SSブログ

咳に弱い [寛容な社会]

 


 


「コラム 時代ななめ読み 偏屈者、ただいま自粛中2020/4/5西日本新聞 永田 健 」は楽しみにしているコラムです。


 


「私はもともと偏屈者なので、お上(かみ)からああせい、こうせいと言われるのが大嫌いである。何年か前に安倍晋三政権が「1億総活躍社会」を打ち出した時も意味なく反発し「たとえ日本人全員が活躍したとしても、俺だけは活躍せん!」と周囲に宣言したほどだ。(以下略)」


 


 今回ばかりは不要不急の外出をしないとお達しに従っているという。それは感染力の強さだからであるという。そんな今、電車の中でマスクもせずに咳をしている人を白い目で見てしまう自分に嫌気がしているという。私の家族には咳が多い人がいます。それでもたまにはウイルスではないかと気になることがあります。そして、落ち込む。


 過ちはするものだ。人間だもの。


008.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

道路は人のもの? [寛容な社会]

 



 



「デスク日記 2020/3/31 西日本新聞 社会面 入江 剛史」では、交通マナーの違いが取り上げられていました。お年寄りが青信号に変わったのに横断歩道を渡ろうとしないのだという。2.3台の車が通り過ぎてから渡り始めたという。年寄りとしてはよく分かる。自分の感覚で測って見ていて、自分が渡ろうとする間合いを確認しているのです。通り過ぎてもらったが楽なのではないかと思う。自分のペースで渡りたいのです。



  同じ日の新聞の電話投稿欄にシニアカー(電動車いす)を利用している人から、シニアカーで道路の隅を動いていると、車から「歩道を通りなさい」と怒鳴れるという。ですが、歩道には横断歩道の切り込みなどで斜めになったりして危ないのだという。そうです。使ってみないでも、歩いてみれば分かります。それに歩道がない所も多いのです。



 道路は人のものだということが道路行政の考え方にないからではないのかと思う。車より人があくまでも優先のはずです。


008.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

不安と寄り添うのは [寛容な社会]

 


 


 西鉄電車でも有料座席制度が導入されるという。300円を予定しているという。障害者・高齢者・ヘルプカード持参者はどうなるのだろう。何か、座席を買うという行為はなじめない。指定席ということなのでしょうが。ボーダー部分の話なのでしょうが・・・。次の話もボーダーでの「せめぎ合い」です。


 


「記者コラム 花時計 2020325日 西日本新聞 ふくおか都市圏版 横田 理美」では、「通り魔のような児童がいて、わが子を通学させるのが不安」という電話を受け、加害児童の障害が気になり学校に問い合わせすると、発達障害との判定がでず、普通学級で学んでいるという。児童が級友を筆記具で刺す「事件」はそのなかで起きたという。「障害教育の専門家は『学級や社会はさまざまな気質の人で構成されている。多様な意見と正しい知識を織りなす場が必要ですね』」


 発達障害の人がバスで前の人を「叩いた」という話がありました。当然、当事者だけでなく驚き、怖がります。障害者と触れ合いながら育っていけば「叩き」なのか「特有の表現」なのか、感じられるのではないかと思う。それにしても心配は絶えないでしょう。


 


010.JPG

 


 


 


 


 


 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

新型コロナウイルス [寛容な社会]

 



 



 大相撲が終わりました。無観客の取り組みは最初は異様に思えましたかが、喊声で聞こえにくい呼び出しの声や土俵外に出ても観客がいないので、よろけながら遠くまで行ってしまうのには驚きました。貴景勝の馬力のなさが気になりましたが、新大関の誕生も予想されていて、まずまずの成果だと思いました。炎鵬は体力に見合わない地位で健闘しました。福岡出身の琴奨菊は幕ノ内にとどまるでしょうか。あわや2場所続けての平幕優勝かと思わわせた碧山など、終わってみれば話題性のある場所でした。



 



大相撲のことからウイルスの全体的な話が載っていました。



 



「提論 【新型コロナウイルス】 藻谷浩介さん日本総合研究所調査部主席研究員2020/3/23  



西日本新聞」では「どこまで怖がるべきか」のなかで、クルーズ船の死亡率などから推定しています。さらに、風邪をこじらせた肺炎は年間9万人が亡くなっているのに、報道されるのは死者数だけ出るのでパニック心理が起こるのではないかという。風邪からの肺炎の死亡率とウイルスのものとの比較が単純に比較できるものか知りませんが、高齢者でもある私には、通常の肺炎のほうよりか、誤嚥性などの確率が高そうです。


