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大きな力が [平和]

 



 



・テレビを観ていたら「車の助手席・・・」がと言っていました。なんで助手席で、何をするのだろう。今更ですが気になりました。ネットで調べれば分かるかもと思いながらそのままに。次に頭に出てきたのが「魔法瓶」と名付けたのは誰か・・・。社長の右腕はどういう理由で左腕でないのだろうと。



 



・東京では都知事選が終わった。テレビでの候補者の討論会が1回もなかったそうです。東京都のウィルス対策の今後など聞いてみたかった。全国に影響がある課題だと思いますが。



 



・テレビが面白くないという声が聞こえてきます。昔からですよという声もあります。しかし、テレビは大きな媒体です。今は、再放送が増えたり、自社の番組の宣伝だったり、ラジオの宣伝だったりして面白くない。スポンサーがつきにくくなっているのだろうか。ラジオでも聞くか。



 



・「戦後75年 言葉を刻む 」から2020/7/9 西日本新聞 社会面 



敵機の爆音の下で飛行機を作る-なんと働きがいのあることでしょう



 (福岡県鞍手郡、西川女子青年学校の女性教諭)



 



 戦争の記録からの引用です。生の言葉を紹介しています。


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空母の呼び名は使わず [平和]

 


 


・イージスアショワの断念で出てきたのが「敵基地攻撃能力の武器」を整備するという意見です。当然、公明党などから憲法に照らしてどうなのかという意見が出ているそうです。


「敵基地攻撃能力」の名前が悪いとの意見が出ているという。


 


・最近、読んだ本では『白人ナショナリズム』というのが刺激的でした。白人至上主義と自国第一主義が結びついたのが「白人ナショナリズム」だという。


 


・都知事選をマスコミ主にテレビが取り上げないでいるという。どうしたことか。


 


・最初の敵基地攻撃能力と憲法の話です。かつてこんなことがあったという。


「改修する護衛艦について、戦闘機を常時搭載しないことなどから憲法で保有が認められないとされてきた攻撃型空母に当たらないと、自民・公明両党で確認する内容だった。当初、与党ワーキング・チームの提言にあった「多用途運用母艦」という名称は、空母を連想しうるとして「多用途運用護衛艦」にトーンダウンさせた」(『兵器を買わされる日本』東京新聞社会部)。今回も二番煎じでいくみたい。


 


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100周年の時の記念日 [平和]

 


 


 6月19日は福岡大空襲の日です。アメリカではオクラホマ州で19日に党員集会を予定していたという。19日は「奴隷解放記念日」になるので20日にずらすという。


日本では1945年6月ごろから各地での空襲が続きます。8月の原爆投下という非人道的なことが起こりました。その後遺症は今も続いています。風化させることなく、受け継いでいくことが期待されていますが、若い人の中での活動が続いているので心強いです。


 


「コラム 春秋 2020/6/10 西日本新聞 」は時の記念日を次のように紹介しています。 


 


「▼時は流れて1920(大正9)年。故事にちなみ、日付が記録に残る610日が「時の記念日」に定められた。「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と国民に呼び掛けるためだ。まだおおらかな時代だった


▼さらに100年の時が流れ、日本は欧米を追い越した。シチズン時計の調査では、ビジネスパーソンの98%が「日本人は時間に正確」、78%が時間に最も厳しい国は「日本」と回答。遅刻を許せるのは57%が「10分まで」。近頃は電波を受信して時刻を自動修正する時計も増えた


▼ただ、時間に厳し過ぎれば窮屈にも。水が落ちたら太鼓をドーン。そろそろ飯にしようか-。そんなのどかな時代を想像してみる100周年の時の記念日。(一部引用)


 


 私が働きはじめた1960年代は土曜日が午前中勤務で「半ドン」と呼んでいました。半ドンの語源は諸説あるというが・・・。博多のまつりのドンタクとする説もあるとか。半ドンの日は朝からマージャンのメンバー決めが多かったですね。「半ドン」を知る人はもはや化石世代と呼ばれているとか。


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産まれて76年 [平和]

 



 



2020年がこんな環境で待っていたとは・・・。私の生まれた年は1944年9月です。まもなく76歳になります。今年の春は桜を見る余裕がありました。今年も桜が見られたと思ったものでした。サクラはそんな思いを抱かせますね。テレビのバラエティー番組で自衛隊「潜入」番組の宣伝があっていました。一昔前でしたら大問題になっていたでしょう。それは、戦争体験者が減り、戦争問題を引き継ぐ世代も少なくなっているからでしょうか。8月の原爆忌もオンラインだそうです。今年が後世どのように語り継がれるでしょうか。



