犬の「効用?」 [高齢者]
我が家の柴犬が亡くなって3年を過ぎました。年寄りの常として自分で世話できるのも限界だとして今は飼っていません。さびしいものです。通りから犬の鳴き声が消えました。
ブレイディみかこ氏の体験です。本人はイギリス在住・親は福岡在住です。
「実は昨年、身近なところで犬の力を実感することが起きた。何を隠そう日本のわたしの実家の話だが、うちは母が重度の双極性障害であり、1年のほとんどの時期を寝たきり、というか、引きこもりの生活をしているので、家事そのほか家のことはすべて親父がやっている。
大酒飲みでたいへんマッチョな肉体労働者だったのに、人は環境しだいでリボーンするものである。家事はおろか銀行通帳がどこにあるのかも知らなかった70代のじいさんが清掃も料理も洗濯も本気でやり出した。母よりずっと丁寧で上手であり、家計簿まで几帳面につけて家計を管理している」(「ワイルドサイドをほっつき歩け」)
母に引きこもられた父は孤独だったという。年を考えると犬好きの父も新しい犬を飼う気にならなかったが、犬をプレゼントしたら、嬉々として世話し始めたという。おかあさんも部屋から出てくるようになったという。我が家の犬は18歳まで生きました。ある日、気づいたのは、犬と人間との関係も似通っているように思えました。かわいがる気持ちは同じようですが、「ベタベタ」できないのです。家族にも同じです。ひとり苦笑いしました。
若者の活躍に元気をもらう [高齢者]
「池江璃花子に「東京が涙した」 594日ぶりレースに米も注目「白血病から衝撃の復活」
8/30(日) 9:02配信Yahoo!ニュース」などによれば、組1着、全体で5着という好成績で復活した。594日ぶりの復活だと伝えています。出場したことに感動し、活躍に涙しました。
若い人の活躍は社会に元気を与えます。
最近では、大坂なおみ選手が人種差別に対する抗議をしたことに拍手を贈りたい。日本では有名人の政治的立場の表明に対する誹謗中傷が多い。アメリカはどうなのでしょう。
最後に、将棋の藤井2冠の達成。謙虚な発言。さわやかな姿勢が羨ましい。器が違うといえばそうだが。
未来への希望を持たせてもらう人たちです。
若者の活躍に元気をもらう
「
共通する高齢者 [高齢者]
「コラム 春秋 2020/8/19 西日本新聞」の一部からです。
「▼高齢になると暑さを感じにくくなることもあるという。窓から入る自然の風か冷房か。悩ましいが、新型コロナ禍に酷暑が追い打ちを掛ける異常事態である。これまでのやり方は通用しないと頭を切り替えることも必要だ
▼もう一つは、熱波の中で凍えるような数字。年率換算で前期比27・8%減。同じ日に発表された4~6月期の国内総生産(GDP)だ。リーマン・ショック後を抜き、戦後最大の落ち込みとなった。もちろん、コロナの感染拡大で生産や消費がストップしていたためだ(一部引用)」
高齢者にとって感染症対策としての換気が必要ですが、朝方に扇風機をフル稼働させ、後はエアコン使用しています。テレビで熱中症対策として、夜間の発症が少なくないとのことでエアコンを使うことにしています。電気代は期間にもよりますが、8月が山場なのでなんとか耐えられることになるでしょう。高齢者世帯の電気代割引などスマートメーターを利用しての期間割引を拡充したらどうだろう。
経済では、消費税の減税をしたらどうだろう。高齢者の生活支援にもなりますが、多くの人たちに生きる希望を政治の力で実現してもらいたい。
都内で、熱中症で亡くなった高齢者の多くはエアコンがないか、作動していなかったという。生活保護行政での対策が必要ではないか。
■同人誌を読む
地域の同人誌を読む機会がありました。同人誌を支えるエネルギーはどこにあるのかと思いました。ここにも高齢化の波があるようですが。
1歳違いだけど [高齢者]
■1歳違い
新聞の投稿に70歳になったときにこれで60代といえなくなったという寂しさが書かれていた。アンケートの60代と70代とでは老け込んだような気がするとも。私は、モニター募集で70代は対象外とされていて傷ついたことがあります。対象外にされた人の気分を察してもらいたいとなった記憶があります。社会的に消費者の範囲としてはカットしても影響がないのだろうとひがみ根性丸出しの年寄り。さらに嫌われます。
■西瓜
「縁側の西瓜も父も遠い夏」(2020年8月18日西日本新聞読者川柳)