004.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

新型コロナウイルスの疑問 [寛容な社会]

 



 



いろんな情報がありますが・・・



 



①感染しやすく抵抗力がない人 *高齢者 *持病がある人



 75歳で高血圧の私だから確実に該当しますが、持病とは何か。どんな病気でも要注意なのか。どうもしっくりこない。イタリアの致死率が高いという。高齢化率が高いからではないかという。



 



⓶緊急事態宣言はしないのか



 日本は「宣言」をしたいがそしたらオリンピックをあきらめることになるから宣言しないのではないのか。それ以前に諸外国が派遣しないことにならないか。WHOの判断に従うというのは中止の伏線ではないのか。「宣言」自体はオリンピック中止または延期になればされる可能性は高い。それでも立憲民主党などが賛成したのはなぜか。言論の自由に不安を残すのに。



 



③WHOは中立か



 事務局長という人の記者発表でしか聞きませんが、パンデミック宣言では対応が遅れたように思う。日本政府の対応に理解を示して、リップサービスだという報道もあります。



 



④終息はこの字だという



「終息」の見通しを知りたいのは当然ですがその前に「収束」を使っているテレビ局もあります。違いはあるのでしょうか。パソコンの使用例は「終息」です。「サンデーモーニング」を観ていたら「終息」の見通しは「わかりません」とコメンテーターの回答。同じ番組でパンデミックが歴史的転換につながったことがあるという。どんな時代の衣が見えてくるのでしょうか。


005.JPG

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

絵になるということか [寛容な社会]

 



 



313日付の西日本新聞の「電話での投稿」みたいな欄に、87歳の女性が、足が悪く、トイレットペーパー買う列に並ぶのが無理だという。そして、陳列棚がからっぽの映像をテレビは流して、不安を煽っているように思えるという。供給できる在庫はあるというのにデマ情報で買い込むのはなぜか。私の身内の者が東京で仕事帰りにスーパーを覗いたらやはり空っぽだという。悪循環です。



オイルショック時の記憶が残っている人たちも少なくないのだろうか、デマと言われても信用できないのでしょうか。たしかに在庫がないのだから。



 テレビがおかす過ちというのか、限界というのか、空っぽの棚がなによりも分かりやすいから流すのではないか。今の時期だと入学試験の合否発表があります。合格した人の笑顔を流し続けます。



 年末年始の渋滞情報と海外からの休暇帰りの子どもにインタビューする絵は何年も使いまわせるような同じ絵柄です。そこには、正月でも何もない家庭の子の絵は映らない。限定された情報しか伝えることができないのではないか。そのことが共有される社会になりうるのか。情報を発信する側の工夫も求められているのではないか。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

身体の力を [寛容な社会]

 


 


 日本障害者協議会やきょうされんなどがウィルスの影響で毎日の利用者が減らざるを得ないことで施設の運営費の不足になることへの補填や障害者・職員のマスクの確保などを要望したという。心配なのは入所施設の衛生管理です。狭い空間ですので対応が難しいのではないか。今のところ施設での感染は報道はされていません。


 


「ムギマキ通信 東直子


ウィルスが持たない言語を使って


新型コロナウィルスに関して、毎日状況が変わり、不安にならずにいられない。大きなイベントが次々に中止になり、その後の影響が心配である。莫大な金銭的な損失という物理的な影響ももちろんだが、精神的な喪失感、虚無感も計り知れない気がする。何年も前から準備していた主宰側。チケット、 宿、交通手段を整えて待つ観客。その日の喜びに向かっていた心が、すべて無になったのである。


人と人が協力してなにかをなしとげるということは、人間が生きることの根源的な喜びである。今は、人と人が触れ合うことすべてに対して、怖れを抱かなくてはいけなくなった。(以下略)」(202033日西日本新聞)


 


続けて特効薬がないらしいから一人ひとりの身体の力を高めるしかないという。免疫力が低いとされるお年寄りには負担が大きい。だから、不安感が広がっているのでしょうか。東氏は読書をするという。私はどうするか。免疫力は低下しています。体を動かすことが必要ではないか。部屋の中でも歩くしかない。次にやはり読書しかない。その他には何かあるか。読書感想を書くことにもトライしてみようと思う。


019.JPG

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「人間は過ちを犯す」 [寛容な社会]

 