そうしたなかでかつての体験者の言葉を連載していく試みがされています。



 



「戦後75年 言葉を刻む



要するに、逃げてばっかりですよ 言葉を刻む(122020/6/12 西日本新聞 社会面」は今年の戦後75年の戦争体験者の連載の記録です。 



 



「要するに、逃げてばっかりですよ (福岡市中央区、重松一さん)



 「菊兵団」の通称をもつ、福岡県久留米市で編成された陸軍第18師団で、補充兵としてビルマ(現ミャンマー)での戦闘に参加。どんな戦い方をしたのかを記者に問われ、こう言い放った。194523月、ビルマ戦をほぼ決定づけたと言われるメイクテーラの戦いで、機械化の進んだ英印軍に日本軍はじゅうりんされた。日本軍の対戦車砲では敵の最新式戦車の装甲は貫通できず、たちまち集中砲火を浴びて全滅したという。(以下略)」



 



西日本新聞の取材に語った言葉だそうです。


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B29はどんな鉛筆 [平和]

 


 


 6月2日の西日本新聞「電話投稿欄」は3つともスーパーのレジでのトラブルでした。多くの人が不安を抱えて疲れているのか、いつもの延長なのかは分かりませんが。


 


 同じ新聞に「戦後75年 言葉を刻む」という連載が始まっています。戦争体験などの過去の記録から選んだ囲み記事です。2日の記事は「B29は、どんな鉛筆かと問われました。私は驚きました」と幼稚園が質問してきたという。その頃から戦争体験を語り継ぐ必要を感じたそうです。


 1944年生まれの私には戦争体験は記憶にありません。米穀通帳というのがありました。通帳そのものが身分証明みたいなものがあり1965年の就職時に親から持っていきなさいと言われたことが記憶にあります。実際使う必要がないほどに配給制度が形骸化していましたので役に立たなくなっていたと思います。


 


ウィキペディアには「米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)とは、1942年(昭和17年)41日から、日本において食糧管理制度の下で米の配給を受けるために発行されていた通帳であった。1981年(昭和56年)611日の食糧管理法の改正により廃止された」とあります。配給についても説明しないといけませんね。これは厄介なことです。戦争が終わっても配給制度が続いたものとしてタバコ・酒などがあったという。


 


小さな囲み記事ですが、体験を伝える方法として期待したいと思います。


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戦争の記憶まで [平和]

 


 


 


 


NHKテレビで分身ロボットを活用してカフェで働く重度障害者の姿を伝えていました。


新しい発想での就労機会づくりに期待したいと思いました。コロナ禍のなかで雇用環境が厳しくなっています。何もかもコロナ禍の事業が延期・中止が多くなる中で、「平和を祈る8月」まで影響を受けています。それに関連した話です。


 


「記者コラム 花時計 2020/5/29西日本新聞 ふくおか都市圏版 小林 稔子 


 引き揚げの史実を伝えようと活動する福岡市の市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」に、約20年前の発足当初から参加してきた女性が今月初旬に逝去(享年90)した。1945年の終戦時に朝鮮半島に取り残された国民の一人で、15歳で引き揚げてきたという女性は3月末に開かれた同団体の会合に、体調が悪いなか参加されていた。その姿に活動への強い意志を感じた。取り組みの裾野は広がってきたが、長年目標としてきた展示施設の設立など道半ばのものもある。「どんなに無念か」。同じ引き揚げ者の言葉が重く響く(以下略)」


 


 原体験がある人たちが減っていく中でどのように歴史を継承していくか模索が進められているという。戦争体験者の無念さを次世代に受け継ぐ取り組みは「中止」「延期」はありえないのではないか。対応に知恵をしぼって対応しなければならないのではないか。選択幅は限りなく狭いのですが。オンライン方式でできることはあるのではないか。


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体験者から受け継ぐ [平和]

 



 



 緊急事態宣言の解除に伴い図書館が月末頃から利用ができそうです。移動図書館も再開しそうです。通販で買った本で読んでいないのは1冊。慌てて注文しましたが、時間がかかるとのアナウンスです。



 