証拠はないが西瓜の存在がかつてよりうすくなっているのではないかと思う。甘いものが冷たくておいしいものが手軽に入るようになったからか。私の年代は戦後の食糧難から食べおわった皮を漬物にして食べていました。今はそんなこと面倒だし、衛生的でもないのかもしれません。全国の生産量も原書いう傾向にあるようです。私の世代では井戸で冷やしたりしましたが、冷蔵庫のなかでは場所を取られてしまうからでしょうか。
かなづち [高齢者]
※かなづち
かなづちは今どきの子どもには死語ではないかという新聞への投書がありました。使われなくなっている個人的な物について挙げてみますと
使っているケイタイ電話は3Gなので2024年1月で終了するという。今の生活では緊急の電話以外に使うことは少ないです。他のことはパソコンで間に合います。残りの寿命との締め切り競争なのですが・・・。
デジカメが不景気だという。今でもデジカメを使う身としては、こちらでも肩身が狭い。オリンパスはカメラ事業を手放すという。最初に買ったデジカメがオリンパスなのでなんだか寂しい。
今度の豪雨で被災したという。鹿児島までの高速道が開通する前は球磨川沿いの道路を走り、落石注意という標識をいくつも眺めながら行ったものです。球泉洞は一度見学しました。JR肥薩線不通になっているようです。高校生の利用が多いという。どうなるのだろう。
高齢者の外出を [高齢者]
・新聞で高齢者の外出を勧める記事がありました。認知症対策として言われる「家族以外との会話」などと合わせて散歩を含めた外出の勧めですが。分かるけど・・・。高齢者には持病がある人が多い。健康なお年寄り向けだろうが。
・新聞の読者意見欄からです。脊柱管狭窄症のリハビリが必要と言われたがコロナ禍で延期となり、最近になって許可がおりたが感染の不安で自分が怖くなって行けてないという。私がリハビリに通っていた病院は一度に数十人リハビリ室でやっていました。それに次の時間の予定者が待機していました。今はどうしているのでしょうか。怖い気持ちは分かりますが。
・線状降水帯の威力をまざまざと見せつけられています。例えば、鉄道の橋梁などが今回も最低4か所(9日現在)あります。3年前の九州北部豪雨の鉄道の復旧は鉄道の復旧を諦めて、県と市町村とJRの協議でバスの運行開始でようやく方向が決まりました。BRTでの実施が決りましたが、運用はいつからでしょうか。国の補助金はあるのかと思いますが、話し合いのメンバーではなく第三者みたいです。このままでは地方は疲弊するばかりです。線状降水帯の被害は続くでしょう。災害の度に復旧だけでなく、基金を設け避難所の整備など長期的対策を国と地方で検討したらと思います。福祉施設の避難や立地確保の支援など総合的な計画が望ましいと思う。
・ソフトバンクホークスに千賀・甲斐バッテリーが帰ってきました。おめでとう。
未熟さゆえに [高齢者]
・2020年7月6日西日本新聞の投稿欄に「無駄なものは人生にない」として、作家の宮尾登美子さんの講演を聞いた時のことを書かれていました。「自分の人生の中で、消しゴムで消したいときがあった」という。私も過去を振り返ることが増えています。文字通り消しゴムで消したい言動があります。その未熟さを考えると切ないことです。
・先日も書いたように思いますが、人類の進化についての議論になったときに、これだけの核兵器があって、そんな進化することができるのかと識者が問います。そのことを考えてみようと言う趣旨の発言でした。考えさせられました。取り戻すことができない過去よりも、少しは賢く、多くはずる賢くなった未来への思考をしてみたいと思いました。
・JNN世論調査(7月6日)によると
「公職選挙法違反の疑いで逮捕された河井克行前法務大臣とその妻の案里参院議員について、「議員辞職すべきだ」と答えた人は9割にのぼりました。(一部引用)」
政治家の金銭がらみのことに世論は厳しい。だが、選挙になると自民党が勝つ。政治家というのはそういうものだよという肯定感が強いのかもしれませんね。
・線状降水帯ができるのも温暖化のせいではないか。蛇足か。
認知症への警戒心は [高齢者]
最近、認知症の話を耳にすることが多くなった。周りがそういう年代の後期高齢者なのです。認知症の話題では「社会的な死」としての隠語「ニンチ」「ニン」と呼ぶこともあるという。そうならないための運動・食事などの工夫が本になっています。最近、良く聞く言葉としては「フレイル」があります。介護に至る前段階としての状況で、体重減少などの指標があります。そして、今、老いは認知症と非認知症で語られるようになっているという。