 『伝えたい想い』という「徳田靖之弁護士活動50周年記念講演録」(非売品)という本を読む機会をいただきました。一度、春日市のクローバープラザで講演を聴く機会がありました。その時は「田舎の弁護士」だと言われていたのが記憶にあります。徳田氏はハンセン病問題で有名ですが、障害者問題のことで知りました。大分県障害者差別禁止条例制定やJR無人化問題もありますが、徳田氏の関わりが深まるのは、障害者を抱える母が無理心中を図った事件のことだとあります。背景に、相談機能が欠けていることを痛感し、支援機関を立ち上げた頃から仄聞していました。個人的には薬害スモン訴訟に関与されていたことが同時代の方だと思いました。



 



「講演録」を読んで目を開かせてもらったのは「人間は過ちを犯す、そこから喜びに満ちた進化がある」の章です。人間というのは「過ちを起こすんですね。もう人間の営みである以上、過ちを犯すことは避けられません。それが人間だといいと私は思います」と語られています。



徳田氏とは同世代ですが、過ちといっても比較できるほどのものではないことを繰り返し強調したいと思います。おこがましいですが、私は75歳となり人生の来し方を思うこともあります。過ちはたくさんありましたが、私にとって大きなものがいくつかあります。謝ってすむものではないですが、関係者には申し訳ない気持ちで一杯です。ああすればよかったと何度繰り返したでしょうか。徳田氏が言うようには「進化」できなかったことを含めて、過ちを含めての人生だと思えたことに感謝します



 


016.JPG


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひとつの成果が [寛容な社会]

 


 


「コラム 風向計 2020/2/26 西日本新聞 オピニオン面 久保田 正広」で初めて知ったことです。裁判所の傍聴席でメモを取ることができるようになったのは平成の時代からだという。 それもアメリカ人弁護士が提訴したことから最高裁が認めたという。こういう成果が次代につながってくいのでしょうか。


 


 「普段なら傍聴席最前列の記者席に座るのだが、なにぶん遅刻の身。遠慮気味に一般傍聴席の最後部に滑り込み、会社のメモ帳を取り出した。 すると、顔見知りの地裁書記官が飛んできて、メモは駄目だという。記者席では同業他社の面々がメモ帳を広げているのに、である。 裁判は公開が原則だが、傍聴席で自由にメモが取れるようになったのは平成になってからだ。記者席は例外であることを、この時、この書記官から教えられた。


 実は当時、こうした傍聴席でのメモ禁止を巡り、東京で国家賠償訴訟が起こされ、全国の裁判所の現場が神経質になっていたようだ(一部引用)


 


 小さなことでも「コツコツと」とは芸人さんの言葉だったでしょうか。というのも国連が開くNPT総会に合わせて開かれる「原爆展」に原発が含まれているなどから外務省が後援のOKをだすかで難航しているという。こういう意図的な規制は一部の意向のことが多い。


被爆者団体からすれば原発と原水爆は一体の問題に見える。それを自由にさせないというのでは萎縮された社会になってしまう。


014.JPG

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自由な発想を受け入れ? [寛容な社会]

 



 「コラム デスク日記2020/2/22西日本新聞 社会面」は考えさせられました。 



 



次のような内容です。



 「実はこの会場に、当時の隊員の方もいらっしゃってます…」。熊本県錦町に残る海軍地下基地跡の活用策を探るシンポジウムが先日、福岡市内であった。パネリストとして登壇した現地の資料館副館長は、発言の最後に言葉を詰まらせ、目尻をぬぐった。



 当地で防空壕(ごう)と伝えられてきた洞窟群は、子どもたちの度胸試しの場でもあった。そんな私の故郷に2年前開設された資料館の愛称は「ひみつ基地ミュージアム」。2児の母親でもある副館長には「親子が気軽に来館して平和を学べるように」と名付けた信念がある。一方で「戦争が楽しいものと誤解される」などの批判の声が絶えないという。(以下略)」



 



「ひみつ基地ミュージアム」について「誤解される」という批判も分かりますが、誤解も含めてかつての防空壕をどう見てもらえるか、見てもらって意見交換をしていったらどうかと今は思う。まず、来てもらうかどうかに力点をおいたのではないか。平和を学べるものになっていないというなら、それをアンケートにして考えてもらったらいいのではないかと思う。何が正しいかが基準ではなく、それは来館者の感想なり、意見が尊重されるべきでしょう。かつて働いていた頃、労働組合の再編時に、組合にはいっていたら管理職にしないとの噂が流され、次々と組合から脱退していきました。組合も、権利を守るために必要な組織だとアピールしましたが歯止めがかかりませんでした。いろんな分析があると思いますが、管理職になりたいと考える力に負けたように思います。うまく表現できませんが組合員主体でなければならないと感じたのです。何が正しいかではなく、決めるのは来館者ではないかと思う。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。