2020512日西日本新聞の投稿欄に20歳の大学生が高校生平和大使になり核兵器廃絶の活動を知り、応募し、長崎大学の多文化社会学部で核兵器廃絶を専門的に学んでいるという。



 戦後75年になり、体験者がいなくなりつつあると危機感が伝えられています。さらに、コロナウイルスの影響で人が集まることが困難であるという。原水爆禁止世界大会はオンラインのようです。



 ですが、次代を担う若者も育っているのは核兵器廃絶の願いを強く願う人たちの運動の賜物でしょう。こういう若者にバトンをタッチできればと思いました。


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体験者がいなくなったときに [平和]

 



 



私は75歳。戦争が終わる前の年の生まれです。戦時中の生まれですが体験を語る記憶がありません。それは何年も前から分かっていたことではありますが・・・。直接の体験を聞くことは困難ですが、体験集の出版をしておくことが大切なのではないか。例えば、西日本新聞女性投稿欄「紅皿」の1959年から10年間のなかから選んだ『戦争とおはぎとグリーンピース』には、戦時下、戦後の生活体験が生々しく書かれています。発行されたのは戦後70年の時です。



新聞には沢山の体験が蓄積されていると思います。記録を蘇生することで体験化することは可能ではないか。



 



「記者コラム2020/4/29 西日本新聞 ふくおか都市圏版 久 知邦 



 大分県日田市の民家から陸軍中将の名前が書かれた位牌(いはい)が見つかった。中将が日中戦争で戦死した部下に向けて書いたと思われることが取材で分かったのだが、小さな集落でさえも戦争の記憶が薄れていることに驚かされた▼終戦から75年、日中戦争勃発からすれば83年。当然といえば当然か。取材が難しくなったとあらためて感じた。地道に集落を歩き、当時を知る人が見つかったことで何とか記事にできたが、数年後に同じ取材ができたかは分からない。戦争体験を聞けなくなった時、どのような記事が書けるのだろう(以下略)」



 



 体験者がいなくなるのは自然の摂理です。西日本新聞には、読者投稿欄の金曜日に戦争体験が掲載されます。(休みの場合もあり)。この膨大な体験録を活かす道があるのではないか。まずはできることをあきらめないで欲しい。


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「紅皿」から学ぶ [平和]

 



 



「コラム 風向計 『紅皿』から教わること 酒匂純子2020/3/24西日本新聞 」では、女性のみの投稿欄の歴史的な意味合いなど考えさせられました。1954年スタートだからはや66年。当初10年分から選んだ42本が単行本「戦争とおはぎとグリンピース」が2016年に刊行された。



 



本の帯の冒頭から引用します。



「どんなときも



 絶望しない。



 ご飯をつくる時、買い物をする時、



 おしゃべりする時・・・。



 60年前、日本の家庭には、



常に『戦争』があった。



それが普通という異常。 (以下略)」



 



 1954年(昭和29年)12月が高度成長期の始まりだというから、敗戦から立ち直りつつある時代と重なります。朝ドラ「ひよっこ」の再放送があっていますが、時代が重なります。中学を卒業すると多くの人たちが「集団就職」したのです。



 「戦争とおはぎとグリンピース」を緊急事態宣言の間に再度読んでみようと思う。移動図書館も休みになりましたので。


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戦後75周年は [平和]

 


 


朝ドラ「スカーレット」が終わりました。坦々と生きる姿がていねいに描かれた秀作だと思います。信楽に主人公の父たちが辿り着いた初めの頃のシーンを思いだせてくれました。


 


 先の戦争でも似たような思いを持った人たちがいたのでしょうか。福岡伸一氏の『最後の講義』を読んでいます。生命は「最初から頑丈に作ることを諦めて、自分自身をゆるゆるやわらかに作っておき、それを常に分解して、捨てて、作り替えるという戦略」をとったのだそうです。トイレで排泄するものなかには自分のパーツの分解された物が沢山含まれているのだという。私はすでに75年間分解と合成を繰り返しています。先の戦争が終わる1年前に産まれました。


 


敗戦から75年という節目です。ところが「戦争関連の慰霊祭 相次いで中止に 新型コロナウイルス影響328日 NHK」という。なにか特別の空気感を感じます。緊急事態宣言などの規制が悪用される可能性はないのか。それがどういうものか実感はできませんが、事態を建前にされれば従うしかないのだろうか。


 感染防止策を講じての75年という追悼も大切なことではないのだろうか。


 


 


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