湾のプロ野球は無観客でスタートしたというが、翼をもぎとられた雰囲気がありました。池澤氏の一文は次のように終ります。

 

「人間が生きる意味どこにあるのか?今、我々の前にあるのはそこまで根源的な問いである。志村けんが笑わせてくれる時代は終わった。これからしばらくは彼がいないところで笑うことなく生きなければならない」

 

 志村けんさんが残してくれた人間的な香りがなつかしい。仕事は休め・補償はしないという理屈がまかり通る社会なのか。

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「新人研修で話すなら」 [寛容な社会]

 


 


「コラム。 風向計 新人研修で話すなら 久保田正広2020/4/1西日本新聞 」では、「何年がんばれば、やりがいを感じられますか?」という質問が多いという。人生予測つかないので「やりがい」につきあう余裕がない人もいます。例えば、内定取り消しにあった人であれば耐え難い自己否定に陥る人もいるだろう。今年に入るまでは新人研修を楽しみにしていたのでしょうか。こんなときに「漫画 君たちはどう生きるか」を開いてみることがあります。


今回はつぎの一節に目がとまりました。


「およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものであってはなにないからなんだ。


 コペル君。僕たちは、自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲みだしてこなければいけないんだよ」


 


 1957年高卒採用がまだ主流だった頃、かろうじて就職できました。難病を抱えながら、そのことを隠していました。そのことを意識して不安の中から除外させようとしていました。家では両親がいつ家に戻ってくるかと思っていたので、私よりは親のほうが普通の感覚だったと思います。高度成長期に入り、新人は売り手市場という社会に救われたといえるでしょう。予測がつかないのが人生です。その後、解雇されずに働けたのは、働く人の善意や労働組合の力によるものだと思います。私の場合は、参考になりませんが、予測できない力に頼ることも必要なのかもしれません。問われているのはあなた自身です。まずは、必死に働くことを新人さんには期待します。「やりがい」は近寄ってくるものでしょうか。その前に「やりがい」をなぜ求めるのでしょうか。


 


 


 


 


 


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82歳の絵 [寛容な社会]

 



 



西日本新聞によれば福岡県自治体問題研究所(電話092-472-4675)の宮下和裕主任研究員が集大成としての『地域から創る民主主義 福岡からの発言』(2200円)を刊行したという。



 



「コラム 花時計2020/4/7 西日本新聞 ふくおか都市圏版 宮崎 拓朗 」からです。



 



「絵に興味を持ったことはほとんどないのだが、先日、ある新聞に掲載されていた1枚の絵画の写真に目を奪われ、実際に作品展に足を運んだ「遠足」と題された作品は、菜の花畑を子どもたちが一列に並んで歩く様子が描かれていた。作者の男性は、国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)の入所者。説明文には「6歳でハンセン病を発病した作者が学校に行っていたのは1年足らず。遠足は、仲間と行動を共にした唯一の記憶」とあり、82歳の時の作品だという(以下略)」



 



 ハンセン病については国家賠償など司法の場での問題は決着しています。しかし、奪われた人生は戻ってきません。人権問題は忘却との闘いであると述べた方がいます。ハンセン病はその最たるものであるように思う。それでも、司法の壁を乗り越えました。困難な闘いだったでしょう。変哲のなさそうな「遠足」の何が訴えてくるのでしょうか。人権回復の歴史の重みか。


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