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「バッターがいない」   [寛容な社会]

 

「自粛」という名の規制に翻弄されて精神構造が傷み始めているようだ。政権の失政を非難する発言があるが、集団の声が聞こえてこないのだ。自粛という名の規制もあるようだが、集団の力がなくなりつつあるのかもしれません。ネットでの真っ当な意見でもそこで立ち消えているようだ。作家 池澤夏樹氏は次のように述べています。

 

「もともと作家はテレワークが本来の姿である。世界のどこにいても執筆はできる1人に会っての打ち合わせだって最小限ですませられる。だからこの事態の影響も少ないはずなのに、なんとも働く意欲が湧かない。ピッチャーとしてマウンドに立ってボールを投げようとしても18メートル先にバッターはいない」(新型コロナと文明 会うことを奪われる苦悩 作家 池澤夏樹 西日本新聞4月12日)

 

 テレビの「笑点」では無観客からスタッフのみの形式になりましたが、「バッター」がいない感は否めません。台湾のプロ野球は無観客でスタートしたというが、翼をもぎとられた雰囲気がありました。池澤氏の一文は次のように終ります。

 

「人間が生きる意味どこにあるのか?今、我々の前にあるのはそこまで根源的な問いである。志村けんが笑わせてくれる時代は終わった。これからしばらくは彼がいないところで笑うことなく生きなければならない」

 

 志村けんさんが残してくれた人間的な香りがなつかしい。仕事は休め・補償はしないという理屈がまかり通る社会なのか。

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