「高齢社会では『認知症』が高齢者の社会的な死(『役立たずの生』にせよ『援けてあげなければならない生』にせよ)を意味する隠喩となっている。それに対峙する言葉として最近『健康長寿』が登場した。ピンピンコロリという語もある。こうして老いは『認知症』と非
『認知症』(健康長寿)に二分されるようになった」(「精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟」竹中星郎)
健康長寿とは何か。それは「健康で長生きをする」ことだという。健康で長生きだという。随分欲張りです。ボケになったり、認知症になったりしたことを隠さない人たちも増えています。ボケたという人は認知症より広い概念での老化の全体症状として捉えているように思います。認知症と呼ぶ人には絶望的な叫びが込められているように聞こえます。それは私の偏見かもしれない。私もまた認知症防止の食事と運動のマニュアル本を購入していますから、偏見に染まっているのでしょう。それとも欲深くなっているのでしょうか。
「何をしてもいい自由」 [高齢者]
新聞の女性投稿欄に「何をしてもいい自由」という87歳の方の意見がありました。(2020年6月22日西日本新聞「紅皿」)。「老人ホームで生活していますが、寂しいとか孤独感はありません。日ごろから自分の衰えを自覚し、孤独に耐える力を養うことに少々慣れました」とありました。「孤独に耐える力を養う」という表現にしばし瞑目しました。そして自由な老人ホームを見つけたという。元気であればこういう生活が可能だと思いました。だが、孤独と向き合う智慧が必要だということでしょうか。
老いはそれぞれにやってきます。ピアニスト舘野泉は脳梗塞で右手が不自由になります。
「脳梗塞で半身がマヒしたとき、それを境に世界は一変する。ピアニスト舘野泉は脳梗塞で右手が使えなくなったときリハビリテーションを受けて絶望と希望を行き来したという。その希望とはいつか右手が使えるようになるという孤独な希望である」と竹中星郎氏は述べています。(『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』)
私も舘野氏と似通った不自由な状態になりました。ある日、左手のピアニスト舘野泉という存在を知りました。竹中氏は孤独な希望へのチャレンジがあるという。投稿の方は「孤独に耐える力を養う」と語ります。孤独に耐える力はあるのだろうかと自問自答する。
「老いの孤独と生活形態」 [高齢者]
最近、孤独についての本が目立つようになった気がします。そのなかのひとつに下重暁子著『極上の孤独』があります。下重氏は、小学2年生で結核になり、2年間自宅の一室で安静にしておく日々を送ったそうです。「私は、幼くしてその愉しさを知ってしまった。誰にわずらわされこともなく、自分と向き合い、自分自身を知ることは、極上の時間であった」と述べています。当時の結核の治療は安静が中心でした。
下重氏と比較するようなことではありませんが、私も病弱であり、小学一年生の時は病欠が多かった。1学期は特に多かったが、2学期以降は大幅に減りました。下重氏のように孤独を愉しむこともなく、ぼんやりと過ごしていたと思います。高熱を出してドジョウを額にのせて解熱させるということもしていましたが、農薬でたんぼからドジョウが消えました。ドジョウの効果があったのかどうか分かりません。
今は、老いて孤独といえばそうですが、不便に感じたことはありません。老人は孤独がメンタルヘルスに影響するのだという。『精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟』(竹中星郎)では次のように記されています。
「年をとるとは孤独に耐えることである。高齢を貫いているひとの多くは、若い頃から一人暮らしで生きてきたが、彼らの大半はひとのつながりをもっている。孤独の寂しさに耐える原動力はひととのつながりなのだ」とする。2015年統計では65歳以上で単身世帯624.3万世帯、夫婦のみ世帯746.9万世帯だという。独居が孤独だとは思いませんが、孤独感の引き金になるでしょう。一人住まいでないことは孤独感に陥るのを防ぐこともあるでしょうが、それで十分とは言えないでしょう。老いることは四苦のひとつです。覚悟して生きなければ。