「新人研修で話すなら」 [寛容な社会]
「コラム。 風向計 新人研修で話すなら 久保田正広2020/4/1西日本新聞 」では、「何年がんばれば、やりがいを感じられますか?」という質問が多いという。人生予測つかないので「やりがい」につきあう余裕がない人もいます。例えば、内定取り消しにあった人であれば耐え難い自己否定に陥る人もいるだろう。今年に入るまでは新人研修を楽しみにしていたのでしょうか。こんなときに「漫画 君たちはどう生きるか」を開いてみることがあります。
今回はつぎの一節に目がとまりました。
「およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものであってはなにないからなんだ。
コペル君。僕たちは、自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲みだしてこなければいけないんだよ」
1957年高卒採用がまだ主流だった頃、かろうじて就職できました。難病を抱えながら、そのことを隠していました。そのことを意識して不安の中から除外させようとしていました。家では両親がいつ家に戻ってくるかと思っていたので、私よりは親のほうが普通の感覚だったと思います。高度成長期に入り、新人は売り手市場という社会に救われたといえるでしょう。予測がつかないのが人生です。その後、解雇されずに働けたのは、働く人の善意や労働組合の力によるものだと思います。私の場合は、参考になりませんが、予測できない力に頼ることも必要なのかもしれません。問われているのはあなた自身です。まずは、必死に働くことを新人さんには期待します。「やりがい」は近寄ってくるものでしょうか。その前に「やりがい」をなぜ求めるのでしょうか。
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